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浄土真宗のお盆について

◆ お盆の由来とは>

お盆は、太陰太陽暦である和暦(天保暦など旧暦という)の7月15日を中心に
日本で行なわれる、祖先の霊を祀る一連の行事。

一般に仏教の行事と認識されているが、仏教の教義で説明できない部分も多い。古神道における先祖供養の儀式や神事を、江戸幕府が庶民に強いた檀家制度により仏教式で行う事も強制し、仏教行事の「盂蘭盆」(うらぼん)が習合して現在の形が出来たとされる。


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『仏説盂蘭盆経』から起こったものです。
このお経にどんなことが説かれているのか、お盆の由来について簡単にご紹介しましょう。
お釈迦さまの十大弟子の一人に目連(もくれん)という人がありました。目連尊者は神通力第一と言われ、特に孝心の深い人でした。
その目連が神通自在力を得て三世を観ました時に、痛ましいことに亡き母が餓鬼道に堕ちて苦しんでいることが分かりました。
彼は深く悲しんで、直ちに鉢に飯を盛って母に捧げましたが、
喜んで母がそれを食べようとすると、たちまちその飯は火炎と燃え上がり、どうしても食べることができません。 鉢を投げ捨てて泣き崩れる母を目連は悲しみ 「どうしたら、母を救うことができましょうか」
とお釈迦様にお尋ねしました。
その時、お釈迦様は、
「それは、そなた一人の力ではどうにもならぬ。この7月15日に、飯、百味、五果などの珍味を十方の大徳衆僧に供養しなさい。
布施の功徳は大きいから母は餓鬼道の苦難から免れるであろう」 と教導されました。
目連尊者が、お釈迦様の仰せに順ったところ、母はたちどころに餓鬼道から天上界に浮かぶことができ、喜びのあまり踊ったのが盆踊りの始まりだと言う人もあります。
盂蘭盆(うらぼん)は、この目連尊者の故事から先祖供養の日となって今日のお盆に続いているのですが、一体これは、私たちに何を教えているのか、味わってみましょう。

親鸞聖人は、 「煩悩具足の凡夫・火宅無常の世界は、万のこと皆もってそらごと・たわごと・真実あることなきに、ただ念仏のみぞまことにておわします」
(歎異抄)

“火宅のような不安なこの世界に住む、煩悩にまみれた人間のすべては、そらごと、たわごとばかりで、真実は一つもない。ただ弥陀より賜った念仏のみが、まことである” と仰っています。

キリのある身命を持ちながら、キリのない欲を満たしてから仏法を聞こうと思っている人のいかに多いことでしょう。
皆倒さに懸かっているものばかりです。
だから、金もあり、財産もあり、名誉、地位もあり、妻子ある者は、
それらによって苦しみ、それらの無いものは、それらを求めて悩んでいるのです。
有るも苦なら無いも苦です。
無ければ欲しい、あっても欲しい、欲しい欲しいと飢え続け、渇き続け、ウラミ続け、満足ということを知らず、苦しんでいる餓鬼ばかりが充満しています。

すべての考えが顛倒していますから、四方八方ただ愁嘆の声のみが満ち満ちているのです。
まさしくこれが餓鬼道の姿です。
物を求め、物を惜しみ、闘争諍乱の世界、この深刻な現実の自己を凝視する時、餓鬼こそ自己の実相であることに驚くのです。
亡き先祖のことばかりを案じて、わが身が餓鬼であることを忘れています。

お盆は亡き先祖を救う日ではなく、今、現に倒さに懸かって飢え、渇き、苦しみ続けて、未来永劫、流転しようとしている私自身を救う、聞法精進の日であることを忘れてはならないでしょう。

◆ 浄土真宗に限らず先祖の霊を迎える仏事はない


お盆といえば、一般には、地獄の釜の蓋(ふた)が開いて、先祖の霊が帰って来る日とされ、迎え火で迎え、送り火で故人の霊を送るのが風習となっています。
お盆になると、精霊棚を設け、盆提灯を飾り、精霊馬(ナスやキュウリを動物に見立てたもの)を用意したり、お盆の行事が行われる地域もあります。

浄土真宗では、お盆だからといって、盆提灯を飾ったり、先祖の霊のために迎え火や送り火を焚いたり、精霊棚、精霊馬を用意したりするようなことは一切、致しません。

盆になると地獄の釜の蓋が開いて、先祖の霊が帰って来る、という教えは、もともと仏教にはありません。ですから、浄土真宗に限らず、すべての仏教において、先祖の霊を迎えるような仏事は存在しないのです。
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by kfujiken2 | 2014-08-13 09:39 | 未分類 | Comments(0)
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