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山口県の歴史・風景・花や世相のトピックをお届けします

鉄道の町 下松

NHK金曜スペシャル あいたい「“鉄道のふるさと”へようこそ! ~乗り鉄・六角精児 下松の旅~」

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日本でも有数の工場地帯・瀬戸内工業地域。山口県下松市は、その中でも大正時代から鉄道車両を製造する町として発展してきた。今も新幹線の“顔”にあたる先頭車両をハンマー一本・手仕事で作る会社や、車両を組み立てる上で欠かせないボルトを作る町工場など、そこには鉄道を愛し産業を支える人々の確かな息遣いがある。鉄道大好き!の俳優・六角精児さんを旅人に“鉄道の町“を支える人々を訪ねる。

【鉄道の町の起源】

久原鉱業所の修理工場を事業の起源とし、主たる事業拠点を茨城県を始めとする関東地方に集中させて
いる日立製作所にあって、関東から遠く離れた山口県下松に事業拠点を構えるのは、日立鉱山(久原鉱業所)の創業者であり、「鉱山王」の異名を取った久原房之助の一大構想に由来する。

久原鉱業所の成功で一財を成した房之助は、自分の郷里である山口県に於いて一大プロジェクトを描いて
いた。それは山口県都濃郡下松町(現在の下松市)から都濃郡太華村(現在の周南市櫛浜)にかけての
周防灘沿岸一帯を埋め立て、一大工業地帯とすることであった。その著として、久原は自ら造船業に
乗り出すことになり、1915年(大正4年)に日本汽船株式会社を立ち上げることとなる。
創業当初の日本汽船は好調を極め「造った船はでき上がるまでに何層倍の高値で、羽が生えたように
飛んでいった」といわれるほどであった。

しかしその一方で、造船業以外にも事業を急拡大させた房之助は第一次世界大戦の終結をきっかけに
一転苦境に陥ることとなる。前述のプロジェクトを実現させるべく1919年(大正8年)に下松の埋立地にて
日本汽船笠戸造船所の操業を開始するも、早くも翌々年の1921年(大正10年)には房之助の元から
独立を果たしていた小平浪平率いる日立製作所が日本汽船笠戸造船所を取得することとなり、
ここに笠戸は日立傘下の製造拠点の一つとなったのである。なお、房之助自身も1928年には
久原鉱業所の社長の座を義兄である鮎川義介に譲り、経営の一線から退き、政界に転身している。

造船を手がけていなかった日立は、笠戸造船所の施設を「笠戸工場」として鉄道車両の製作に
振り向けることとなり(1920年にはタンク式蒸気機関車の製造実績があったという)、
3年後の1924年(大正13年)に国産第1号となる大型機関車である国鉄ED15形電気機関車を完成させ
(笠戸工場は機械部分を担当)、日立の鉄道車両造りの歴史が始まることになる。
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by kfujiken2 | 2012-07-14 08:37 | 未分類 | Comments(0)
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