「世界遺産 ポンペイの壁画展」

日伊国交樹立150周年の展覧会です。
d0061579_16242310.jpg
ポンペイはイタリア・ナポリ近郊にあった古代都市で、ローマ人の余暇地として繁栄し最盛期の人口は約2万人といわれる。文化水準は非常に高く、上水道完備の大邸宅、公共浴場、劇場、円形の闘技場、運動場、宗教施設(集会所)など、社会インフラはヨーロッパの産業革命前とほぼ同レベルの高い水準を誇っていたそうです。当時の壁画は、公共系の建築物だけでなく、少し裕福な一般家庭の住宅内も、まるで宮殿のように壁一面を彩っていたそうです。ギリシャ文化の影響を強く受けた、ヘレニズム世界での古代神話の様々な場面をモチーフに描かれています。
d0061579_16302367.jpg
d0061579_16310044.jpg
d0061579_16312708.jpg
ポンペイの壁画が豊かな色彩を失わなかった秘密は、この街を襲った悲劇にあった。西暦79年8月24日、町の北西 10 kmにあるヴェスヴィオ火山の噴火により押し寄せた火砕流や有毒ガスが、ポンペイの人々の命を次々と奪っていった。一瞬にして5メートルの深さに町全体を飲み込んだ火砕流が、当時の人々の生活をそのままの状態で保存した。火山灰を主体とする火砕流堆積物には乾燥剤として用いられるシリカゲルに似た成分が含まれ、湿気を吸収した。この火山灰が町全体を隙間なく埋め尽くしたため、壁画や美術品の劣化が最小限に食い止められたのであった。

ポンペイの壁画は壁に漆喰を塗って、乾かないうちに顔料を水で溶いた絵の具で描くと漆喰に色が染み込み壁と一体となって色が落ちなくなる。だから素早く絵を描かなくてはいけないし、描き直しができない。技術を要し、親方と弟子で役割分担して描いたそうです。

紀元79年といえば、日本で言えば、まだ弥生時代に入ったばかり。狩猟採集生活から、ようやく稲作を始めたころの話ですから、こうして、壁画一つ見ていても、当時のポンペイの文明レベルの高さには驚かされます。

[PR]

by kfujiken2 | 2017-02-07 16:44 | 歴史 | Comments(0)