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内助の功

NHK連続テレビ小説「マッサン」を観て、妻・リタの内助の功を無くしてニッカウヰスキーは
生まれなかったと感じます。
その内助の功を外人の妻が・・・義理や人情が分からない外人に、
内助の功が理解出来たのでしょうか?


夢に生きた男がいた。 夢を支えた愛があった。
「日本で本物のウイスキーをつくりたい」。
果てしない夢に生涯を捧げた、ニッカウヰスキー創業者・竹鶴政孝。
彼の傍にはいつも、ひとりのスコットランド女性の姿がありました。
彼女こそ、竹鶴の妻・リタ。
スコットランド留学中の竹鶴に出会ったリタは、
その真摯な情熱に魅かれ、彼と共に夢を追うことを選んだのです。
妥協することなく夢を追い続けた竹鶴。
愛をこめて彼を “マッサン” と呼び、共に生きたリタ。
ふたりの思いと情熱はニッカのウイスキーづくりにしっかりと受け継がれ、
未来を切り拓く力として生き続けます。


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プロポーズの時「スコットランドに残っても構わない」と言う竹鶴に、
「私はあなたの夢を共に生き、お手伝いしたいのです」と答えたリタ。
日本の生活に溶け込もうと努力を重ね、漬け物や塩辛まで手作りした彼女を、
人々は「日本人以上に日本人らしい」と評したほど。

当時は国際結婚は一般化しておらず、好奇の目に曝される厳しい時代。
外国人というだけで様々な苦難を乗り越え、夫を支え続けた一途な人生。

※ 当時の日本社会と国際結婚


明治~大正期にかけての日本は既に欧米文化が入ってきてはいたものの、
国際結婚など想像もつかないことでした。当時は見合い結婚が一般的で、
年長者や権力者、家長が中心となって互いの家柄や経済力、
健康状態などを考慮し、互いにふさわしいと判断すると当人同士が会い、
結婚に同意するという流れでした。

つまり、恋愛結婚そのものが少数派であった時代、しかも男尊女卑。
妻は家で黙々と夫を支え続けることが美徳とされた時代の人間にとって
国際結婚など考えられなかったのです。家族の反対や周囲からの風当たりの強さ、
好奇の目に曝されるなど様々な苦難があったと言われています。


因みに武家時代で内助の功のナンバー3と言えば
● 土佐国高知藩主・山内一豊の妻である見性院(千代)
● 豊臣秀吉の正室・北政所(ねね)
● 前田利家の正室・芳春院(まつ)

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by kfujiken2 | 2014-12-02 19:55 | 未分類 | Comments(0)
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