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金魚ちょうちん祭り

8月13日の「金魚ちょうちん祭り」に向けて、あちこちで金魚ちょうちんの飾りつけの準備が進んでるようです。

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赤と白のすっきりとした胴体に、パッチリと黒い目を開いたおどけた顔の「金魚ちょうちん」。
割り竹で組んだ骨組みに和紙を貼り、赤と黒の染料で色付けして作られ、今では夏の風物詩として、
白壁の町並みにも彩りを添えています。
柳井いろはかるたにも「軒にゆらゆら 金魚ちょうちん」と詠まれ、大きなしっぽの赤い金魚は、
どこかユーモラスで人々に愛されています。
愛嬌のあるその姿は、全国民芸品番付でも上位にランクされるなど、山口県の代表的な民芸品
として成長しました。

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JR柳井駅中央ホールに全長4メートル、胴回り3メートルで、通常サイズの10倍にあるそうです。
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明治・大正時代のオシャレな雰囲気が漂う麗都路(れとろ)通り。
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●金魚ちょうちんの由来●


江戸時代から明治にかけて、柳井津金屋でロウソク屋を営んでいた熊谷林三郎(さかい屋)という人が、
青森のねぶたにヒントを得て、伝統織物「柳井縞」の染料を用いて「金魚ちょうちん」を創始したと一説には
いわれています。林三郎の死後は、息子の定治が宮本の姓となり、看板屋を営みながら「金魚ちょうちん」を
作り、二代目となりました。
そして定治の息子も看板屋を営みながら「金魚ちょうちん」を作り、三代目となりましたが、その息子は福田の
姓となって小間物屋を営み、「金魚ちょうちん」は作りませんでした。
そこで本町通りで、洗い張り業をしていた長和定二という人が、三代目から作り方を習い、四代目となりました。四代目は第二次世界大戦頃まで「金魚ちょうちん」を作っていましたが、その後は作らなくなり途絶えて
いました。しかし、四代目が昭和37年に他界される直前に、文献により柳井に昔「金魚ちょうちん」というものがあったことを知った周防大島町小松に住む上領芳宏さんが、四代目が光市大和町岩田に生存している
ことを知り、「金魚ちょうちん」を復活させ五代目となりました。昭和37年7月のことです。
独自の技法を加えて今日の美しい金魚ちょうちんを完成させたのは、この上領芳宏さんです。
「金魚ちょうちん」は、古くは多くの家々でおとなが作って子供に与えていました。
また、氏神様の祭礼などの「お迎えちょうちん」の中に交じって、彩をそえていたそうです。
昭和期に発行された日本郷土玩具番付(日本郷土玩具の会)等でも上位にランクされるなど、
山口県の代表的な民芸品にまで成長しました。


柳井商工会議所の【やないの魅力伝え隊】のホームページを引用させて頂きました。
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by kfujiken2 | 2017-07-30 07:58 | 未分類 | Comments(0)
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