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戦艦「大和」

戦艦「大和」は、艦隊決戦の切り札となるべく、
昭和12年11月4日に呉海軍工廠において起工された。
大和は対米英開戦直後の昭和16年12月16日に海軍に引き渡されて竣工、
第一戦隊に編入された。
昭和17年2月には、これまで12年間にわたり連合艦隊の旗艦を務めた
「長門」から旗艦の地位を譲り受け山本五十六長官の将旗を掲げる事となった。

昭和20年4月1日に米軍が沖縄上陸した事から水上特攻部隊として出撃し、
生還を望まない攻撃に出発した。
大和は昭和20年4月6日に出撃したが、翌7日に米艦載機386機による波状攻撃を受け、
爆弾6発、魚雷10本以上を受け、
九州坊ノ岬沖90海里の地点で2498名の乗組員と共に海底深く沈没したのである。
この時の主砲は27発しか発射されなかった。

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長さ263メートルというと東京駅位の長さに匹敵し、
いわば鋼鉄製の東京駅が海に浮かんだようなもの。
しかし、排水量に比較すると、「小さい」戦艦であった。
46センチ主砲を装備した上で、
いかにコンパクトにするかでかなりの苦心があったという。

46センチ主砲・・・正式名称94式45口径46センチ砲。
当時世界最大の主砲。射程距離は実に42キロメートルというもので、
砲弾は、長さ約2メートル、重さは1.46トンという巨大さであった。
一発撃つのに使う火薬の量は330キロ。
撃ちだされた砲弾は、時速2,808Km(秒速780m)という速さで飛び出し、
砲身の内側に刻まれたライフルにより、1分間に60回転しながら飛んでいき、
遙か水平線の彼方の敵艦を攻撃する事ができた。
これだけの大口径の主砲は後にも先にも大和型戦艦のみであった。
3連装の砲塔一基の重さは2510トンで駆逐艦一隻分の重さにあたる。
しかし大和はその生涯で主砲は合計311発しか撃てなかった。
使用された46センチ砲弾は、対艦用の91式徹甲弾、
そして対航空機用の零式通常弾、3式通常弾の3種類で、
徹甲弾は、目標の手前で着水してもそのまま水中を直進して
艦腹に当たるような工夫がされていた。


最近完成した「大和ミュージアム」には 映画のロケに使用されたのらしいですが
設計図や写真、潜水調査水中映像などをもとに,可能な限り詳細に再現しました
実物の10分の1 全長26.3メートルも戦艦「大和」が展示されています。

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by kfujiken2 | 2005-08-28 12:06 | 未分類 | Comments(0)
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