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山口県の歴史・風景・花や世相のトピックをお届けします

信念を貫き節を全うした稀に見る政治家・松村義一氏

昨今下松市長選で色々取り沙汰されていますが・・・
松村義一氏が就任していたならば???
元下松市長・4代石井成就氏の前任者として誕生していただろう!!!


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【松村義一氏が下松市長になれなかった理由】


昭和20年(1945年)の東京大空襲・3月10日に住まいが全焼した為、
故郷の下松市に帰り、昭和34年1月6日他界するまで下松市中市の自宅で
晩年を過ごしたそうです。


松村義一氏が下松市長になれなかった理由を語る前に、当時の世相の
説明を少ししましょう!


終戦後まもない昭和20年8月30日(1945年) 、連合国軍総司令官マッカーサ元帥が
厚木に到着、9月2日には米戦艦ミズリー号艦上で、日本政府代表重光葵が降伏文書に
調印、連合国最高司令官総司令部(GHQ)が東京に設置され、
日本の間接統治が開始された。
日本の国家体制を変革し、民主化を意図するGHQは、日本政府に対し民主化指令を次々に行い、実施を監視した。翌46年11月3日明治以来の欽定憲法に代わる日本国憲法が制定され、翌年5月3日をもって施工された。
46年1月GHQは、日本民主化の一環として、日本政府に対し公職追放を指令した。
その対象者は国家主義、軍国主義をもって戦時中指導的な立場にあった陸海軍幹部軍人・
政財界の首脳・大政翼賛会・在郷軍人会の幹部などであった。
同年110月指令は地方の公職にも拡大、適用され、戦時中から市町村長・県議会議員・
市町村議会議員・町内会長などの任に当たった者は、ほとんど辞職を余儀なくされた。
山口県では約3000人が公職追放された。


◆ ここで松村義一氏が下松市長就任する前に、内務大臣就任を辞退
したことについて述べましょう。


治家を志す人の中で権力欲・名誉欲の無い人はいないでしょう?
最終的には大臣に登りつめたいと、期待している人が殆どではないか!
自由党の総裁・鳩山一郎氏が内閣首班となることが決定的となった直前に公職追放になり、
吉田茂氏が自由党の総裁に選任され、組閣する事となった。鳩山一郎氏はかねてから
松村義一氏の戦前・戦中の信念的活躍を尊敬し、内務大臣就任を予定していたので、
吉田茂氏に対して松村義一氏を内務大臣に採用するよう推薦したのです。
ところが頑固な平和主義者、徹底した議会主義者であった松村義一氏は、
米軍の意図で制定させ幣原(しではら)内閣で決定している帝国憲法改正の草案に、
反対の意見を持っており吉田茂総裁などの態度に納得することができず、
内務大臣就任を辞退するとは、欲の無い男と言うよりも政治家には珍しい権力欲・名誉欲の
無い人で、信念の男であったということでしょう!!!


◆ 続いて松村義一氏が下松市長就任が駄目になった理由を話しましょう。

公職追放の波及が下松市にも及び、下松市長・田岡勝太郎氏もその一人で、
46年度の予算が成立した同年3月に退職した。
突然の市長の辞職で、国に後任市長の推薦を行っていなかったので、
内務大臣から下松市議会に対し、市長候補者を4月17日迄に推薦すべしという命令書が伝達された。下松市長代理助役・江口健介は、3月緊急市議会を召集、後任市長候補者の推薦を市議会に諮った。岩本亀三議長ほか6名の推薦委員は町内会長代表と折衝・協議を重ねた結果、戦後下松市中市に帰郷中の勅選貴族院議員・松村義一氏を、下松市長推薦候補者として4月市議会に諮り、全会一致で決定し直ちに内務大臣に推薦手続きをとった。
松村義一氏は帝国憲法改正の草案に異議を主張し、内務大臣就任を辞退して下松市長就任を決意した。
ところが内務大臣辞退理由が、新憲法に批判的だとしたGHQから6月に
SCAPIN1007号という特別指令を出された。
内容は松村義一氏を貴族院から排除し、全ての公職につくことを禁止するという
公職追放令であった。
GHQの誤解が原因で公職追放になった理由は、「大正15年警保局長在任中に
農民労働党の解散を命じ、京大の社会学研究会を解散して学生の検挙を行った。
このことにより、言論集会の自由を抑制し、日本の全体主義ファシスト国家への途を開いた」
というのである。宇山終戦連絡事務官兼貴族院書記官は、直ちに司令部を訪問して
日本のファッショ化と、戦争突入に反対して苦悩し続けた松村義一氏を追放するのは不当だと、抗議を申し入れたが聞き入れられなかった


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GHQは意に従わない松村義一氏を公職追放にしたいがために、
私的にですが、口実というか言い掛かりを付けたと私は思いたいです。・・・


※ ファッショとはイタリア語の語源で「ファシズム」を指し、(束、集団、結束)を意味する。
第一次大戦後に現れた全体主義的・排外的政治理念,またその政治体制。


◆ 参考文献   下松市史: 通史編 ・ 松村義一先生追想録
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by kfujiken2 | 2016-03-24 09:58 | 未分類 | Comments(0)
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