長州より発信

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山口県の歴史・風景・花や世相のトピックをお届けします

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スポーツをやっても中国は何一つスポーツマンシップに欠けている。
政治をやっても民主主義が出来ない。経済をやっても統計を捏造する。
正しい人間生活が出来ない。
軍事に予算を当てるのもいいが、基本教育にお金を使っていないのではないか。

大体、「反日」を教育だと考えていること自体、人間性を疑う。
国の教育に「反日」を教え込んで、立派な人間が出来るか。
世界中見回しても、基本教育に、ある特定の国を攻撃することを
教え込む国は見当たらない。
テロ集団にはこのようなことを教え込むこともあるかもしれないが、
まさに中国はテロ集団と同じような教育訓練をしているのだ。
経済は確かに進んだ。お金持ちになった。それが何だ、と言いたい。
出鱈目な気泡教育を10何億人にして、国としての利益(国益)になるとでも
思っているのだろうか。

共産党一党独裁国家は、人民を抑えつけているだけで、
人間性など微塵も感じられない。
13億人を一纏めにすること自体問題があるのかもしれない。
中国は一つの国として纏まるのは所詮無理があるのだ。少なくとも、
チベット地区、ウイグル地区、旧満州地区は独立した国で
あってもおかしくはない。

民族としても多民族国家であり、言葉も違えば宗教も違う。生活習慣も異なる。
これが一つの国にする、と言う無理があるから紛争が絶えないのである。

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中国人にルールとか、順法の精神などを説くことはやはり、不可能です。

尖閣諸島やベトナム・フィリピンの領海内の諸島を我がものと言う厚かましさは、自国内においても同様の問題を露呈し、改めてこの人種の異様さが浮き彫りになっています。

住人の同意もとらず勝手に道路拡張事業を始め、雀の涙ほどの保証金で強引に立ち退かせようとする役人と、住民の頑強な抵抗、こうした図式は中国全土に起きていて、珍しいことでもなんでもなく、5分に一度暴動が起きているという話を聞きます。

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高速道路の真ん中に堂々と建った家!
この家は、最初からここにあったもので、役所が強引に他の住民を立ち退かせ、工事を進めてきたがこの家主が保証金が安すぎて引っ越しもできないとして、このような状態になったものだそうです。

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by kfujiken2 | 2014-07-31 12:06 | コラム | Comments(0)
2015年の NHK大河ドラマ 『花燃ゆ』(はなもゆ)のメインの舞台となるのは、
山口県萩市ではなく晩年過ごしたという山口県防府市です。

物語の主役は吉田松陰の末妹で、後に久坂玄瑞の妻となる杉 文(すぎ ふみ)【後の楫取美和子】である。
また準主役は禁門の変(蛤御門の変)で自刃した久坂玄瑞ではなく、
後に再婚した吉田松陰の次妹・寿の夫であった小田村伊之助
【楫取素彦(かとり・もとひこ)】です。


現在では考えられないややこしい相関関係です!!!


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吉田松陰の末妹・杉 文(すぎ ふみ)

ここで「楫取素彦(かとり・もとひこ)」に関して少しご紹介しましょう。

文政12(1829)年 藩医松島瑞蟠の次男として萩に生まれ、
儒者小田村家の養子になり、伊之助と称する。
江戸藩邸に勤務し、帰国後は藩校明倫館で指導する。
吉田松陰の妹寿子と結婚(のち松陰の妹美和子と再婚)。
松陰の投獄後は松下村塾でも教育にあたった。

安政6年(1859)藩主毛利敬親の側儒に抜擢され、文久元年(1861)以降、
江戸・京都・萩の間を奔走する藩主に随行し、藩政中枢に参画。
尊王攘夷運動に参加し、元治元年(1864)禁門の変後、野山獄に投じられた。
慶応元年(1865)長州征伐に際し、宍戸璣(山県半蔵)とともに広島に赴いて
幕府側との交渉にあたり、翌年、長州戦争(四境戦争)直前には
広島に一時拘留された。慶応3年、藩命により楫取素彦と改名した。

明治維新後は新政府に出仕し、伊藤博文や薩摩の大久保利通らと同じ
参与職に就くが、藩主の頼みで毛利邸建設推進のため三田尻管事役(市長)として防府に居を移した。
明治9年(1876)群馬県が新たに発足したことにより、その初代県令(現在の県知事)となる。約10年間の在任中には、県庁を高崎から前橋に移転して伝統産業の養蚕・製糸業を奨励し、教育にも力を入れ、草創期の群馬県政に大きく貢献した。その後元老院議官、宮中顧問官、貴族院議員などを歴任した。

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楫取素彦

これほどの人物であるが、なぜか楫取素彦の存在はほとんど知られていない。

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長州藩の秀才に隠された裏の顔  久坂玄瑞と杉 文(すぎ ふみ)

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久坂玄瑞

久坂玄瑞は松陰が自分の妹・文を嫁がせる程に、松陰から愛された
人物である。松陰は玄瑞を「防長第一流の人物たり、因って亦、天下の英才たり」とこれ以上は無いほどの評価をしている。

また、高杉晋作と共に、村塾の双璧と称され、松陰の死後、長州尊攘派の中心的人物として、その存在を天下に知らしめるに至る。

真面目で真っ直ぐな性格の久坂玄瑞・・・
実は裏では意外な一面を見せることになりました。
久坂玄瑞の妻、文は何を隠そう吉田松陰の妹でした。
尊敬する師に縁戚関係を望まれたのですから、
悪い話ではないように思えます。

ところが、久坂はこれを断わってしまいました。優秀な彼がどんな理由で彼女を拒んだ・・・実は単に「器量が悪いから」だそうです。はたして、文さんの容貌が醜女と云うほど悪かったかは不明ですが、久坂の理想が高かったとも推測されます。

けれども、結局、久坂は「妻を娶るのに容色をもって選ぶとは何事だ」と師匠と友人に叱られ、今でいう逆切れ状態で結婚を決意したそうです。

しかし、いざ結婚しても、美人好きの久坂に文は受け入れられなかったようで、
終生、彼女には冷たかったとされています。
文と久坂の結婚生活は約7年間でしたが、夫は殆んど家にはいないため、
実質は半年共に暮らした程度でした。それも、夫からたまに手紙が来るだけ。
子供もいませんでした。

そんな久坂は遊郭の芸妓たちとの恋に御盛んだったとか…。
そして、ついにはその芸妓の一人であった辰路と懇ろになり、
愛人にしたと言われています。
彼女は町医者・井筒玄庵の二女で、京都島原桔梗屋で働いていました。
また、伏見西柳屋町の佐々木ひろとも深い仲になり、こちらも愛人だったようです。
後に、久坂の遺児・秀次郎が生まれますが、母親はこの2人のどちらかだったようです。

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by kfujiken2 | 2014-07-22 12:16 | 歴史 | Comments(0)
政府は集団的自衛権の行使を認める、憲法解釈の変更を閣議決定した。
安倍首相は、抑止力の強化につながると強調するが、
日本への直接的な攻撃に対して最小限の武力行使しか許されなかった自衛隊は、
親密な他国が攻撃を受けた場合でも、一定の条件を満たせば反撃可能になる。新たな「武力行使の3要件」が「厳格な歯止めとなる」と訴えた。

※ 武力行使の新3要件
(1)我が国への急迫不正の侵害がある
(2)排除のために他に適当な手段がない
(3)必要最小限度の実力行使にとどまる

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集団的自衛権行使を容認する閣議決定で、自衛官になる若者が減ってしまうと、今度は「徴兵制」が採用されるのではないかという懸念・・・
安倍内閣は、これをさかんに否定しています。たとえば政府が「Q&A」をつくって、憲法18条で、「何人もその意に反する苦役に服させられないと定めているから、徴兵制は憲法上認められません」などと答えています。
しかし、憲法9条さえ勝手に解釈変更するような政府・与党です。
どうして18条だけ解釈変更しないと言えるでしょうか。何の保障もありません。


自民党の憲法改正推進本部長をしている船田元衆院議員は、
7月10日放送の情報番組「モーニングバード!」のインタビューで、
徴兵制についてこう言っています。「理屈で言うとそれは可能性はあると
思います」

自民党幹事長の石破茂氏は“徴兵は苦役ではない”と発言している。
もともと、自民党幹事長の石破茂氏は「徴兵制は憲法違反ではない」と
主張してきた人物です。

集団的自衛権の行使容認には、徴兵制の復活の危険性がつきまとっていることは明らかです。 

◆ 日本国憲法第18条
【条文】  何人も、いかなる奴隷的拘束も受けない。又、犯罪に因る処罰の場合を除いては、その意に反する苦役に服させられない。

【解説】  刑罰(自由刑)の執行に関しては、本項における意に反する苦役に服させることの禁止からは除外されている。ただし、奴隷的拘束はいかなる場合も許されない。

◆ 日本国憲法第9条
1.日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。

2.前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。
 国の交戦権は、これを認めない。

◆ 徴兵制度(徴兵制)
国家が国民に兵役に服する義務を課す制度である。
徴兵とは住民を兵士として召し上げ(徴)、兵役の義務を課すことであり、
徴兵制度は憲法や法律で一定の年齢に達した国民に兵役を課すための組織化した制度を指す。
徴兵制において兵役は国民の義務的な負担として扱われ、国防への負担と貢献が求められる。
徴兵制は軍隊に対する安定的な人材の確保が長期にわたって容易であるものの、国民に対する負担は大きい。

国富・国家財政の面からいっても問題は多い。若青年層を網羅的に徴用することで就労上や学究上のキャリアの断絶につながる。直接的には数万単位の若年労働力が労働市場から隔離されることで、労働コストの上昇や生産力の低下を招く可能性がある。
また徴用兵に対する国庫負担が生じる一方で、徴用された人が納めるはずだった所得税等が国庫に入らなくなる。

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by kfujiken2 | 2014-07-16 09:56 | コラム | Comments(0)
台風8号は拍子抜けするほど衰えて関東を抜けていったが、
11日には早くも南海上に台風のタマゴが生まれた。
すでに渦巻き状になっており、12日午前までには台風9号になる可能性があるという。


台風8号

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台風9号

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気象庁ホームページでは、台風になる前の熱帯低気圧を一つの
アルファベットで示します。
発生順とは関係なく、発生時に一つのアルファベットを割り振りますが、
発達して最大風速が約17m/s以上となり、台風となった時点で台風番号を付けます。

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by kfujiken2 | 2014-07-12 11:04 | 未分類 | Comments(0)
歴史・郷土史をネットで色々調べていると、とんでもない情報に出会う。 

個人情報保護法に触れるのではないかと思われる、
日本のタブー・【田布施システム】の情報が、ネット上で騒がれている!!!


田布施システムについて知ったのは・・・
朝鮮総連本部の競売で入札した、鹿児島市の宗教法人「最福寺」の流れからだった。
鹿児島市の宗教法人「最福寺」が45億1900万円で落札した。
ではこの「最福寺」とは何者かを調べるだけで、日本の政治が丸見えになった。

寺は高野山真言宗で、1967年の建立。
法主の池口恵観氏(76)は仏教を通じて北朝鮮と交流があり、
昨年4月に平壌で行われた「金日成キムイルソン主席生誕100周年」の
記念行事に出席するなど、 何度も訪朝しているという。
この人物は仏に仕える身であり、いわゆる出家者です。
よってこの名前は出家後の名前であり、本名は「鮫島正純」です。

池口氏本人によると、彼は小泉純一郎氏のいとことの事。

小泉元首相の父親の名前は「小泉純也」ですが、
実は彼、小泉家に婿養子として入っているのです。
そして婿養子に入る前の名前が「鮫島純也」です。

彼は、当時代議士であった岩切茂雄氏の書生となり、
日本大学法学部政治学科の夜学に通わせてもらい、
1930年に卒業しています。後に岩切氏の紹介で立憲民政党の職員となり、
当時民政党の幹事長を務めていた小泉又次郎氏のもとに出入りする
ようになります。
やがて又次郎氏の長女・芳江と恋に落ちてしまい、又次郎氏が二人の恋愛に
反対したものの、二人は又次郎氏の反対を押し切り駆け落ち同然に家を出て、
東京・青山の同潤会アパートで同棲することとなります。
結局、又次郎氏が折れ、純也氏が代議士になれたら一緒になることを
許すという条件で二人の仲を認めることとなりました。

そこで二人(「鮫島正純・鮫島純也)の出身地を調べてみると、
ある村の名前が出てきました。その村の名前は「田布施」です。
この田布施という村は、山口県と鹿児島県(現在は加世田市金峰町)にある
田布施町の事で、かつて朝鮮半島から日本に渡ってきた朝鮮人によって
形成された村の名前だそうです。
鹿児島の田布施も山口県の田布施と同じく朝鮮人部落なんだって・・・
皆さんもご存じのとおり、山口県と鹿児島県は徳川幕藩体制時代に
同盟を組んだ長州藩と薩摩藩です。

維新の立役者であった長州や薩摩の志士たちは、郷士であったり、
貧しい商人や百姓の出であったり、その多くが苦しい身の上の者でした。
徳川幕藩体制を崩壊させることは、自らの藩における身分制度も
崩壊させることとなります。
今の自分たちの置かれた苦しい現状を変えることが出来るのです。
そこで当時、最も格下の階層が集まっていたと思われる“田布施”から
多くの賛同者が集まり、ここから幕藩体制をひっくり返す多くの維新の志士が
生み出されたのではないかと思われます。
そして明治維新後、田布施出身の多くの志士が明治政府の重要なポストに
就くこととなります。
そしてその流れは受け継がれ、現在の安倍首相へと繋がっているようです。
この明治維新から受け継がれてきた一連の流れが、「田布施システム」
と呼ばれています。

マイノリティー・被差別民を使った日本支配が「田布施システム」と
呼ばれています。


※ 「マイノリティー」とは:社会的少数者または社会的少数集団、社会的少数派とは、その社会の権力関係において、その属性が少数派に位置する者の立場やその集団を指す。 

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by kfujiken2 | 2014-07-07 09:13 | 歴史 | Comments(0)
SA・PAの休憩施設の利用促進を図るために業務用出入口
(元来はエリア従業員の通勤やエリアで販売される物資の搬入などにのみ
用いられていたもの)を一般向けに開放したものであり、
一般道から高速道休憩施設を利用できるように設置している。


山陽自動車道下松SAは上下線ともに一般道から行くことが
可能なのです。


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上り線側にある和食レストラン・旬鮮美味

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唐戸市場から仕入れた新鮮な魚介がレジカウンターの前に並べられています。
こんな山の中の高速のSAで新鮮な海の幸が食べられるとは…。

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by kfujiken2 | 2014-07-03 14:13 | 未分類 | Comments(0)
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