長州より発信

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山口県の歴史・風景・花や世相のトピックをお届けします

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家や車が津波にのまれ、未だに多くの人が避難所で生活されている中、
不謹慎ですが、車輌保険について話させてもらいます。

今回の大地震で車が流されたり、メチャメチャに壊れた人は、
車両保険に加入していれば、免責はあるだろうが修理費は愚か、
全損ならば新車購入の費用が出ると思っていました。


日本での車両保険加入率は30%程度のようです。

地震による津波で、車両保険の保険金は出ないのだそうです.。
無知な私は、詳細まで知りませんでした!


では、どんな保険に入れば保険金が出るかといえば・・・
保険会社によって特約の名称が異なるかも知れませんが、
車両保険+「地震・噴火・津波危険『車両損害』補償特約」に
加入しなければ駄目なようです。


「車両保険で出る自然災害」
ひょう災・風災・雪災・水害(集中豪雨・台風・洪水・高潮による損害)など。

自然災害には、地震のほかに火山の噴火があります。
これらの災害は、台風などの局所災害と異なり、
1回起こるだけで巨大な損害をもたらす恐れがあることから、
一般的な保険の守備範囲ではないと考えられているからだそうです。

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by kfujiken2 | 2011-03-27 16:31 | コラム | Comments(0)
「会津と長州の因縁」

1986年に山口県萩市は、会津若松市に対して姉妹都市の提携を申し入れたが、会津市側は、市民の多くが「いまだ時期尚早である」「我々は恨みを忘れていない」と、友好都市になることに反対として提携申し入れを断ったそうです。

冗談みたいな話だが、つい近年まで山口県の観光客が会津に訪れ、
旅館の宿帳に 「山口県・・・」と書くと、
「長州の人を泊めるわけにはゆきませぬ」って断ったとかなんとか、、、えっ? 
もしかして1世紀以上も前のことの恨みなのか。

山口県(長州)と福島県(会津)出身者同士の結婚は許されない、などと聞きますが・・・『釣りバカ日誌12 史上最大の有給休暇』では福島県出身の医師が山口県に赴任し、地元の女性と結婚しようとするが自らの両親に「山口県の女性とだけは駄目」と、反対されるというエピソードが描かれている。


会津と長州の因縁の始まりは何処にあるのでしょうか?

今だ会津地方には長州に対する敵対心があると聞きますが、
薩摩や土佐に対してはどうでしょう?
薩摩には西南戦争があり、土佐は藩閥政府で主流になりえなかったので、
長州に比べ、反感は小さいような話を聞きました。
それに禁門の変の折には、会津と薩摩は友好関係にあったからではないでしょうか?

会津藩主・松平容保は京都守護職に就任し、尊王攘夷派志士の取り締まりや、
禁門の変において幕府方の中核となった、それが事の始まりのようです。
もし会津藩主・松平容保が京都守護職に就任しなかつたら、
会津と長州の遺恨は起こらなかったでしょう!


と言いますのは、会津と長州の歴史をみると、
幕末に至るまでの関係は良好だったと言えます。


吉田松陰は二度も会津を訪れ、藩校日新館の教育にいたく感心していますし、
槍の名手が多い会津藩に長州藩から教授に来てくれるよう依頼があったことも
あるそうです。また、夫人と死別した第5代会津藩主松平容頌の再室に入ったのは、
第7代長州藩主毛利宗広の娘でした。
親戚関係もあった会津と長州の間に亀裂が入ったのは、幕末の動乱期です。


長州藩は、関が原の戦い以来260年に亘って、
徳川幕府への恨みを持ち続けてきました。
藩祖毛利輝元は、徳川家康の策略に乗せられ大阪城を開城。
さらに備後・備中・安芸・他8ヶ国を削られ、
「周防・長門」の2ヶ国(今の山口県)となり、
125万石の大大名から36万9千石の一大名に押し込められたのです。
そして、往来に便利な太平洋側の三田尻(防府)や中心部の山口ではなく、
三方を山に囲まれた日本海側の萩にしか城を築くことを許されませんでした。
その長年の怨念が、幕末~明治期に到り、ついに爆発することになりました。

安政元年(1854年)、アメリカからペリーの黒船が来航し開国を迫った際に、
幕府が勅許(天皇の許可)を得ずに条約を結んだこと、
それに反対する人々や幕府に批判的な人々を大老井伊直弼が強硬に粛正したこと(安政の大獄)、
その井伊直弼を水戸藩士らが暗殺した事件(桜田門外の変)などを機に、
神国日本から外国人を排斥すべしという「攘夷」論と、政治は勅許に基づいて行うべしという「尊王」論が、幕府方針に対抗して公然と巻き起こりました。
この尊王攘夷論の席巻を受けて、これまで幕閣に参画することが許されなかった外様大名の雄藩が、
朝廷を味方につけることで国政への参入を目指し始めます。
その急先鋒が、長州藩と薩摩藩でした。

天皇の御座所である京都には、文久二年(1862年)頃から
尊王攘夷を掲げる浪士が数多く集まり、「天誅」と称して幕府側の要人を次々に
暗殺しました。
京都は手の施しようのない無警察状態に陥っていました。
この治安悪化に対処するために、幕府は新たに京都守護職を設置することを決めました。
この要請が会津藩に届いたとき、病床にあった藩主松平容保は、
管轄地域外で人脈もない京都での大役は、
才もない自分には受けることはできないとして、これを固辞しました。

しかし、越前藩主松平春嶽の執拗かつ巧妙な説得が繰り返されました。
春嶽は自身のことは棚上げにして、
「会津は一身の安全を計り、安きを貪るもの」との風評を流します。
松平容保は「至誠」の人です。「家訓」と「安きを貪る」を持ち出されて後には引けず、やむなく京都守護職就任を受諾したのでした。

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by kfujiken2 | 2011-03-22 15:22 | 歴史 | Comments(0)
株価と為替は連動性があると言えます。

日本経済が好調ならば → 株高・円高
日本経済が低迷ならば → 株安・円安


しかし、株安・円高の同時進行という面白い現象が起きている。

株安は、東日本巨大地震の被害の深刻さが徐々に明らかになり、
投資家がリスク回避姿勢を強めているためだ。

では円高の原因は、保険会社が莫大な損害金の支払いの為に、
海外で運用していた資産を一斉に日本円に替える為、上昇が考えられます。
それを承知で周りのトレーダーも買いをいれるからさらに上昇に拍車が付きます。

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by kfujiken2 | 2011-03-16 16:21 | 未分類 | Comments(0)
生母清泰院の墓所は下松市中市の周慶寺にあります。
当寺は、大内氏建立ですが就隆公が不遇な母の菩提を弔うために
再興しました

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毛利就隆の生母の法名は、清泰院殿栄誉周慶大姉。
安芸国の戦国大名毛利氏の家臣で、毛利元就、毛利隆元、毛利輝元の3代に
仕えた児玉元良の娘で、毛利輝元の側室となり、後に長州藩主毛利秀就、
徳山藩主毛利就隆、吉川広正正室の竹姫を産んだ二の丸殿です。
広島城二の丸に住んだために「二の丸殿」と呼ばれる。


                 【生母清泰院の墓】  
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           因みにこの墓は「拝み墓」と言われるそうです。

お寺の彼方此方に〖徳山毛利家門 一文字三つ星の舟形〗が見られます。
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就隆が母のことを不遇と思った理由として
     考えられるのは【両親の引きはがされた夫婦】

事実 は 小説 より 奇 なりと申しますが・・・
輝元が絡む実話があるのです。
お人好しの平和主義者である輝元だが、
信じられないスキャンダルがあるのです。

輝元は家臣の児玉元良の娘で、同じく家臣の杉元宣に
嫁いだ女性が余りにも美しかったため、
佐世元嘉らに命じて元宣から彼女を取り上げ側室にしてしまった。
この女性こそ、「二の丸殿」と呼ばれ後に輝元の跡を継ぐ、
秀就を産む人物なのだが、妻を奪われた元宣は天正17年(1589)に、
豊臣秀吉に事の次第を訴えようと出奔し、
小早川隆景の追っ手にかかって殺されてしまう。
無理矢理に引きはがされた上に、夫を殺された二の丸殿の悲嘆は深く、
のちに輝元が萩城に移転してもついて行かず、
山口に残って亡くなっている。
享年32歳だったと伝わる。

もっとも、輝元は本当に彼女を愛していたようで、
彼女が病気をした時には「二の丸の体調が非常に悪い。
私の心痛は察して貰えると思う。祈祷を頼む」と元良の息子・元兼宛てに
書き送った事もある。
あるいは、山口に残ったのは、病気ですでに死期が迫り、
萩への移動に耐えられなかったのかも知れない。

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by kfujiken2 | 2011-03-09 12:47 | 歴史 | Comments(0)
毛利家の家紋は、萩の本家と分家「支藩」では区別するため、
同じ家紋でも微妙に形を変えたものを使用しています。
一文字の「一」の字の書体が萩藩では普通の筆文字です。


萩本家  定紋(一文字三つ星)・替紋(沢瀉(おもだか))

長府毛利家 四角形

徳山毛利家 舟形

清末毛利家(長府毛利の支藩) 最後の筆抑えがない文字


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by kfujiken2 | 2011-03-05 10:11 | 歴史 | Comments(5)
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