謎の宮原古墳

宮原古墳の概要

末武川右岸の和田丘陵台地にある円形墳で、昭和四十七年に調査された宮原遺跡の南にある。
巨石で築造された羨道(せんどう)、玄室(げんしつ)などをもつ古墳時代後期の片袖(かたそで)横穴式石室墳で、
大正年間調査され石棺、馬具類、須恵器(すえき)が出しました。


◆ 羨道(せんどう)・・・古墳の横穴式石室(墳丘側面から出入りする構造の石室)や横穴墓など横穴系埋葬施設において、
棺を納めて遺体を安置する主室ともいうべき玄室(げんしつ)と外部とを結ぶトンネル状の墓道的部分をさし、
入口は一般に羨門と呼ばれる。
◆ 玄室(げんしつ)・・・、横穴式石室や横穴の死者を埋葬する墓室をいう。
◆ 宮原遺跡は弥生時代前期後半・後期後半、古墳時代後期の複合遺跡です。2つの環濠集落からなり、
木葉文のない弥生土器が数多く出土しました。 

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(宮原古墳内部略図)
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丘陵台地を20m位登るとフラットな平地になります。
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田布施の後井(ごい)古墳・国森古墳や柳井市の茶臼山古墳・平生の神花山古墳は女帝の墓と言われていますが、下松市洲鼻にあった宮の洲古墳や宮原古墳は、豪族の首長墓とあるが被葬者は誰?皇帝だったか女帝だったか分からない・・・ 
つまり埋葬者が男だったか女だったか分からないということです。



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by kfujiken2 | 2017-02-19 16:10 | 歴史 | Comments(0)