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長州より発信


山口県の歴史・風景・花や世相のトピックをお届けします
by fujiken
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乃木希典と児玉源太郎

10月29日(日)ホテルサンルート徳山にて、加来耕三先生の維新150周年によせて
「乃木希典と児玉源太郎」をテーマの文化講演会があります。

応募したら招待券が送って来ました。どんな話をされるのか楽しみです。


乃木希典と児玉源太郎_d0061579_11531181.jpg乃木希典と児玉源太郎_d0061579_115409.jpg





























































因みに乃木希典と児玉源太郎の紹介を簡単に・・・
乃木希典は、嘉永2(1849)年11月11日に、長州藩の支藩である長府藩の藩士・乃木希次(馬廻、80石)の三男として、江戸の長府藩上屋敷に生まれた。

乃木希典と児玉源太郎_d0061579_1202972.jpg


児玉源太郎は、嘉永5(1852)年2月25日に、周防国都濃郡徳山村(現・山口県周南市)に、
長州藩の支藩徳山藩の中級武士(百石)児玉半九郎の長男として生まれる。


乃木希典と児玉源太郎_d0061579_12130100.jpg


二人は長州藩の支藩である長府藩と徳山藩士の子供で、3歳違いの長州人の先輩・
後輩の関係です。



二人の逸話を簡単に!!!

児玉源太郎は満州軍総司令官大山巌の承認を得て、第3軍司令官・乃木希典大将の指揮権に介入し、作戦を成功に導いたとされる。源太郎は、歩兵のみでは二〇三高地を落とせないことを理解しており、
砲兵兵の柔軟で集中した運用を図ります。
一般に知られている説によれば、明治37年(1904年)12月5日、源太郎は乃木が攻めあぐねていた203高地に対し、火力の集中という要塞攻撃の常道を行うため、もともと海岸防衛用の恒久据え付け
砲で移動が困難な28センチ榴弾砲を、敵陣に接近した場所まで1日で配置転換を行うという、
奇抜な作戦を取ったとされる。
そして重砲の援護射撃の下、歩兵による突撃を同時に行い半日で陥落させた。
さらに203高地に弾着観測所を設置し、砲兵の専門家の助言を無視して203高地越えに、
旅順湾内のロシア旅順艦隊に28センチ砲で砲撃を加え、敵艦隊は壊滅した。

by kfujiken2 | 2017-10-24 12:12 | 未分類 | Comments(0)
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