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江戸時代塩田の歴史遺構・柳井市「天津橋」

柳井市は度々お邪魔しているのですが、金魚ちょうちんの撮影に行った時、
何か歴史的に珍しいものはないかとネットで調べていると、江戸時代塩田の
歴史遺構の橋があることを知りました。


慶応元年に改修された「天津橋」は、ビジコム柳井スタジアム(柳井市民球場)の敷地内に移設、一般公開されている。天津橋は花こう岩を組んだ石橋で全長約15メートル、幅1・8メートル。川の両岸から桁石(けたいし)を斜めに張り出し、桁石の先端に橋桁の石を乗せ架橋する刎橋(はねばし)構造で、橋脚がないのが特徴だ。


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構造のイラスト図面です

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◆ 柳井市ホームページよりお借りしました ◆

両岸から桁石(けたいし)を斜めに張り出し、桁石の先端に橋桁の石を乗せ架橋する
刎橋(はねばし)構造

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橋が架けられた柳井浜は、江戸時代の1810年に柳井川河口を開発した塩田で
総面積は約24ヘクタールあった。東浜と西浜に分かれ、両浜の間には海水を取り
入れると共に釜をたく木材を運び入れ、塩を搬出する堀川(中川)が設けられた。
両浜を結ぶ天津橋は当初は木製の橋だったが、文政13年(1830)に石橋に架け
替えられ、現存する橋は慶応元年(1865)年に改修されたものである。
上荷船の通行のために、橋脚を設置しない、弓を張った形をなす張出し式の石橋である。
橋脚がないことから地元では「幽霊橋」と呼ばれ親しまれてきた。
柳井浜は、昭和34年の塩業整備臨時措置法の成立を機に製塩業を廃止することと
なった。そして昭和39年に日立製作所が柳井へ進出するに伴って、塩田及び中川は
埋め立てられた。
天津橋は、その後に進出した(株)ルネサス柳井セミコンダクタの工場敷地内に存続し
続けた。


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昭和30年ころの堀川に架かる天津橋
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by kfujiken2 | 2017-08-01 10:48 | 歴史 | Comments(0)
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