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長州より発信


山口県の歴史・風景・花や世相のトピックをお届けします
by fujiken
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長州藩と会津藩の真実・・・続き②

「遺体埋葬禁止令」の事実

会津藩士の子孫の間でも「遺体埋葬禁止」の命令があったと伝承され、深い怨念がいまだに残っています。
実は実際に「遺体埋葬禁止」ではなく「遺体埋葬の遅延」は生じていました。しかしそれは次の大きな理由から
です。

1.会津戦争当時の会津領内の治安の悪化、農民一揆や略奪の頻発による作業の遅延。
2.冬になり降雪が多く遺体の埋葬作業が遅れたこと。


遺体処理人(下賎)は金のある上級武士から埋葬していく。下級武士たちは貧しくて家族から金が貰えないので、なかなか手を付けようとしなかった。やがて1、2ヶ月も遺体が未処理のまま、会津に雪が降りはじめた。


会津藩の恨みの原因・・・偏見・欺瞞に満ちた『小説』


今の会津人に戊辰戦争のことが詳しく知らされていないのは、現在の会津史(会津観光史学)が歴史小説という虚偽の上に成立し歴史として正式な学会などに、全く認められていないことにある。
史実を捏造・隠蔽してまで“会津=善と、薩長=悪の対立”という構図を強調し「怨念史観」により“市場活性化”をはかり金儲けしようという行為は許されない。客観的にみて、会津VS薩長を本気で思いこんでいる人々は真実を知らず、歴史小説に感化された人々だといえる。

会津と長州の対立が騒がれるようになったのは昭和60年代の新人物往来社の「歴史読本」のキャンペーンと、
司馬遼太郎が会津でシンポを行ったのが起因。
更に当時会津若松市の観光部長であった故宮崎十三八氏と白虎隊記念館長 故早川喜代治氏が「観光の目玉にと」と会津が今でも山口・鹿児島に恨みを持つような観光キャンペーンをはるようになったのが発端。
更に、会津びいきの作家(早乙女・星・宮崎各氏)による史実歪曲が、史実を知らない一般の人々を洗脳し、薩長は悪とレッテルを貼ってしまった。
しかし会津にも会津の史実を正確に伝え、会津の観光史学を批判し指摘している研究者・作家も存在する(野口・畑・牧野各氏)。だが、残念なことに現在地元では会津びいきの作家が支持され、現在の観光にも生かされてるのが実情である。

会津士魂とか「什の掟・ならぬことはならぬ」とか言いながら、その掟を破り 三、虚言をいう  四、卑怯な振舞をする  五、弱い者をいぢめる 今の会津人は鹿児島・山口に対して以上のことを行っている。
また、毎年9月日本史を改ざんしてる福島県会津地方で毎年行われている日本唯一の怨念祭です。
会津新撰組祭りで「馬鹿め薩長!」と言いながら薩長武士役を切り殺すことをやっている。
薩長差別は古い人たちから現世代へと確実に引き継がれている。


会津新撰組祭り
長州藩と会津藩の真実・・・続き②_d0061579_1022395.jpg


什の掟(じゅうのおきて)とは・・・


会津藩では藩士の子弟を教育する「什(じゅう)」という組織があり、6歳から9歳まで10人前後の集まりで、年長者が一人什長と呼ばれるリーダーとなった。什では毎日順番に、仲間の家に集まり、什長が7カ条の「什の掟(おきて)」を訓示する。什長が一条ずつ「お話」を申し聞かせ、「ならぬことはならぬものです」と結んだ後には、反省会へと移る。

一、年長者の言ふことに背いてはなりませぬ
二、年長者には御辞儀をしなければなりませぬ
三、虚言を言ふ事はなりませぬ
四、卑怯な振舞をしてはなりませぬ
五、弱い者をいぢめてはなりませぬ
六、戸外で物を食べてはなりませぬ
七、戸外で婦人と言葉を交えてはなりませぬ

六歳から九歳の子どもたちが、大人には頼らずに、自分たちだけで規範意識をもって、このような一連の仕組みを編み出すとは、妥協のないペナルティが責任感を育たのではないか?




by kfujiken2 | 2016-12-01 10:10 | 歴史 | Comments(1)
Commented by kyotoshiryo at 2023-05-10 08:06 x
2023-5-10 拝見しました。
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