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山口県の歴史・風景・花や世相のトピックをお届けします

「弾除け神社(三坂神社)」

戦時中、山口県徳地に「弾除け神社(三坂神社)」と呼ばれた神社があります。
戦地での無事を願って家族が、本人に内緒で写真を奉納し送り出したそうです。


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明治8年(1875年)、郷社に列し日清・日露戦争の際、三坂神社に武運長久を祈願した人が
全員無事に帰還したことが報道され、「弾除けの神」として有名になった。
大正8年(1919年)、県社に昇格。昭和になり、日中戦争以降、武運長久祈願のための参拝者が激増、
最高で1日に880人が祈願したそうです。
終戦後、参拝者名簿は事前に焼却し、祈願写真は隣家の床下に隠して無事なものもあり、
その数一万数千枚に達したらしい・・・

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三坂神社は大きな神社ではないが、『周防徳地誌』に万葉集に「千早振る神の三坂に
幣奉り祝ふいのちはおも父がため」と詠まれており、、正一位を授かり、豊臣秀吉公が
三坂神社に参り五色の吹貫等を献納し、参道の石畳は足利尊氏が敷いたと記述が
あるそうです。
由緒ある神社ですよ~~~
現在は石が風化して刻まれた文字は読むことが出来ませんが、
二ノ鳥居の銘に「延書式内三坂神社(中略)大江侍従吉広元禄十一年(1698年)戊陽月」とあり、長州藩4代藩主毛利吉広の寄進であったことが分る。


足利尊氏が敷いたという参道の石畳
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長州藩4代藩主毛利吉広の寄進したという二ノ鳥居
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幕末の文久元年(1861年)に現在の拝殿が建てられたが、本殿・幣殿は昔のまま様です。
それに左上に本殿が見えますが、拝殿からの続きになっているようで中を見ることは出来ません!


社殿の全景と拝殿
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神徳顕彰碑
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by kfujiken2 | 2017-08-14 15:53 | 歴史 | Comments(0)
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