長州より発信 |
カテゴリ
リンク
以前の記事
最新の記事
ブログジャンル
|
その人の名は、松村義一先生です。
【昭和の吉田松陰】と言われた〔松村義一〕 Part2でご紹介した下松市出身の著名人・松村義一先生です。 http://kfujiken2.exblog.jp/15988033/ GHQの誤解がなかったなら、又もう少し寛容だったら松村義一内務大臣か 松村義一下松市長は実現していただろう! 元下松市長 4代石井成就氏の前任者として誕生していただろう??? つまり詳しく説明をすれば・・・ 頑固な平和主義者、徹底した議会主義者であり、あれほどの識見・才幹を持ちながら、 戦前・戦後を通じて台閣に列したこともなく、大政翼賛会に関係したこともなく、 いわゆる公職追放を受けるにはおよそ縁のない政治家であった。 その人があに計らんや、マッカーサー司令部の覚書によって公職追放の処分を 受けようとは・・・ 終戦後の第一次吉田内閣組閣の時、内務大臣に推挙されたのであるが、 米軍の意図で制定させた帝国憲法改正の草案に異議を主張した為、 内務大臣の顕職を棒に振り、且つその上に追放の憂目に遭ったのである。 これ又融通のきかない一徹であったようだ。 地元下松市では、大臣をやられないのなら地元・下松市の市長になって貰うという ことになり話が進んだら、今度は公職追放命令が出され、市長就任も駄目になって しまった。 松村義一先生のお墓を見つけました。 義一先生のお墓は、戦国大名毛利輝元の側室であり、 徳山藩初代藩主・毛利就隆の生母「二の丸様」の菩提寺である 下松市中市の周慶寺の墓所の中央辺りににあります。 竿石に刻まれた文字が異体字で刻まれているのは、古風な義一先生らしいです。 ※ 異体字とは・・・字義(漢字の意味)、字音(文字の発音)が等しい同一の字種でありながら、互いに異なる字体を有する文字を異体字と呼ぶ。 「枩」は松の異体字です。 木:はボクと読み、個人を意味します;すなわち私 公:はキミと読み、公(おおやけ)を意味します;すなわち貴方、貴女 「松という字をほどいてみれば、公(キミ)と木(ボク)との二人連れ」 すなわち、世の中は(公は)一人では成り立ちません。 一人一人が分に応じた存在意義を自覚し、コミュニティーが形成されます。 一人づつが、しっかりした根をはり、寄り合って、そして大樹を支えます。 根が強すぎると幹や枝に栄養が回り過ぎ花が咲かず、根が弱いと木が育たない、 とも言われます。 白鶴が飛来してくるような立派な松に育つには、「木と公」が仲良く寄り添い 木は公のために公は木のために、協力してこそ成り立ちます。 【松村家墓誌】 義一先生の左隣に刻まれている 【好子】さんは奥様です。
by kfujiken2
| 2013-09-12 09:32
| 歴史
|
Comments(1)
|
フォロー中のブログ
コバチャンのBLOG つれづれなるままに 四季折々 時の流れのままに 風に吹かれて~🎵 In one¥’s tr... 坂の上のサインボード 月の沙漠を toriko 雲母(KIRA)の舟に乗って 風の便り ハンドメイドの時間 S... Sauntering photo & 575 ?わっきゃーわからん sweet+ 静かな時間 やいやい畑 俺の心旅 元気ばばの青春日記 気持... Photo Terrace 今が一番 鏡花水月 Weblog : ちー3歩 Ⅱ 獺祭亭日乗 心はいつもそばにいてね なんでもブログ2 今日より明日良い事に出会... 薫の時の記憶 画像一覧
|
ファン申請 |
||