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山口県の歴史・風景・花や世相のトピックをお届けします

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健康知識として「上手に年齢を重ねる東洋医学の知恵」と題して、
女は7の倍数、男は8の倍数の年齢は、健康に大切なキーワードなのだそうです。


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『黄帝内経(こうていだいけい)』

いまから二千年前に書かれた、東洋医学の教科書ともいえる文献『黄帝内経(こうていだいけい)』には、
「女性は7の倍数」「男性は8の倍数」の年齢で、からだに変化が訪れると記されています。

これは成長や加齢にともなう体調の周期的変化を、多くの経験則からまとめた知見で、
現代人とも多くの一致点がみられます。

女性は7の倍数、男性は8の倍数が「節目の年齢」。その年齢になったら病気の手前とされる
「未病(みびょう)」の症状がないか、自分や家族の健康状態をよく知ることが大切です。

●節目年齢には個人差がありますので、表示の年齢はあくまでも目安です。

黄帝内経による人の体の変化では、女性は49歳で閉経を迎えるとあります。
現代の女性の一般的な閉経年齢も50歳前後でほとんど変わりません。
女性の体が28歳、男性が32歳でピークを迎えるという点においても、現代の医学的な認識とほぼ同じで、
医学が日進月歩している現代においても、二千年前の体の変化が当てはまることが分かります。

【東洋医学に見る「老化」の2つの流れ】

東洋医学では、「老化」の状態を2つの流れで捉えています。
1つは、「陽(よう)から陰(いん)」への流れです。古代中国では万物を「陰」と「陽」に分けて様々な現象を捉えてきました。
この陰陽論は医学にも用いられ、東洋医学では、新陳代謝が活発で、
体が熱を発することができる状態を「陽」、体の一部または全部の新陳代謝が低下し、
体が冷えて寒さに弱くなる状態を「陰」と考えています。

もう1つの流れは、「実(じつ)から虚(きょ)」への流れで す。
「実」とは、体格がよく、積極的で疲れにくく、胃腸が強い状態のことをいい、
一方、「虚」は華奢な体格や水太り、消極的で疲れやすく、胃腸が弱い状態のことを指しています。

歳をとるに従い、誰でも「陽から陰」、「実から虚」に向かっていくと考えられています。
その背景には、体の臓器そのものの機能が衰えることと、それぞれの調整力が低下することが関係しています。
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by kfujiken2 | 2012-05-30 08:38 | 未分類 | Comments(0)
電機各社の事業統合で生まれた「日の丸半導体」メーカーが苦境に陥っている。
二月に経営破綻したエルピーダメモリに続き、二年連続で純損益が赤字となっているルネサスエレクトロニクスも、
1万2千人程度の人員削減と鶴岡工場(山形県鶴岡市)と子会社のルネサスモバイル(東京)などの売却を
検討しており、数百億円規模の増資の検討を始めた。


◆ エルピーダメモリは、1999年に日立とNECの半導体製造部門が統合されてできた企業だ。
その後、2003年に三菱電機の当該部門を吸収し、わが国で唯一の「DRAM(ディーラム)」専業メーカーとなった。
いわば“日の丸半導体メーカー”である。

※ DRAM(ディーラム)は、いわゆるメインメモリーのデータ記憶部品として広く使われている。
メモリーの部品(SIMMやDIMM)を見ると、小さな基板の上に黒い半導体のチップが付いている。
この半導体チップがDRAMだ。

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1980年代に世界で圧倒的な存在感を示した日本の半導体事業を牽引した。
半導体は様々な家電製品や電子機器に使われる「産業のコメ」と呼ばれ、80年代に世界市場を席巻して
日本の“お家芸”と言われた。
85年には、生産量で米国を抜いて世界一となり、米国との間で半導体摩擦と呼ばれる貿易問題まで
引き起こすほどだった。
その後、円高や経営判断の誤りで韓国や新興国にその座を明け渡してしまったと言っても過言ではない。

サムスンは、寄り合い所帯の逆を行く経営判断の早さで、事業の選択と集中を徹底。
さらに、スマートフォンなどもうけの大きい製品の世界シェアが高く、低コストの半導体部品をこれらの
自社製品に使えることも、生産設備の効率的な活用につながっている。
再建を急ぐ日の丸半導体メーカーだが、半導体需要の伸び悩みと韓国勢の台頭の中、苦戦が続きそうだ。

◆ 日立製作所と三菱電機の半導体事業を統合して03年に発足した「ルネサステクノロジ」が、
NECの半導体子会社「NECエレクトロニクス」と合併して10年4月に設立された会社が、
「ルネサスエレクトロニクス」。ルネサスはDRAM以外の半導体事業を担っている。

※ DRAM以外の半導体とは、一般的にマイクロコントローラを含んで組み込みシステム製品の
主要な電子回路を1チップ程度に集積した半導体素子であり、SoCによる具体的な部品という性格もある。
携帯電話、デジタル・コンシューマー、パソコン周辺機器用途など、市場が広がってきている。

● SoCとは1つの半導体チップ上に必要とされる一連の機能(システム)を集積する集積回路の設計手法。

ルネサスの母体となった日立、NEC、三菱電機の各社はかつて、複数の機能を一つのチップに詰め込んだ
「システムLSI」(大規模集積回路)を家電製品向けに自社で作っていた。
しかし、00年代のITバブル崩壊などで需要が急減したことなどから、システムLSI事業の採算が急速に悪化。
同事業を本体から切り出して他社と統合することで、効率化を図った。

ルネサスの稼ぎ頭は、エンジンや電気モーターを制御する自動車向け「マイコン」。
世界シェアは約4割に達する。ところが寄り合い所帯特有の意思決定の遅さから、
リストラが不十分で、マイコンでのせっかくの稼ぎをシステムLSIなどの
赤字部門で食いつぶす形になっていた。
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by kfujiken2 | 2012-05-27 12:39 | コラム | Comments(0)
「 ほしらんど くだまつ 」が、5月8日にオープンし歴史民俗資料展示コーナーが
できたので行ってみた。

常設展示はせず、期間を限定した企画展示が主となるようだ。
「くだまつ古代からの贈り物」と題された企画展には、埋蔵文化財が展示してあった。
歴史民俗資料といっても、考古学ファンなら兎も角、土器とか壷では余り興味も持たないだろうなぁ~

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西側の駐車場のある方から入る・・・
入口を入ると、交流プロムナード(つまり 通路ですね!)に出る。
直ぐ右手に公民館事務室、その隣接したコーナーが【歴史民俗資料展示コーナー】です。
向かい側が、7月上旬オープン予定の市立図書館です。

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歴史民俗資料展示コーナーの中央に見えるのが、タッチパネル式の説明パネルです。
「地図から探す」「ジャンルで探す」「観光・施設」とカテゴリー別になっているので、探し易いと思います。

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しかし市立図書館がオープンしないと、反対側が暗くて 何か物足りなない!!!
又、旧市立図書館の解体工事・施設の外溝工事・駐車場の完成予定が12月の初めとのことなので、
その時点には下松市市民交流拠点施設として、内部も外見も綺麗にお目に掛かれるでしょう。

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1階から2階へは、勾配の緩やかな階段があり、年寄用にエレベーターも装備されています。
2階にはサルビアホールA・Bがあり250人が着座で飲食できるホールと説明にあるように、
仕切りを取り除けば一部屋になるのでしょう? 

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by kfujiken2 | 2012-05-22 10:36 | 未分類 | Comments(0)
夏目漱石の代表作「坊っちゃん」で、主人公の熱血教師のモデルになったのは、弘中又一であった。

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弘中又一は、周南市の湯野温泉の名家に生まれ、地元の湯野小学校に入学する。
桜田小学校(現在の 戸田小学校)の中等科を卒業。幼いころから勉強ができ、成績も
優秀だった。独学に加え、山口市の私塾で漢文、英語、数学を学んだ。

夜市川そばのサン・サンロードには、釣り糸を垂れる少年時代の又一をモチーフにした
「釣りをする坊ちゃん像」が建てられている。

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【略歴を説明しよう】・・・

1873年(明治6年)  夜市(やじ)川の上流に広がるのどかな湯野温泉・山口県都濃郡湯野村第287番地で、父・弘中伊亮、母・タメの長男として生まれる。
萩藩の重臣・堅田 就政 の旧家臣の家に生まれ、地元の湯野小学校に入学する。
高学年になると、桜田小学校(現在の 戸田小学校)の中等科を卒業。

1890年(明治23年) 京都の同志社普通学校(現在の同志社大学)に入学。
私塾時代の漢文の先生が京都に住居を構えたことから、 慕って京都の学校へ進学した、
という説がある。1894年(明治27年) 同志社普通学校を卒業。柳井小学校代用教員となる。

1895年(明治28年) 5月に、愛媛県松山尋常中学校の英語の教師に赴任する。
そこで、夏目金之助、後の夏目漱石と職場を共にする。

1896年(明治29年) 愛媛尋常中学校東予分校に転任し、その年に徳島県尋常中学校
第二分校に転任する。

1900年(明治33年) 埼玉県尋常中学校第二分校(旧制熊谷中学時代)に着任する。

1912年(明治45年) 同志社中学校に転任する

1932年(昭和7年)  同志社中学校を退職する

1938年(昭和13年) 8月6日、京都に住んで数学などの研究をされていましたが、死去する。

◆ 弘中又一は柳井小学校のころ戸澤タカと結婚されていて、2年後には長男・進も誕生していたが、親もとの湯野において単身赴任していました。

弘中又一の幾つかのエピソードをお話しましょう!!!

※ 明治28年5月27日、弘中又一は愛媛県の松山尋常中学校に赴任するが、
夏目漱石は、弘中又一よりわずかに1ヶ月半早い着任だった。漱石と又一は、わずか赴任1年で松山を離れている。わずかな間だったが、2人の間には大きな友情が結ばれ、その絆が後年、小説「坊っちゃん」として現れたようでもある。弘中又一そのものが、小説の素材となる面白いエピソードを、たくさん漱石へ提供したのだった。

※ シッポクうどんを4杯ぺろりとたいらげ「一つ弘中シッポクさん」と教師の数え歌に謡われるなど、型破りな名物教師として生徒に親しまれた。当時の生徒からは、童顔からの印象なのでしょうか、「ボンチ先生」(ボンチとは松山地方でぼっちゃんという意味)と呼ばれていたそうです。

※ 埼玉県の熊谷中学校に転勤されましたが、ある日路上で鰻を売っていました、買ったのはよいが入れ物がありません。そこで弘中又一は山高帽に鰻を入れたそうです。

※ 「一つ弘中シッポクさん」と教師数え歌

一つとや ひとつ弘中シッポックさん 数学の弘中又一(坊っちゃん)

二つとや ふたつふくれたブタの腹 英語の西川忠太郎

三つとや みっつみにくい太田さん 漢学の太田厚

四つとや よっつ横地のゴートさん 教頭の横地石太郎(赤シャツ)

五つとや いつつ色男中村さん 歴史の中村宗太郎(鈴ちゃん)

六つとや むっつ無理いう伊藤さん 体操の伊藤朔太郎

七つとや ななつ夏目の鬼瓦 英語の夏目金之助(夏目漱石)

八つとや やっつやかしの本吾さん 植物の安芸本吾

九つとや ここのつこっとり一寸坊 物理の中堀貞五郎

十つとや じゅうでとりこむ寒川さん 会計係の寒川朝陽

* 七番の鬼瓦とは、夏目漱石のことで、3歳頃に疱瘡にかかり、疱瘡跡は目立ったらしい。
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by kfujiken2 | 2012-05-19 13:13 | 歴史 | Comments(0)
日本の大企業の多くが、国内市場からグローバル市場に視野に移し始めている。
グローバルレベルの競争に打ち勝てる企業体力を獲得するためのM&A(企業の合併や
買収)・業界再編が成長戦略として欠かせなくなっているのだ。


大型企業統合の背景にある3つの要素

◆ 「拡大期待の乏しい国内の市場環境」
わが国の人口は2005年にピークを迎え、すでに減少局面に入っている。
しかも、少子高齢化は世界最速のペースで進んでおり、国内市場の多くの分野で、
今後、需要の増加を見込むことが難しくなっている。
それに拍車をかけているのが、昨今の大不況による消費減退だ。
そのため、各企業とも「このままではジリ貧に陥る」という危機感を強く抱いているのだ。

◆ 「規模拡大による経営の効率化」
危機感により、企業経営者が最初に思いつくことは、ある程度の企業規模を
持つ企業同士が統合して経営の効率化を図ると同時に、
市場を寡占化することで価格の下落を押さえることだ。

◆ 「海外展開」
国内市場に固執しているとジリ貧になるのであれば、より広い市場を
求めて海外展開を積極化する選択肢を取らざるを得ない。
ただし、積極的な国際展開には大きなリスクを伴う。海外市場に展開するとなれば、
為替変動などのリスクは避けられないため、そのリスクに耐えられる体力を
持つ必要がある。

経営統合の一例

● 2002年に川崎製鉄と日本鋼管という2大企業が経営統合し,JFEという会社を設立した。

● 2003年8月にコニカとミノルタが持株会社として経営統合し、コニカミノルタHDが誕生。

● 2005年、藤沢薬品工業と山之内製薬とが合併し「明日照らす制約」が誕生。

● 2007年には第一製薬と三共との合併で「第一三共」が誕生し、再編が一気に進んだ。

● 2007年には、エーザイが米国「MGIファーマ」を買収した。

● 2008年には、第一三共がインドのジェネリック大手「ランバクシー・ラボラトリーズ」を 買収する。

● 2008年4月に伊勢丹と三越が株会社として経営統合し、三越伊勢丹HDが誕生。

● 2010年(平成22年)4月にあいおい損害保険と ニッセイ同和損害保険が経営統合され、
   あいおいニッセイ同和損害保険株式会社が誕生。

● 2010年4月に新日本石油と新日鉱ホールディングスが経営統合し、JXホールディングス株式会社が
   誕生。

● 半導体業界において、2010年(平成22年)4月NECエレクトロニクスと
   ルネサス・テクノロジーの統合によってルネサス エレクトロニクス株式会社が設立され、
   世界第3位の半導体メーカーが誕生する。

● 新日鉄と住友金属が、2012年10月1日をめどに経営統合。

● 日新製鋼と日本金属工業が来年10月統合、ステンレス粗鋼で国内2位になる。

※ また武田薬品工業のように「新興国攻略」に走り出す企業もあります。

創業を天明元年、1781年にまでさかのぼる武田薬品工業が、1兆円超で買収した“ナイコメッド”効果とは・・・
かつて“無借金経営”の優良企業の代名詞だったタケダだが、ここ数年で守りから「攻め」の経営に変わってきている。
転機となったのは、08年に「アムジェン日本法人」を900億円で、さらにアメリカの「ミレニアム・ファーマシューティカルズ」を約8900億円で、11年には、スイスの「ナイコメッド」を約1兆1000億円の巨額資金を投じて、
買収している。

癌の領域に強く研究開発型のバイオ医薬品会社であるミレニアムの買収は、タケダの従来型のビジネスの線上に位置するのに対して、ナイコメッドの買収は、タケダにとって未開拓である新興国攻略の新しいストーリーを得たことを意味するからだ。
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by kfujiken2 | 2012-05-16 07:49 | コラム | Comments(0)
資源のない国「日本」の技術流出は、国の行く末を左右するのでは…

日本からの「頭脳流出」が初めて問題になったのは約20年前。サムスン電子やLG電子といった韓国企業が、
日本の大手電機メーカーから多数の半導体や白物家電の技術者を引き抜いた時期だ。

韓国のサムスンや現代自動車を見てもわかるように、日本の基幹技術の技術者をヘッドハンティングで
引き抜き、その技術を取得し製品を作っています。

中国が、日本の新幹線技術などを元につくった高速鉄道を、「独自技術」と称し他国に売り込みを行っています。

「中国新幹線」は川崎重工業が2004年、「時速250キロ以上の運行はしない」との条件付で技術供与したとされる。
だが、中国は武漢-広州などで高速鉄道「和諧号(CRH型)」を時速350キロで運行し、契約違反の疑いが指摘されている。

しかし、ここで考えなければならない問題が!!!

「自分の取得した技術を誰かに伝えたい」という技術者としての思いと、

「定年を過ぎ年金がもらえるまでの働き場所が欲しい」という現実の生活、

この2点が日本のものづくりを支えてきた技術者の海外流出を加速させています。



退職した社員などを介した海外への技術流出に産業界が頭を痛めている。
変圧器などに用いられる特殊な鋼板の製造技術を元社員から不正に取得したとして、
新日本製鉄が韓国鉄鋼最大手のポスコを相手取り、計1千億円の損害賠償などを求める民事訴訟を起こした。
電機や機械など他分野でも同様の問題は頻発しており、今回の裁判の行方に注目が集まる。

営業秘密とされるような「図面」等の有体物を“退職の記念”に持ち帰り、横流しするようなコテコテの事案ならともかく、長年研究開発に従事していた社員が、退職後に頭の中のノウハウを活用してライバル企業を手助けしたような事案で「秘密保持契約」がどれほど役に立つのか?といえば、大いに疑問はある。

近年、経済のグローバル化の進展、特に急成長するアジア地域におけるビジネスチャンスの拡大によって、
我が国製造業の海外展開は更に増加している。
具体的には、多くの我が国製造業について、国際競争力を確保するために、労働集約的な工程・製品等を
人件費の安い国・地域に移管する動きが見られる。
また、アジア市場の急速な拡大に伴って、当該市場の取り込みを目的とした現地生産も加速化している。
更に、電気電子や自動車等のユーザー企業の海外展開の加速に伴って、これらのユーザー産業向けに
部品や材料を供給するメーカーの多くも、ユーザーに追随する形での海外展開を図っている。
 
製造業の海外展開は、現地提携先企業へのライセンシングや現地工場における従業員への教育等を
通じて、進出先国への技術移転を必然的に伴うものである。
こうした中、我が国に立地する製造業が国際競争力を確保するためには、各企業が、新たな技術開発等を
通じて、日本で製造することが経済合理性を有する新製品等の開発など付加価値の向上に努めることが
必要である。
また、日本政府としても、このような企業努力を促進・支援するための国内ビジネス環境の整備、
技術開発支援等の環境整備に引き続き取り組むことが必要である。
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by kfujiken2 | 2012-05-10 12:42 | コラム | Comments(0)
下松市市民交流拠点施設 「 ほしらんど くだまつ 」

下松市が大手町の下松中央公民館跡地に建設していた
下松市市民交流拠点施設 「愛称・ ほしらんど くだまつ 」が完成。
同公民館と市立図書館の老朽化が進んでいたため、
両施設や歴史民俗資料展示などの機能を兼ねた多目的複合施設の
建設を計画し、昨年3月に着工。

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何処が正面かよく判りませんが・・・

下松田布施線・旧NTT側
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南側から
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此方が正面かな? 西側から
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下松市が大手町の下松中央公民館跡地に建設していた
下松市市民交流拠点施設 「愛称・ ほしらんど くだまつ 」が完成。
同公民館と市立図書館の老朽化が進んでいたため、
両施設や歴史民俗資料展示などの機能を兼ねた多目的複合施設の建設を計画し、昨年3月に着工。

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敷地面積約8360平方メートルで、鉄骨2階建て(一部3階建て)の延べ床面積約4970平方メートル。
総事業費約20億円。図書館や公民館以外の機能も充実させた。
1階には市民が交流を深める交流プロムナードや下松市の歴史を紹介する歴史民俗資料コーナーを配置。
2階には250人が着座で飲食できるホールも設けた。

旧マミー創業の地、マックスバリュ大手町店が閉店。跡地は穴吹興産のマンションに・・・


大手スーパー、マックスバリュ西日本は大手町店を閉店した。
この店は旧マミーの1号店で、47年の歴史を閉じることになる。
跡地には穴吹興産がマンションを建設する予定。
大手町店は2002年(H14)にマックスバリュ西日本と合併した地場スーパー、
旧マミーが1965年(S40)に開店。合併後も市役所前という立地のよさや
“マミー創業の地”というこだわりの店舗だった。店舗の老朽化が進み、
西側にはアルクや西友などのスーパーも並ぶようになって
何度となく撤退説も流れてきたが、大手町商店会や地元住民が存続を要望してきた。

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大手町店の隣には14階建て39戸のマンション“サンパーク大手町レジデンス”が
間もなく着工し、来年8月完成の予定。


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マックスバリュ大手町店の閉店で市役所周辺から東側の栄町、北斗町、古川町、青柳、
琴平町、豊井方面はスーパーが個人経営の豊井の1店を除いてすべてなくなり、
新規出店の計画もない。コンビニエンスストアも下松駅周辺の3店に限られ、
市の中心地にありながら車のない人や高齢者などには生鮮食品など
日常の買い物の場がなくなり、不便な状態になりそうだ。


「スーパーセンタートライアル下松店」

福岡県に本社があり、食料品スーパーとディスカウントストアの複合型店舗。
現在運営している店舗は、、九州地方に65店、中国地方に11店、
近畿地方に5店、甲信越地方に4店、関東地方に33店、東北地方に5店、
北海道に14店、日本国外(韓国)に5店の合計142店舗を営業している。

旧山門鉄工所跡地
敷地面積 14,994㎡  建築面積 5,377.㎡
店舗面積 3,997.95㎡  駐車場台数 276台
24時間営業

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「ニトリ 下松店」

U's BOWL(ユーズボウル)の跡地  10月29日にオープン予定
敷地面積 6,966㎡  建築面積 3,281.㎡
店舗面積 5,149㎡  駐車場台数 165台
鉄骨造2階建て
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by kfujiken2 | 2012-05-05 10:26 | 未分類 | Comments(0)
渡辺淳一も青くなる与謝野鉄幹と晶子の人生

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【与謝野鉄幹】

鉄幹の女性問題については、話には聞いていたものの、そのプレイボーイ振りには度肝を抜かれました。
徳山女学校で国語の教師を4年間勤めるも、女子生徒(浅田信子)との間に問題を起こし、退職した。
このとき女の子が生まれたが、その子は間もなく死亡している。
教師の鉄幹が17歳で、信子は20歳という妙な二人の関係である。
次いで別の女子生徒、林滝野と同棲して一子、萃(あつむ)を儲けた。
彼女以外にも、弟子や生徒やら複数の女性との関係を続けていたようです。
晶子は浜寺公園の旅館で行なわれた歌会で鉄幹と不倫の関係になり、
翌年家を出て東京に移り結婚。

♪やわ肌の あつき血汐に ふれも見で
  さびしからずや 道を説く君 ♪


しかし、その晶子に言われようとも、まだまだ、浮気の虫はおさまりません。
その後、与謝野晶子の親友・山川登美子と不倫関係に陥ってしまいます。

鉄幹はとても女グセが悪い・・・手の速きこと風のごとく、浮気すること山のごとし。
鉄幹は歌人・・・それも、情熱的な恋の歌がお得意なのですから、ある意味、芸のこやしとでも言いましょうか?

不倫は文化のような人生を送った鉄幹だが、【新詩社】を創設し、機関誌「明星」創刊・主宰し
高村光太郎,石川啄木,北原白秋ら多くの新人を育てた。
晩年は慶応義塾大学の教授を務めて、
その後は自ら東京御茶ノ水駿河台に文化学院(現:学校法人文化学院)を創設しています。

【与謝野晶子】

与謝野鉄幹・晶子夫妻は合計11人の子供達に恵まれました。(正確には12人を出産しています。)

最初の子供は、結婚の翌年、明治35年(晶子24歳)11月に長男・光誕生。
明治37年(晶子26歳)の7月には次男・秀(しげる)が誕生。
明治40年(晶子29歳)の3月には長女・八峰(やつお)、次女・七瀬の双子が誕生。
明治42年(晶子31歳)3月には3男・麟を出産。
明治43年(晶子32歳)2月には3女・佐保子を出産。
明治44年(晶子33歳)2月には4女・宇智子を出産。
この年の11月には、夫鉄幹が渡欧しています。

翌、明治45年(晶子34歳)5月には、これらの子供たちを残して、
晶子も夫の後を追ってシベリア鉄道経由でパリに旅立ってしまいます。
ですが、子供恋しさから10月には単身、海路で帰国しています。

翌、大正2年(晶子35歳)1月に鉄幹が帰国。
大正2年4月に4男・アウギュストを出産します。
大正4年(晶子37歳)3月に5女・エレンヌを出産します。
大正5年(晶子38歳)3月に5男・健を出産します。
大正6年(明子39歳)、10月には6男、寸(そん)を出産しますが、
生後2日で死亡してしまいます。

翌、大正7年(晶子40歳)6月頃から平塚らいてう女史との間での
“母性保護論争”が活発化し始めます。

大正8年(晶子41歳)3月には6女、藤子を出産します。
これで合計12人です。

明治34年(晶子23歳)10月に結婚・入籍、昭和17年(晶子64歳)1月に死去するが、
結婚生活約41年間の前半17年間は、殆ど毎年身籠っていたことになる。
しかし晩年には、評論活動とエネルギッシュな人生を送り、女性解放思想家としても巨大な足跡を残した。
鉄幹らとともにお茶の水駿河台に文化学院を創設する。男女平等教育を唱え、日本で最初の男女共学を成立させる。

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by kfujiken2 | 2012-05-01 10:02 | コラム | Comments(0)
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