山口県の歴史・風景・花や世相のトピックをお届けします


by fujiken

プロフィールを見る
画像一覧

S M T W T F S
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31

リンク

カテゴリ

風景
歴史

コラム
未分類

フォロー中のブログ

四季の風景
6ワン’s mom
つれづれなるままに
四季折々
より美しく!より健康に!
季節の花々に癒されて
時の流れのままに
風に吹かれて~♪
月の沙漠を
hiroshijiji1...
おいしいマイニチ
一期一会 ~あけぼのフェ...
農園のドタバタ奮闘記
俺の心旅

最新のコメント

>また、毎年9月日本史を..
by 白虎 at 23:42
貴方が言われていることも..
by 会津生まれ at 20:27
おいでませ、長州より発信..
by kfujiken2 at 15:57
早速 探しました。 すぐ..
by りこ at 11:05
私はブログをやっていませ..
by なすび at 21:01
なすびさんのサイトを紹介..
by kfujiken2 at 09:05
戦争ができないとヤバいで..
by なすび at 11:48
ご指摘痛み入ります。 ..
by kfujiken2 at 10:28
会津の人間です。 記事..
by あかべこ at 05:24
貴殿は気づかれていないよ..
by なすび at 13:09

以前の記事

2017年 11月
2017年 10月
2017年 09月
more...

最新の記事

幻の下松藩邸
at 2017-11-08 13:07
陽気につられて紅葉狩り
at 2017-11-01 16:18
深睡眠(しんすいみん)とは
at 2017-10-29 10:02
乃木希典と児玉源太郎
at 2017-10-24 12:12
ドローン女子
at 2017-10-18 11:53

ブログジャンル

歴史
中国

画像一覧

<   2017年 10月 ( 5 )   > この月の画像一覧

深睡眠(しんすいみん)とは

楽しみにしていた加来耕三先生の維新150周年によせて「乃木希典と児玉源太郎」の講演会を慢性化したギックリ腰が起こり、残念ですが拝聴することが出来ません
 ((“o(>ω<)o”))クヤシイー!!


d0061579_105356.jpg


睡眠には、レム睡眠・ノンレム睡眠があります。
レム睡眠・ノンレム睡眠は睡眠中に交互に現れます。
レム睡眠・ノンレム睡眠を合計で4回ずつくらい繰り返すのが、通常の睡眠です。

深睡眠は、これとは別の分類方法です。
深睡眠は睡眠の最初の3~4時間くらいに多く見られる深い睡眠で、ノンレム睡眠中に見られます。特に1回目のノンレム睡眠中に現れます。つまり、深睡眠とノンレム睡眠は別物という訳ではなく、ノンレム睡眠の一部が深睡眠という位置づけです。
このため、レム睡眠が深い睡眠という訳ではなく、最初の方に現れるノンレム睡眠で深い睡眠が訪れるという方が適切です。


深睡眠は、具体的にはいくつか特徴があります。

・成長ホルモンの分泌が最大になる
・脳が最も休んでいる睡眠


成長ホルモンとは、タンパク質の合成を促すホルモンです。
筋肉を付けたい、お肌を元気にしたいなどの場合はとても重要なホルモンです。
そのため、この深睡眠の時間を「お肌のゴールデンタイム」と呼ぶこともあります。
また、深睡眠は脳が最も休んでいる状態です。
睡眠の役割として、脳の疲労回復があります。
脳内の疲労物質やストレス物質の除去が最も効率的に行われるのが、
この深睡眠です。
だからと言って、深睡眠だけとれば脳の回復が十分ではありません。
最適な睡眠時間は、深睡眠後にもしっかり眠る必要性を示しています。


若年者と高齢者における睡眠の一般的な状態

横軸が睡眠時間、縦軸がノンレム睡眠の深さを示している。濃い青がレム睡眠、薄い青がノンレム睡眠。高齢者のグレーは目が覚めている時間だ。なお、ノンレム睡眠のステージ1と2が浅い睡眠で、ステージ3と4が「深睡眠」と呼ばれる。深睡眠を2時間以上取るのは10歳頃までで、それ以降はどんどん減る。一方レム睡眠の量は一生を通じてそれほど変わらない。

d0061579_959791.jpg


高齢者や老人は若者と違い、睡眠リズムが乱れやすくなります。その理由は、高齢になると中途覚醒が増えるため、睡眠中に何度も目覚めてしまうようになるからです。中途覚醒が増える理由は、年をとると過活動膀胱になることが多く、寝ている時でもトイレに行きたくなるためです。
人間には体内時計が備わっていますが、年をとると体内時計の周期がズレてしまい、24時間周期ではなくなってしまいます。そのため、早朝覚醒をすることが増えてしまい、朝までぐっすりと眠れなくなります。

[PR]
by kfujiken2 | 2017-10-29 10:02 | 未分類 | Comments(0)

乃木希典と児玉源太郎

10月29日(日)ホテルサンルート徳山にて、加来耕三先生の維新150周年によせて
「乃木希典と児玉源太郎」をテーマの文化講演会があります。

応募したら招待券が送って来ました。どんな話をされるのか楽しみです。


d0061579_11531181.jpgd0061579_115409.jpg





























































因みに乃木希典と児玉源太郎の紹介を簡単に・・・
乃木希典は、嘉永2(1849)年11月11日に、長州藩の支藩である長府藩の藩士・乃木希次(馬廻、80石)の三男として、江戸の長府藩上屋敷に生まれた。

d0061579_1202972.jpg


児玉源太郎は、嘉永5(1852)年2月25日に、周防国都濃郡徳山村(現・山口県周南市)に、
長州藩の支藩徳山藩の中級武士(百石)児玉半九郎の長男として生まれる。


d0061579_12130100.jpg


二人は長州藩の支藩である長府藩と徳山藩士の子供で、3歳違いの長州人の先輩・
後輩の関係です。



二人の逸話を簡単に!!!

児玉源太郎は満州軍総司令官大山巌の承認を得て、第3軍司令官・乃木希典大将の指揮権に介入し、作戦を成功に導いたとされる。源太郎は、歩兵のみでは二〇三高地を落とせないことを理解しており、
砲兵兵の柔軟で集中した運用を図ります。
一般に知られている説によれば、明治37年(1904年)12月5日、源太郎は乃木が攻めあぐねていた203高地に対し、火力の集中という要塞攻撃の常道を行うため、もともと海岸防衛用の恒久据え付け
砲で移動が困難な28センチ榴弾砲を、敵陣に接近した場所まで1日で配置転換を行うという、
奇抜な作戦を取ったとされる。
そして重砲の援護射撃の下、歩兵による突撃を同時に行い半日で陥落させた。
さらに203高地に弾着観測所を設置し、砲兵の専門家の助言を無視して203高地越えに、
旅順湾内のロシア旅順艦隊に28センチ砲で砲撃を加え、敵艦隊は壊滅した。

[PR]
by kfujiken2 | 2017-10-24 12:12 | 未分類 | Comments(0)

ドローン女子

昨日NHKの “シブ5時” で 「増えるドローン女子」という面白い番組を放映して
いました。


d0061579_11432599.jpg


『ドローン女子』とは何でしょうか?

『ドローンに興味がある女子』を総称して、そう呼んでいます。

女性の方だけでなく、男性の方にもかなりドローンの魅力、興味がそそられたのではないでしょうか?

d0061579_11462017.jpg


■見たこともない景色を見たい!

私達よりも何メートルも何十メートルも高い空を飛ぶ鳥たち。
鳥はどんな景色を楽しみ、そして何を思って空を飛ぶのでしょうか。
「ドローンを思い通りに動かし、飛ばしてみたい」
「自分がまだ体験したことのない世界を見たい」
と思う方は多いと思います。
ドローンの魅力を考えると、まず頭の中に浮かぶのはそういった
非日常的な体験です。

■何事も慣れが必要
もちろん自由自在に飛ばせるようになるにはある程度の慣れが必要となります。
はじめはうまく操縦できずにもどかしい気持ちにもなるかもしれません。
それを乗り越えて、うまく操縦できた時や空撮した映像を見た時の感動は特別なものであることは
言うまでもありません。
実際に空を飛んだような、鳥にTなったかのような素晴らしさがあるのです。
機体によっては、初心者向けで飛ばしやすいものもあります。
あなたもドローンにチャレンジしてみませんか?

◎資格や免許は不要です。誰でも扱えます!
航空法という名称や、複雑そうなルールなどから誤解を与えやすいのですが
ドローンを飛ばすこと、それ自体に資格や免許が必要というわけではありません。

ただし、以下の点は注意しましょう。
・日中の飛行(夜間はNG)
・目視できる範囲で飛ばす
・人や物から30m以上の距離を保つ
・人が集まる上を飛ばさない
・物を輸送、あるいは落下させない

[PR]
by kfujiken2 | 2017-10-18 11:53 | 未分類 | Comments(0)

下松高等学校の歴史

【はしがき】

1617年(元和3)下松藩(後の徳山藩)が創設され、1631年(寛永8)藩邸(下松陣屋)が
建設されました。下松藩(後の徳山藩)の初代藩主・毛利就隆の居館はどんな構図だったか、
建物の配置はどんなになっていたか? 等を色々調べていたが資料がない!!! 遺跡がない! 
でお手上げ状態の時、そうだ・・・1650年(慶安3年)下松藩が徳山に移転して
その跡地に約300年後の昭和4年に下松高等女子学校・櫨蔭(ろいん)学園が建設され、
昭和28年3月に、下松高等女子学校・櫨蔭(ろいん)学園が閉鎖し、光市の聖光学園聖光高等学校の
経営に専念することになったので、市はその校舎を買収して定時制校舎に提供した。
そこに昼間の下松高等学校定時制寺町分校が開設されたことを思い出しました。
つまり下松高等学校の前身が女学校だったとは聞かされていましたが、その経緯を詳しく知っている
OBは少ないのではないか? 又、自分の母校の歴史って意外と知らないのではないか? 
そんな些細なことで下松高等学校の歴史をたどってみようと思いました。


d0061579_11181567.jpg
d0061579_11183292.jpg



































端的に沿革を説明しますと、下図の校章でもお分かり頂けると思いますが、
山口県立下松女子商業学校 → 山口県立下松高等女子校 → 山口県立下松高校へと変革していったのです。


d0061579_11395138.jpg


それでは古い校舎の画像を見ながら沿革を説明致します。
下松高等学校(元 山口県立下松高等女子校)が創設されるまでの足跡を説明しましょう。


昭和18年10月に発せられた政府の戦時非常措置によって、軍需産業に対処するため工業学校に
転換された男子商業学校が、戦後、再びもとに復帰することになった。したがって商業学校の
不足を補う立場で昭和19年に設立された下松女子商業学校も、その存立意義が薄らいだのを機会に、
市の強い要請もあって、昭和21年4月に、県立下松高等女学校として再出発した。
取りあえず下松尋常高等小学校舎の隣りにある下松青年学校(現在の下松市立中学校)の三教室を
借用して、二学級編成で発足した。場所は現在の下松市立小学校の西側である。


山口県立下松高等女子校仮校舎 (昭和21年)
d0061579_11452391.jpg


さらに、下松高等女学校は昭和23年4月から、新制高等学校(山口県立下松高校)に移行されることに
備えて、新校舎の建設を急ぐことになり、新校地の選定・買収・造成などが、市の負担で積極的に進められた。当時は、農地解放・食糧不足の時期であって、耕作者の農地に対する執着心が強く、平野部での
用地取得が困難なため、新たに、大河内台地が候補地として取りあげられた。ここは、市のほぼ中央に
あたり、眺望絶佳にして閑静、山林・畑地で所有者の反対もとくにないことから、整地・用水などに困難な
問題点もあったが、昭和22年11月に適地として決定をみた。市民から山の高等学校と愛称された
ゆえんである。昭和24年2月に待望の新校舎が竣工し全校生徒が移転した。


新制高等学校・山口県立下松高校の旧校舎(昭和23年)
d0061579_124879.jpg


昭和29年4月に全日制家庭科が増設されたが、その後志望者の逓減によって、昭和39年4月
廃止された。 他方、昭和23年7月に昼間の下松高等学校定時制久保分校が開設された。
農業科・家庭科編成で、久保小学校校舎の一部と岡市にあった県設指導農場の一部を借用した仮校舎で授業を開始した。昭和4年に開校し昭和28年3月に、櫨蔭(ろいん)学園が下松市内の櫨蔭高等学校を閉鎖し、光市の聖光学園聖光高等学校の経営に専念することになったので、市はその校舎を買収して定時制校舎に提供した。これによって定時制久保分校はここに移り、定時制寺町分校と改称した。
その後、家庭経済や交通事情などの好転に伴い、定時制の生徒も激減する傾向を示したので、
県教育委員会はその見直しを行い、統廃合・整理の方針を定めた。これに基づいて、農業科は
昭和32年3月に、家庭科は昭和36年3月にそれぞれ募集を停止し、昭和38年3月寺町分校は
廃止された。

下松高等学校定時制寺町分校(元 櫨蔭高等学校)(昭和29年)

d0061579_12152313.jpg


現校舎(昭和55年)
d0061579_12245679.jpg

[PR]
by kfujiken2 | 2017-10-10 12:26 | 歴史 | Comments(0)

下松市に徳山初代藩主・毛利就隆ゆかりのお寺が三ヶ寺ある

来週の日曜日(10月8日) 毛利博物館長・山口大学名誉教授の田中誠二先生の講演「下松藩の成立と展開 ~そして幕末・明治維新へ~ 」を拝聴するにあたり、中々資料が無い中度々調べに行きましたが、再度私なりに何か探してみようと下松藩の居城跡に出掛けました!!!
しかし、目新しいものに出くわさずどうしょうかと思案していたが、すぐ近くに徳山藩初代藩主・毛利就隆が側室のために創建した松心寺というお寺があることに気が付き飛んで行きました。


松心寺(元 永心寺)は、1640年側室永心院のために就隆が創建しました。
徳山に毛利家菩提寺の大成寺が建立されると、位牌等はそちらに移動されたそうです。


山門と本堂です
d0061579_11345251.jpg
d0061579_11351448.jpg

































本堂の屋根に 「舟形一文字三つ星」 の徳山毛利藩の家紋が分かります 
d0061579_1140729.jpg


本堂西側の墓地に並んで永心院と伊勢姫の墓立っている。石造りの柵が時代を感じらせ、毛利就隆の大事に思う気持が推察できます。
d0061579_11541050.jpg


左側に高さ220cmの下松市内で二番目に大きい五輪塔があります。
これは徳山藩初代藩主・毛利就隆の最初の姫で、特に毛利就隆が竈愛していた
伊勢姫のために立てられたのである。法名は 「祥光院殿瑞中以松大姉」
姫は病弱のため一生結婚せず、46歳で寛文10年(1670)正月11日になくなられた。

d0061579_11595619.jpg


右側が就隆の側室で伊勢姫の母、永心院の墓。高さ145cm
d0061579_1241752.jpg


他の二つのお寺を簡単に紹介しましょう・・・


◆妙法寺  下松市東豊井1152
徳山藩初代藩主・毛利就隆の乳母が開基のお寺・妙法寺
妙法寺の本堂の軒にある毛利家家紋が、関係があったことを証明しております。
d0061579_12172541.jpg
d0061579_12174738.jpg
































http://kfujiken2.exblog.jp/22477410/
リンクページに飛んでいきます。


◆周慶寺  下松市中市1丁目9−1
徳山藩初代藩主・毛利就隆の生母「清泰院・二の丸様」の菩提寺で、法名は清泰院殿栄誉周慶大姉。

d0061579_122519.jpg
d0061579_12251789.jpg
































http://kfujiken2.exblog.jp/13088390/
リンクページに飛んでいきます。
[PR]
by kfujiken2 | 2017-10-01 12:37 | 歴史 | Comments(0)