山口県の歴史・風景・花や世相のトピックをお届けします


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山口御屋形 ⇒ 政事堂 ⇒ 山口議事館 ⇒ 山口藩庁への改称

先日、何十年振りに防府の毛利邸を訪ねました。
毛利邸・毛利博物館を一通り見た後、学芸員さんと毛利邸や三田尻御茶屋(英雲荘)ついて
色々話している内に、毛利敬親が築城した山口城についてまで話が広がり長くなりました。その学芸員さん曰く、山口城がどんなお城だったか知りたければ、「山口市史 史料編 近世2」を調べると参考になりますよ!!! とアドバイスを頂き、早速図書館に出向き調べて来ました。

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防府毛利邸の話を少し致します。
本邸建設は、先に定められた「家憲」の規定にしたがい、旧藩士であった
維新の元勲井上馨によって、明治25年(1892)この地での建設が決められたという。
しかしその後相次いで発生した日清戦争・日露戦争の影響によって着工が遅れ、
ようやく準備が整った大正元年(1912)9月に建設が開始され、大正5年(1916)、
6年弱の歳月を経て完成した。
この邸宅は、東京芝にあった高輪邸や、既に防府に存在していた三田尻邸(現英雲荘)などと
区別するため、その所在地から防府邸ないしは多々良邸とも呼ばれていた。
防府毛利邸は、毛利宗家の本邸で明治維新後に爵位を得て公爵となっていた、
旧長州藩主(毛利藩主最後の嗣子)毛利元昭が、国許に建てた邸宅と庭園です。
毛利宗家の第29代当主の毛利元昭は、長州藩最後の藩主であった第14代藩主毛利元徳の長男で、「そうせい侯」と呼ばれたが、名君だった13代藩主毛利敬親の孫にあたります。
大河ドラマ「花燃ゆ」でも演じられた、杉文(久坂美和)さんが興丸(おきまる・毛利元昭)の
養育係(守役)に抜擢されている。

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さて ここからは山口城(藩庁)について「山口市史 史料編 近世2」を調べた結果をお話いたしましょう・・・

━━ 時は藩是により「公武合体策」から「尊王攘夷策」へと大転換が図られます。 ━━
※ 藩是(はんぜ)とは・・・その藩の大部分の政策の方向性を決定付ける、藩民の支持を得た方針のことである。

萩藩主・毛利敬親は藩是(藩の政策の方向性)を決定して以来、
萩城は防長の片隅で、「割拠戦闘之時」には適しているが、
「外夷掃壤」(攘夷戦)については赤間関そのほか南海(瀬戸内海)
に「敵衝」(敵の通路の要所)が多く、萩からでは指揮が行き届かない。
これに対して山口は防長の中央の地であり、諸郡へ号令が達しやすく、
出馬のさい便利である。支藩・家老たちとも相談して山口へ住居することに決めました。
この「移居」(移鎮)は、「古今形勢之変換」、つまり情勢が変わったことによって
行うのであるという攘夷戦のための移鎮である。


※【 山口移鎮(いちん) 】とは・・・
萩は1604年毛利輝元入城から259年間(萩城築城から254年間)藩庁が、
置かれ人口4万人以上の西日本有数の城下町として発展していた。
1863年(文久3年)に長州藩主「毛利敬親」が、藩是を決定して以来、
萩から山口へ政治の拠点を移し、山口政事堂を築いた出来事をいいます。
城地と藩庁の両方の移転を行ったこの事業は、いわば首都の移転とも
言える大きな事業でした。


◆ 【 山口移鎮(いちん) 】とは・・・このページを参考にして下さい。

◆ 山口新御屋形の場所や差図等は 【連載 山口新御屋形】 を参考にして下さい。

移転の準備は水面下で着々と進められていたのです。
手当方(軍備担当)の田上宇平太と郡用方(民政担当)の玉木文之進、
それに馬屋原右兵衛・氏家鈴助を同行させ、当面内々で山口の地形を調査させたのである。萩藩主・毛利敬親は、日帰りの湯治を名目として萩を発ち、山口中河原の御茶屋に入りました。
この行動は、攘夷を決行に備えての、城地選定が目的でした。この時点における城地の最終候補としては、宮野と神峰(鴻ノ峰)麓説とがあったようですが、種々検討の結果鴻ノ峰で話がまとまり、同年7月には「山口移鎮」が宣言されます。

山口城(藩庁)の構えは、「八稜城」といい函館の五稜郭とおなじ西洋式の城郭であったとされます。
山口城(山口屋形)は政務と補給を主目的とした後方の策源地としての役割を担った。
周囲を水堀と石垣で囲み土塁と砲台を配置した小規模な単郭式の平城であるが、
北方と西方は丘陵地を背にしており、南方と東方は死角の無い八角稜堡式城郭となっていた。砲撃戦を想定し天守閣や櫓などの高層建築物は配置されなかったが、西方の丘陵地にあるかつての高嶺城を詰城としていた。城内の御殿は萩城の御殿や禁門の変の咎で没収された江戸桜田藩邸を解体したものが移築され、幕府には「屋形の移設」として申請された。
一部二階建ての御屋形は、明治から大正初期まで藩庁・県庁として使用されました。


毛利邸の天皇がお泊りになつた公居間です。
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by kfujiken2 | 2016-05-27 12:13 | 歴史 | Comments(0)

遅ればせながら・・・蜂ヶ峯総合公園のバラ園

一週間前になりますが、蜂ヶ峯総合公園のバラ園に行って来ました。
管理事務所では、四分咲きだと話しておられました。
言い訳になりますが、見頃になると混みますので
少し早めに行ってみました。 あはっ♪(^∇^*)*^∇^) あはっ♪


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山口県と広島県の県境に近い和木町に26ヘクタールの広い敷地の蜂ヶ峯総合公園が
あり、その一角に約180種4000株のバラが咲くバラ園があります。

我が町から和木町は少し遠いです!!! (´∩`。)グスン
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バラアーチも花の数が少なく、寂しいバラトンネルでした。
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しかし、女王エリザベス2世から、皇后美智子様に献呈された【プリンセス・ミチコ】は、綺麗に咲いていました。
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少しバラの画像を紹介しましょう・・・
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花の名前をメモして帰らなかったので、下の画像をご覧下さい。
和木町のホームページよりお借りしました。

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by kfujiken2 | 2016-05-19 09:18 | | Comments(0)

旧山陽道の宿場町として栄えた岩国市周東町高森を探訪

構えが立派な高森本陣跡は高森の街道筋(今は商店街)の中ほどにあります。
「高森本陣」は相川家が勤め、相川本陣とも呼ばれていた。
かつては街道の中央に用水溝が通って防火用水、洗濯にと利用していた。
両脇に柳や桜の並木があり訪れる人の目を楽しませていた。
昭和30年代初め商店街発展のため埋め立てられた。
高森本陣は、萩本藩の東端の本陣として重要視され、
幕府軍と長州藩との戦いである四境の役(第二次長州戦争)での
休戦協定成立の舞台になりました。

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本陣の標柱
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高森本陣の側にある、なまこ壁の白塀に門のみが残された屋敷跡がある。
造り酒屋を営んでいた中村酒造跡だそうですが、平成21年に取り壊された。

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「脇本陣」の受光寺です
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アメリカへの密航に失敗した吉田松陰は、江戸から萩に護送される途中、
岩本家に宿泊したとの事です。

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宇野千代のゆかりの地でもあったのですね~

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宇野千代の生まれは故郷岩国であるが、早くに母を亡くし、父の実家である高森で育てられた。造り酒屋である実家の敷地裏に「宇野千代文学碑」が建てられている。
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by kfujiken2 | 2016-05-15 09:36 | 歴史 | Comments(0)

藤三昧・・・アップが遅くなりました

近場で藤の名所といえば、知る人ぞ知るで山口市仁保の「一貫野の藤」と
徳地の「愛のふじ橋」ではないでしょうか?
見ごろは5月の連休明けと承知はしていたのですが・・・
一寸用事が立て込んで無理なので!!!
かと言って3・4・5日は人ごみで動きが取れないと思い、
少し早いのは分かっていましたが1日に出掛けて見ました。


◆ 一貫野の藤

山口市仁保一貫野地区には、藤の大木があって例年5月の連休明けには
木全体に淡い紫色の花をつけます。
昨年は裏年にあたり、ちっとも藤の花が咲いてませんでした。
土地の人に話を聞くと、一昨年花が終わった後に沢山過ぎる実をつけたそうです。
沢山の実ををつけると実の方に栄養分が回り、翌年は裏年となり花が少ないそうです。
藤に限らず、花が済んだ切るが鉄則だそうです。


北側(下流)の藤
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南側(上流)の藤
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◆ 愛のふじ橋

説明等、詳細は昨年撮影・投稿した下のページをご覧下さい。

【藤が繋げる夫婦愛】

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by kfujiken2 | 2016-05-11 17:37 | | Comments(0)

星美会作品展

下松市の画家で一水会会員の岩池和代さんが、主宰する絵画教室「星美会」の
第16回星美会作品展が4月28日~30日にスターピアくだまつ展示ホールで開かれた。
同展は日ごろの成果を多くの人に見てもらい、励みにしようと年一回開いて16回目。
初心者からベテランまでが日常の中から見つけた世界を描いた小品から百号の
大作までが並ぶ。


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友人の出展作の一つで【やすらぎの時】という、
娘さんが孫を抱いた微笑ましい姿は、お爺ちゃんでなくても、やすらぐ光景ですね~
それにしてもお母さんやお孫さんの表情もリアルだが、
お母さんの洋服やズボンの皺などは、なんと写実的な絵描き方だろう・・・

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by kfujiken2 | 2016-05-05 09:52 | 未分類 | Comments(0)

山口の迎賓館 【菜香亭】 その3

山口の迎賓館 【菜香亭】の最後の投稿として、【扁額】について説明しましょう・・・

見どころ③ 【扁額】

【扁額(へん‐がく)】とは:門戸や室内などに掲げる横に長い額を指します。
菜香亭の100畳の大広間など館内には、総理大臣9人を含む29枚の書が
掲げられています。
いずれも料亭を利用された際に揮亳をお願いしたものらしいです。
料亭でこれだけ書が一堂に会しているのは全国でも菜香亭だけだそうです。
この扁額を「開運!なんでも鑑定団」に出したら、幾らの値段が付くだろうと
思ったのは "せこい私" だけでしょうか???


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それでは5人の著名人の扁額をご紹介しましょう。

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■「清如水平如近衡」・・・木戸孝允
* 宋史の一節で、清兼で公平


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■「一家天地自春風」・・・伊藤博文
* 皆が一つになったらおのずと春風が吹く


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■「江山豁如」・・・山県有朋
* 山野が開けて眺めがよい


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■「微風和暖」・・・田中角栄
* かすかな風が平和をもたらす


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■「寂然不動」・・・安倍晋三
* 心は静かに穏やかだけれど何事にも動ぜず、信念は曲げない


文字の上手さや、文章に性格が出ると言いますが、
比べて見られたら面白いと思います。

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by kfujiken2 | 2016-05-01 17:13 | 歴史 | Comments(0)