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山口県の歴史・風景・花や世相のトピックをお届けします

カテゴリ:未分類( 175 )

憲法改正が兎や角いわれている昨今、我々国民にはピンとこない問題ですが、
あなたは真剣に考えられたことがありますか?
なぜ憲法を改正する必要があるのでしょうか? 憲法が改正されると、私たちの生活に
どんな影響があるのでしょうか?


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ちなみに立憲国家での憲法改正がドイツでは59回、アメリカが6回、フランスが27回、
イタリア、カナダなども10回以上なされています。他の先進国との比較という点で見ると、日本の0回というのは異例と言えるでしょう。
日本国憲法は改正するのが難しい「硬性憲法」で、1947年の施行以来、一度も改正されたことがありません。改正議論自体はこの約70年の間に何度も行われております。
先ずその真意は、作られた時代と現在では諸事情が違い、そぐわないと言うか対応出来ない為である。
「戦後GHQ(連合国軍最高司令官総司令部)のつくった憲法ではなく、日本国として独自の憲法を持つ」という点にあります。


※ 硬性憲法とは・・・憲法に関する論考において改正の困難さで各国の(広義の)憲法を二つに
分類した場合に、改正が困難な側に分類される憲法のこと。


憲法改正の条項は多数あると思いますが、特に問題点は第9条と第96条ではないかと
判断します。


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第9条・条文


1.日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動としての戦争を放棄し、武力による威嚇及び武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、
永久にこれを放棄する。

2.前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。


つまり、第1項で「戦争の放棄」、第2項で「戦力の不保持」と「交戦権の否認」を定めている。


【憲法第9条の改正草案】
この改正案で条文が下記のように変わる。

1.日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たるとしての戦争を放棄し、武力による威嚇及び武力の行使は、国際紛争を解決する手段として用いない。
2.前項の規定は、自衛権の発動を妨げるものではない。

第9条の二が補足される
わが国の平和と独立並びに国及び国民の安全を確保するため、内閣総理大臣を最高指揮官とする国防軍を保持する。


では第9条を改正するメリット・デメリットは・・・
◆ 憲法9条を改正するメリット
* 現状と憲法との相違をなくせる
* 自衛官の負担を減らし命を守れる
* 海外での邦人救出

◆ 憲法9条改正のデメリット
* 戦争ができる国になる
* 他国(米国)の戦争に参加させられる
* 徴兵制が復活する


※ 「戦争の放棄」という言葉が削られ、「安全保障」になる。「戦力は保持しない」「交戦権は認めない」という言葉も削られるけれど、一方で、「国防軍」を持つことが明記されている。

憲法第96条・・・日本国憲法の改正手続きについて定めた条文です。

各議院の総議員の三分の二以上の賛成で、国会が、これを発議し、国民に提案してその承認を経なければならない。この承認には、特別の国民投票又は国会の定める選挙の際行はれる投票において、その過半数の賛成を必要とする。
憲法改正について前項の承認を経たときは、天皇は、国民の名で、この憲法と一体を成すものとして、直ちにこれを公布する。



【憲法第96条改正草案】 この改正案で条文が下記のように変わる。

衆議院又は参議院の議員の発議により、両議院のそれぞれの総議員の過半数の賛成で国会が議決し、国民に提案してその承認を得なければならない。この承認には、法律の定めるところにより行われる国民の投票において有効投票の過半数の賛成を必要とする。

※ グローバル化もめまぐるしく進んでおり、変化する時代にこれだけ憲法改正のハードルが高いと迅速かつ柔軟に対応できないので、緩和しょうというのが憲法改正の狙いである。
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by kfujiken2 | 2017-08-09 11:42 | 未分類 | Comments(3)
8月13日の「金魚ちょうちん祭り」に向けて、あちこちで金魚ちょうちんの飾りつけの準備が進んでるようです。

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赤と白のすっきりとした胴体に、パッチリと黒い目を開いたおどけた顔の「金魚ちょうちん」。
割り竹で組んだ骨組みに和紙を貼り、赤と黒の染料で色付けして作られ、今では夏の風物詩として、
白壁の町並みにも彩りを添えています。
柳井いろはかるたにも「軒にゆらゆら 金魚ちょうちん」と詠まれ、大きなしっぽの赤い金魚は、
どこかユーモラスで人々に愛されています。
愛嬌のあるその姿は、全国民芸品番付でも上位にランクされるなど、山口県の代表的な民芸品
として成長しました。

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JR柳井駅中央ホールに全長4メートル、胴回り3メートルで、通常サイズの10倍にあるそうです。
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明治・大正時代のオシャレな雰囲気が漂う麗都路(れとろ)通り。
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●金魚ちょうちんの由来●


江戸時代から明治にかけて、柳井津金屋でロウソク屋を営んでいた熊谷林三郎(さかい屋)という人が、
青森のねぶたにヒントを得て、伝統織物「柳井縞」の染料を用いて「金魚ちょうちん」を創始したと一説には
いわれています。林三郎の死後は、息子の定治が宮本の姓となり、看板屋を営みながら「金魚ちょうちん」を
作り、二代目となりました。
そして定治の息子も看板屋を営みながら「金魚ちょうちん」を作り、三代目となりましたが、その息子は福田の
姓となって小間物屋を営み、「金魚ちょうちん」は作りませんでした。
そこで本町通りで、洗い張り業をしていた長和定二という人が、三代目から作り方を習い、四代目となりました。四代目は第二次世界大戦頃まで「金魚ちょうちん」を作っていましたが、その後は作らなくなり途絶えて
いました。しかし、四代目が昭和37年に他界される直前に、文献により柳井に昔「金魚ちょうちん」というものがあったことを知った周防大島町小松に住む上領芳宏さんが、四代目が光市大和町岩田に生存している
ことを知り、「金魚ちょうちん」を復活させ五代目となりました。昭和37年7月のことです。
独自の技法を加えて今日の美しい金魚ちょうちんを完成させたのは、この上領芳宏さんです。
「金魚ちょうちん」は、古くは多くの家々でおとなが作って子供に与えていました。
また、氏神様の祭礼などの「お迎えちょうちん」の中に交じって、彩をそえていたそうです。
昭和期に発行された日本郷土玩具番付(日本郷土玩具の会)等でも上位にランクされるなど、
山口県の代表的な民芸品にまで成長しました。


柳井商工会議所の【やないの魅力伝え隊】のホームページを引用させて頂きました。
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by kfujiken2 | 2017-07-30 07:58 | 未分類 | Comments(0)
昨日、虹ケ浜海岸で第25回「サンドアートin光」が開催されました。

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サンドアートとは、干潮時に2時間程度出現する干潟を利用し、子どもから大人までが一緒になって、砂を素材とした作品を作りその出来栄えを競うものです。
大潮の日を選んで開催されるようですが、残念なことに昔と比べ虹ケ浜海岸の様相が随分変った様に思います。昔は波打ち際から砂浜の最上部までの幅(奥行き)の距離がもっとあった様に記憶しております。
砂浜の侵食があり幅が減ったのでしょうか???


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潮が完全に引き砂浜状態になり、側に近寄ってサンドアートが撮影出来ると、
広角レンズしか持って行かなかったのです。
あにはからんや 水深が深い訳ではありませんが海水に入らなければ会場の
砂浜まで行くことが出来ません!!!
慌てて望遠レンズを車まで取りに帰りました 疲れた 。・゜・(/Д`)・゜・。うわぁぁぁぁん


アトラクションで熟女と子供達のフラダンスが演じられました。

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by kfujiken2 | 2017-07-24 07:41 | 未分類 | Comments(0)
将棋の公式戦で一度も負けずに歴代最多の連勝記録に並んでいた中学3年生の藤井聡太四段が、26日、東京で行われた増田康宏四段との第30期 竜王戦決勝トーナメント の対局に勝ち、連勝を「29」に伸ばしました。藤井四段は連勝記録を30年ぶりに更新し、プロ1年目にして歴代単独1位となりました。

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記録抜かれた神谷八段は「天才が実力で抜いた」とコメントしており、師匠の杉本昌隆七段は
「大舞台で29連勝は驚がく」とコメントしています。
お笑いタレントの大竹まことさんが「調子に乗らすな」「誰かシメてやれ!」とテレビ番組で
発言し激しい批判を浴びているが、ネット上では素晴らしいことではあるが「偶然なのでは?」と、
藤井四段への疑問の声が挙がり始めています。
こうした背景には、藤井四段に関する報道の異常なフィーバーぶりにあるのではないでしょうか?
アマチュアの私はプロの将棋の内容を云々する気はないですが、14歳の中学三年生ですよ!!!
されど「AI」こと将棋ソフトを積極活用して急速に力をつけた「AI(人工知能)時代の申し子」で
新時代の棋士には間違いない・・・


第30期 竜王戦決勝棋譜
  このアンダーラインの第30期 竜王戦決勝棋譜をクリックすると将棋盤画面が出て来ます。左側の= 開始局面 = のスクロールを一番下に下げ *91▲3八飛 をクリックすると最終局面に変わります。

91手までの説明で終わっているので、僭越ながら初心者の私が超初心者の人に最後の詰みまでをご説明します。

◆ 増田四段が1九角成で香車(きょうしゃ)をとり、藤井四段が3四飛で金をとり
増田四段が3四同金で飛車をとり、藤井四段が5三金で王手、増田四段同銀で金をとり
藤井四段が5三馬成での詰み ◆

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by kfujiken2 | 2017-06-29 12:32 | 未分類 | Comments(0)
フランシスコ・ザビエルの来日400年記念として1952年(昭和27年)に建てられた。
初代の聖堂は、ザビエルの生家で、スペインのナバーラ州パンプローナ近郊にあるザビエル城を模して
建てられたもの、市民にも広く親しまれていた。しかし、1991年(平成3年)9月5日に失火により全焼。
サビエル記念聖堂の所有者であるイエズス会より多くの資金援助を受け、更に、種々の教会関係機関、
山口信徒、ならびに山口市民、全国から寄せられた善意の募金により1998年(平成10年)4月29日に
再建された。


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井戸端で説教するフランシスコザビエル
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大聖年の鐘
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クリスチャン記念館(博物館)の展示物
① 旧サビエル記念聖堂の鐘
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② ステンドガラス
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③ イグナチオ・ロヨラとリバデネイラの像

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④ 祭服
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隠れキリシタンの里 紫福(しぶき)
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聖堂(祈りの場)
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パイプオルガン
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長くなりましたので防府・英雲荘(三田尻御茶屋)は、明日にでもアップ致します。

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by kfujiken2 | 2017-06-13 15:46 | 未分類 | Comments(0)
森友学園問題は疑惑の発覚から3ヶ月でようやく全容が見えて来たとところですが、
新たな疑惑である加計学園問題の追及も連日国会で行われています。
加計学園問題は、国家戦略特区が安倍総理の友人に便宜を図るために悪用された
のではないかという疑惑です。


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第2次安倍内閣が「安倍の言論弾圧」などといわれているのも、長期政権の「暗黙の圧力」が強いからだ。
菅官房長官が内閣人事局を通じて各省の幹部600人の人事を決めるようになったことだという。
問題ごとに特命チームが組織され、官邸が党をバイパスして官僚機構を直接コントロールする
「政治主導」が実現したのだ。
政策的には、内閣支持率を高める要因はない。安倍氏は金融政策で「デフレ脱却」して景気を
劇的に回復させるつもりだったらしいが、物価はデフレに戻り、まもなく発表される
GDPの1Q速報値は4四半期連続でマイナスと予想され、経済は最悪だ。
安保法制でも失敗した。本来は内閣法制局の見解を変更して集団的自衛権を合憲とした上で、
国会で技術的な問題を審議する予定だったが、法案審議とは別の憲法審査会で自民党の参考人が
「集団的自衛権の行使は違憲」と述べたため、憲法論争が蒸し返されて国会が大混乱になってしまった。

しどろもどろの安部総理が今国会で16回も連呼した「印象操作」という言葉で逃避している。
つまり経済政策も政局運営もうまく行っていないのだが、内閣支持率は高い。政権を救っているのは、
【森友問題】・【加計問題】の疑惑の数々が徹底追及できないし、つまらない憲法論争しか争点の
出せない無能な野党である。


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国会答弁でよく分からない言葉

「国家戦略特区」
第二次安倍政権が進める新しい経済特別区域構想のことで、地域を限定した大胆な規制緩和や税制面の
優遇で民間投資を引き出し、“世界で一番ビジネスがしやすい環境”を創出するのが狙いです。
2013年6月に特区創設が閣議決定され、12月に成立した国家戦略特別区域法では医療や雇用、農業など
計六分野で規制の特例が認められました。いわゆるアベノミクスの“第三の矢”と呼ばれる成長戦略の
中核として期待されていますが、一方で、焦点の一つである雇用や働き方に関する規制緩和については
批判や抵抗が根強く、具体的な施策づくりに向けた議論の行方はいまだ不透明な情勢です。


「岩盤規制」

役所や業界団体などが改革に強く反対し、緩和や撤廃が容易にできない規制。
国家戦略特区は、何年も手がつけられなかった規制の岩盤にドリルで風穴を開ける制度だ。
この獣医学部の新設も、平成19年(2007年)の11月に(愛媛県)今治市などによって
構造改革特区として提案されて以来、長年、実現できなかった、まさに岩盤規制ではなかったか。


「印象操作」
第三者にたいし任意の人や物事に関して自分の都合のいい印象を与えようとする事。

* 「忖度(そんたく)した事実がないのに、まるで事実があるかとのことを言うのは典型的な印象操作なんですよ」
* 「我々がまるでうそをついているかのごとく、そういう印象操作をするのはやめていただきたい」


共産党の小池晃書記局長は、あんな言葉、どこで覚えたんですかね?と話した。
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by kfujiken2 | 2017-06-04 09:32 | 未分類 | Comments(1)
今朝  YAHOO!ニュースの “さよなら「流木ゴジラ」自主撤去へ” の記事を読み、早速行って来ました。

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海岸近くの社会福祉法人に勤める重山さんが1カ月ほどかけて漂着した流木を拾い集め、組み立てた。
現在は未完成で、全身に木ぎれをはり付け、夏までに完成させる予定だった。漂着ゴミや流木が押し
寄せる海岸で、「若い人たちに海岸美化に関心を持ってもらおう」と制作を続けたそうです。
だが、5メートルもの高さがあるゴジラの存在に気づいた県周南港湾管理事務所が、
倒壊の危険性を指摘。
今月いっぱいで、撤去されることになったそうですが、正に流木アート、芸術ですよ!!!
県周南港湾管理事務所も何か工夫を施し、保存を考えたらどうかなぁ~


足元には木片で作られている文字は、「祈 東日本九州熊本復興」です。

側面です
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正面側からです
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正面のアップ画像です

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重山さんが流木アートを始めたのは2015年から。
昔から「白砂青松」で知られる虹ケ浜海岸だが、漂着ゴミや流木が押し寄せ、夏場はほぼ毎日、市の委託業者が機械で清掃している。若い人たちに海岸の美化について関心を持ってもらうにはと、思いついたのが流木アートだったそうです。

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by kfujiken2 | 2017-05-26 19:33 | 未分類 | Comments(2)
光市の山口県スポーツ交流村・スポーツジムで運動の帰りに、虹ヶ浜が大変賑やかそうなので
寄ってみました。GWということで人も多いが、なんと!鯉のぼりの団体さんです。
「虹の鯉のぼりプロジェクト」が開催されていたんです。


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東日本大震災を忘れない為、そして津波の犠牲となった子どもたちへの鎮魂の思いを込めたプロジェクト。
2013年、地元の浅江中学校の生徒が「シンサイミライ交流会」に参加したことのご縁で賛同した「青い鯉のぼりプロジェクト」(宮城県東松島市で行われる、東日本大震災で犠牲になった子どもたちが天国で寂しくないよう青い鯉のぼりを掲げるプロジェクト。)
中学生たちの想いを大切に、私たちも鯉のぼりを集め、青い鯉のぼりは青い鯉のぼりプロジェクトに送り、残った真鯉、緋鯉を、お父さん、お母さんも見守ってるよという思いで、東松島市と空と海で繋がっている光市虹ケ浜に掲げます。


子供が鯉のぼりを捕まえ、砂浜に鯉のぼりの影が泳いでいます。
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一体何匹いるんでしょう???
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風が強く鯉のぼりがなびくと、まさに泳いでいるかのようです。
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by kfujiken2 | 2017-05-04 16:31 | 未分類 | Comments(0)
昨日英国向け高速鉄道車両の昼間陸送イベントが開催された。
(株)日立製作所笠戸事業所が製造している英国向け高速鉄道車両は、下松第2埠頭から
船で英国に出荷されており、同社から埠頭までは車道を使って陸上輸送(陸送)されています。
通常交通量の少ない夜間に行われている「陸送」を日中に行うのが今回のイベントでした。

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どの位の観客が居たのだろう??? 1万人は居たのかなぁ~と思っていましたが、
今朝のテレビニュースを観て驚きました なんと3万人の観客だって!!!


14時から日立製作所笠戸事業所を陸送スタートとポスターに記載してあるので
少し早いが12時位に家を出、観覧エリアの下松市民運動場(臨時駐車場)に行きました。
驚いたことに600台収容とあるが、約8割の車が既に駐車しており次々入っていました。


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12時頃の様子です。まだ観客はまばらです。
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沿道には既に折りたたみイスを広げ三脚を立て、又、ビニールシートに座り込み昼食を食べて
いる人も結構いましたが、まだ車輌が来る時間まで2時間半あると思い、とりあえず周りの様子とか
テントや大型映像装置搭載車(LED車)の画像を撮り、車で本を読みながら待機と決め込みました。
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そろそろ時間かなと気が付き時計を見ると1時30分・・・
沿道に出てみると驚きです!!!  居場所が無いほど人で溢れすし詰め状態です。
直ぐ様、第2公共埠頭の方へ移動しました。
しかし初めは前列に立っていたのですが子供や強引な人に押され、後に追いやられました。
下松清掃工場跡地のコンクリートスロープに立ち待ってました。

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結局 寒い思いをし長時間待ってちゃんとした写真も撮れず、何しに行ったか分からない一日でした。
過去下松市で狭い一ヶ所に、3万人も集まるイベントがあったでしょうか?




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by kfujiken2 | 2017-03-06 12:20 | 未分類 | Comments(0)
鮎川義介(あゆかわ よしすけ)の日立製作所笠戸工場と東洋鋼鈑への関与

先ず、日立製作所笠戸工場の創立に関与した鮎川義介について説明しましょう。

久原房之助が都濃郡下松町と太華村(現在の周南市櫛浜)の両町村にわたる沿岸を買収して世界的大工業都市の建設「下松計画」を立て、造船業と製鉄業に乗り出し、とりあえず造船業の日本汽船株式会社を立ち上げる。創業当初は好調を極めていたものの、第一次世界大戦の終結をきっかけにアメリカの対外鉄鋼輸出禁止措置により、鉄の輸入が困難となり久原房之助は小平浪平(おだいら なみへい)率いる日立製作所に日本汽船株式会社を託した。つまり、久原鉱業所日立鉱山に工作課長として入社していた小平浪平が、日本汽船株式会社の社名を株式会社日立製作所笠戸事業所と変更し操業を続けたということです。株式会社日立製作所笠戸事業所の足掛かりは久原房之助だが、初代の創業者は小平浪平である。又、鮎川義介は久原房之助と義兄弟の関係にあり、久原房之助がいっさいの関係事業との絶縁を声明、実業界から引退し政界に出ることを決意して、久原鉱業の経営を、義兄鮎川義介にゆだねことから話が始まります。久原鉱業は日本産業と改称され鉱山部門が日本鉱業株式会社(後に新日鉱ホールディングス、現在のJXホールディングス)となり、後の日産コンツェルンへと発展していくことになります。

鮎川義介
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小平浪平
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東洋製罐株式会社を設立し後に、東洋鋼鈑下松工場を設立した高碕達之助の説明をし、鮎川義介との関係を説明致します。 

東洋鋼鈑下松工場は東洋製罐の子会社として、設立されたのは周知の通りですが何故下松の様な田舎の地を選んだか、又、誰が誘致したのか釈然としなかったが、山口県の先人として今旬なひと・日産コンツェルンを作った男として有名な鮎川義介が関わっていたのです。

高碕達之助(たかさき たつのすけ)は1917(大正6)年6 月25 日に東洋製罐株式会社を設立。
高碕達之助は日産コンツェルンの鮎川義介より満州進出の誘いを受けた。鮎川義介は当時満州重工業開発株式会社(満業)の総裁であった。高碕達之助は満州の鉄資源に引かれ、1939 年に視察目的で満州を訪れたが、満州でも鉄は軍部に牛耳られており、期待外れに終わった。
その後鮎川は高碕に満業の副総裁を依頼した。鮎川はかねて、親戚関係にあった日本水産の国司浩助より高碕の人望を聞いており、自分の仕事をぜひとも手伝ってほしいと熱望していたのである。高碕は決心がつかなかったが、周囲からの後押しもあり、1941 年に副総裁を引き受けた。しかし満州では軍部の横行と戦局の悪化のために思うような事業展開はほとんどできなかった。鮎川の総裁任期満了に伴い、1942 年、高碕は満業総裁に就任することになった。鮎川の退任と同時に高碕も副総裁を辞任し満業から手を引く意向であったが、軍部から許可が下りなかったのである。

事業拡張の一方、高碕はブリキの自給について本格的に検討し始めた。国産ブリキの第一号は1923 年に日本製鉄が生産したものであったが、缶詰に使えるような高品質なものではなく、大正から昭和初期のころは大半を輸入に頼っていた。
大阪で創業した東洋製罐株式会社の原材料のブリキ製造のため、下松に1934(昭和9)年資本金500万円で東洋鋼鈑株式会社を設立ときも鮎川義介の斡旋によるものでした。つまり鮎川義介は、久原房之助が下松計画を実行する為に買収した莫大な土地を保有していた久原鉱業の経営を、ゆだねられ管理していたのです。

高碕達之助

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by kfujiken2 | 2017-02-26 10:19 | 未分類 | Comments(0)
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