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山口市大内出身で日産コンツェルン創始者・鮎川義介(1880~1967年)を紹介する企画展が、没後50年の節目を記念し、菜香亭で開催されています。
鮎川義介は元長州藩士で官吏などを務めた父、明治の元勲・井上馨の姪を母として山口県山口市で生まれた。裕福な家庭ではなかったものの、大叔父の井上に将来はエンジニアになれと勧められ、旧制山口高校から東京帝国大学工科大学機械科へ進学。井上邸から通学していたとき、出入りする多くの政財界人と接して進んで使われてみようという人物はいなかったと述べている。 「元来、生物だけが意識をもっているとおもうのは人間の錯覚で、神は万物にそれを与えている。それを善用できるのは、“愛のつながり”以外にはない」。これはかつて“重工業王”といわれた男がいった言葉である。これは会社というものを“生きもの”としてとらえた、いかにも日本人らしい企業観だ。その人物は、あくまでも現場主義にこだわり、日本の “伝統的人情” というものを忘れなかったベンチャーのさきがけであった。 日産コンツェルンを一代で築いた鮎川義介(1880-1967)は一介の見習い工として出発した。文字どおり現場で汗を流し、機械製造の基礎となる鋳物づくりを学んだ。国内のレベルに限界を感じると渡米して工場労働者となり、最新の技術を習得する。鮎川が名門の家系や優秀な学歴を隠して重労働に身を投じたのは「いずれは自分で経営をしたい。そのためには現場を知りたいので一から出発したほうがよい」と判断したからだ。 あえて困難な道を選んだ鮎川は紆余曲折を経ながらも志を果たし、自動車、家電、水産などの分野で三井・三菱の両財閥を凌ぐ独自の企業集団を形成していく。誰よりも現場で格闘したという原体験が苦境のときでも鮎川を奮い立たせる強靭な底力となっていた。 こうした行動形態をとる人物が意外と多い。かれらに共通するのは、それまでに積み上げたキャリアをかなぐり 捨て、新しい世界で自分の道をきりひらいているということである。 「キャリアアップ」などという概念はかれらにはなく、スタートラインに立つことで見えてくるものがあることを知って いるのだろう。「人間には反発心が大切である」「経験は蓄積資本である」と義介自身は語る。 鮎川義介が晩年に趣味として始めた墨絵です。
by kfujiken2
| 2017-03-14 11:48
| 歴史
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