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10月29日(日)ホテルサンルート徳山にて、加来耕三先生の維新150周年によせて
「乃木希典と児玉源太郎」をテーマの文化講演会があります。 応募したら招待券が送って来ました。どんな話をされるのか楽しみです。 因みに乃木希典と児玉源太郎の紹介を簡単に・・・ 乃木希典は、嘉永2(1849)年11月11日に、長州藩の支藩である長府藩の藩士・乃木希次(馬廻、80石)の三男として、江戸の長府藩上屋敷に生まれた。 児玉源太郎は、嘉永5(1852)年2月25日に、周防国都濃郡徳山村(現・山口県周南市)に、 長州藩の支藩徳山藩の中級武士(百石)児玉半九郎の長男として生まれる。 二人は長州藩の支藩である長府藩と徳山藩士の子供で、3歳違いの長州人の先輩・ 後輩の関係です。 二人の逸話を簡単に!!! 児玉源太郎は満州軍総司令官大山巌の承認を得て、第3軍司令官・乃木希典大将の指揮権に介入し、作戦を成功に導いたとされる。源太郎は、歩兵のみでは二〇三高地を落とせないことを理解しており、 砲兵兵の柔軟で集中した運用を図ります。 一般に知られている説によれば、明治37年(1904年)12月5日、源太郎は乃木が攻めあぐねていた203高地に対し、火力の集中という要塞攻撃の常道を行うため、もともと海岸防衛用の恒久据え付け 砲で移動が困難な28センチ榴弾砲を、敵陣に接近した場所まで1日で配置転換を行うという、 奇抜な作戦を取ったとされる。 そして重砲の援護射撃の下、歩兵による突撃を同時に行い半日で陥落させた。 さらに203高地に弾着観測所を設置し、砲兵の専門家の助言を無視して203高地越えに、 旅順湾内のロシア旅順艦隊に28センチ砲で砲撃を加え、敵艦隊は壊滅した。
by kfujiken2
| 2017-10-24 12:12
| 未分類
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