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事実は小説よりも奇なり

夏目漱石の代表作「坊っちゃん」で、主人公の熱血教師のモデルになったのは、弘中又一であった。

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弘中又一は、周南市の湯野温泉の名家に生まれ、地元の湯野小学校に入学する。
桜田小学校(現在の 戸田小学校)の中等科を卒業。幼いころから勉強ができ、成績も
優秀だった。独学に加え、山口市の私塾で漢文、英語、数学を学んだ。

夜市川そばのサン・サンロードには、釣り糸を垂れる少年時代の又一をモチーフにした
「釣りをする坊ちゃん像」が建てられている。

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【略歴を説明しよう】・・・

1873年(明治6年)  夜市(やじ)川の上流に広がるのどかな湯野温泉・山口県都濃郡湯野村第287番地で、父・弘中伊亮、母・タメの長男として生まれる。
萩藩の重臣・堅田 就政 の旧家臣の家に生まれ、地元の湯野小学校に入学する。
高学年になると、桜田小学校(現在の 戸田小学校)の中等科を卒業。

1890年(明治23年) 京都の同志社普通学校(現在の同志社大学)に入学。
私塾時代の漢文の先生が京都に住居を構えたことから、 慕って京都の学校へ進学した、
という説がある。1894年(明治27年) 同志社普通学校を卒業。柳井小学校代用教員となる。

1895年(明治28年) 5月に、愛媛県松山尋常中学校の英語の教師に赴任する。
そこで、夏目金之助、後の夏目漱石と職場を共にする。

1896年(明治29年) 愛媛尋常中学校東予分校に転任し、その年に徳島県尋常中学校
第二分校に転任する。

1900年(明治33年) 埼玉県尋常中学校第二分校(旧制熊谷中学時代)に着任する。

1912年(明治45年) 同志社中学校に転任する

1932年(昭和7年)  同志社中学校を退職する

1938年(昭和13年) 8月6日、京都に住んで数学などの研究をされていましたが、死去する。

◆ 弘中又一は柳井小学校のころ戸澤タカと結婚されていて、2年後には長男・進も誕生していたが、親もとの湯野において単身赴任していました。

弘中又一の幾つかのエピソードをお話しましょう!!!

※ 明治28年5月27日、弘中又一は愛媛県の松山尋常中学校に赴任するが、
夏目漱石は、弘中又一よりわずかに1ヶ月半早い着任だった。漱石と又一は、わずか赴任1年で松山を離れている。わずかな間だったが、2人の間には大きな友情が結ばれ、その絆が後年、小説「坊っちゃん」として現れたようでもある。弘中又一そのものが、小説の素材となる面白いエピソードを、たくさん漱石へ提供したのだった。

※ シッポクうどんを4杯ぺろりとたいらげ「一つ弘中シッポクさん」と教師の数え歌に謡われるなど、型破りな名物教師として生徒に親しまれた。当時の生徒からは、童顔からの印象なのでしょうか、「ボンチ先生」(ボンチとは松山地方でぼっちゃんという意味)と呼ばれていたそうです。

※ 埼玉県の熊谷中学校に転勤されましたが、ある日路上で鰻を売っていました、買ったのはよいが入れ物がありません。そこで弘中又一は山高帽に鰻を入れたそうです。

※ 「一つ弘中シッポクさん」と教師数え歌

一つとや ひとつ弘中シッポックさん 数学の弘中又一(坊っちゃん)

二つとや ふたつふくれたブタの腹 英語の西川忠太郎

三つとや みっつみにくい太田さん 漢学の太田厚

四つとや よっつ横地のゴートさん 教頭の横地石太郎(赤シャツ)

五つとや いつつ色男中村さん 歴史の中村宗太郎(鈴ちゃん)

六つとや むっつ無理いう伊藤さん 体操の伊藤朔太郎

七つとや ななつ夏目の鬼瓦 英語の夏目金之助(夏目漱石)

八つとや やっつやかしの本吾さん 植物の安芸本吾

九つとや ここのつこっとり一寸坊 物理の中堀貞五郎

十つとや じゅうでとりこむ寒川さん 会計係の寒川朝陽

* 七番の鬼瓦とは、夏目漱石のことで、3歳頃に疱瘡にかかり、疱瘡跡は目立ったらしい。
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by kfujiken2 | 2012-05-19 13:13 | 歴史 | Comments(0)
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