長州より発信

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山口県の歴史・風景・花や世相のトピックをお届けします

3度目の宇野千代さんの生家訪問です。

前回は淡墨桜を観に行きました。淡墨桜は吉野桜より開花が早く3月の
終わり頃が見頃と聞いていたので、その時季に行ったのですが!!!
少し早く残念でした。
花の見頃は気候に左右されるので難しいですね~ 


今回は紅葉が素晴らしいとのことなので早速行きました。

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ベストタイミングで楓が最高で、苔とのコントラストが見事です。


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苔のジュータンの上で楓の落ち葉が戯れています。

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苔のマクロ画像も面白いですね~~~

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# by kfujiken2 | 2016-11-23 08:30 | 風景 | Comments(0)
桂家は右田毛利家の家老職の家のため、いつ切腹命令が来てもいい様に
「切腹の間」が作られていた。幸いに、切腹は一度も無かったと聞きました。


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畳の敷き方が、解かりますか?
畳は不祝儀敷である卍(まんじ)敷きで、切腹の時は真ん中の畳だけ残して
他の畳はのけて白砂を敷いて浄土の方向いわゆる西に向かって腹を切るのだそうです。
不吉なことを帳消しにする意味で、床の間の造りが枡造りになっています。
マス床は本当に珍しいそうです。


卍(まんじ)敷き
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床の間の造りが枡造り

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通常はこちらの敷き方

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切腹の間と呼ばれる敷き方はこちら
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違いがお判りでしょうか?
ともえ形に敷かれた畳が反対の左回りになっているのです。

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# by kfujiken2 | 2016-11-16 09:37 | 歴史 | Comments(0)
【月の桂の庭】が期間限定で公開されました。 

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月の桂の庭と言われている桂家の庭は、東庭と南庭からなる一庭二景の平庭式枯山水庭園で、
四代桂運平忠晴(1664年~1747年)が正徳2年(1712年)に造ったものと伝えられている。
山を背にし、南に面した日あたりのよい小高い静かな昔の武家屋敷で、前面には防府平野が開け、
左には天神山、中央に桑山、そして前面は佐波川が南流する眺めのよさで、
借景としては格好の場所である。


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玄関です、右手に見えるのが庭に入る扉です。
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玄関を入るとさすが武士の御屋敷、いざという時の用意周到に槍が吊るしてある。

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書院の右手に【月の桂の庭】の南庭と東庭の一部が見えます。/
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逆L字型の敷地にいたるところに遠近法が使われており、庭は奥に行くにつれて幅が狭くなり
土塀も奥に行くにしたがってわずかに低くなり遠近感を出しています。

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庭の言われとなっている「月の桂」とは、古代中国の伝説で月に生える桂の木。
桂は仙人の食べ物とされ、「月の中にある桂」は不老不死の象徴とされています。
17個の石組みからなる石庭は大変凝った綿密な造りとなっており、立石と臥石の調和、
位置の平均率、石の象徴性などその構成は京都竜安寺の石庭より複雑なものです。
桂忠晴は当時佐波川河口で干拓の大事業をすすめていたが、その事業の成就のため兎肉をたち、
書院の縁先、あるいは庭の石により月に祈願したという。
月の桂の庭の名は、その月待(つきまち)の行事に由来する。(月待行事旧暦11月23日)

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※ 御屋敷の中に「切腹の間」という座敷があるのですが、長くなりましたので
明日アップしますね・・・ご期待の程


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# by kfujiken2 | 2016-11-14 16:25 | 風景 | Comments(0)
10年以上前から一度素晴らしい匹見峡の紅葉を見に行きたいと思っていました。
しかし道路が狭いので大きい車では、中々通行が難しいらしいので諦めていました。
だけど車を軽自動車にした現在ならば、OKと思い行って見ることにしました。


匹見峡 とは渓谷の名前で、美しい渓谷美が見られます。
匹見峡には、表、裏、奥の3つがあるます。
国道191号線の近くに奥匹見、県道307号線の近くに表匹見、
そして国道488号線に裏匹見があります。


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国道187号線から一番近いのは、道路は狭いが国道488号線の裏匹見だとネットで調べ、
裏匹見を見学することにし出発しました。
広瀬から国道187号線に入り「ピュアラインにしき」で休憩、国道434号線を東上し
雙津峡温泉の側を通り、何度もお参りしている腰から下の病気を治して下さるという
江龍寺(俊道様)に立ち寄りお参りを済ませ、更に国道434号線を東に進み国道186号に入り、
途中を左折して国道488号線沿いにある裏匹見峡を目指して北上しました。


ここからが大変だったのです・・・

標識をしっかり見ず、積雪時通行不能で、車幅2m以上は通行不能と書いてあったので、
道幅は狭そうだが積雪も無く車幅2m以内だから、気を付けてゆっくり行けば大丈夫と
思い進んだのが間違いでした。
国道だからいい道なんだと思ったら大変!!! ガードレール、カーブミラーが設置されていない
峡谷の断崖絶壁の上を車が何とか通り抜けられる程の幅しかない区間が続くことから、
谷側へ転落の危険があり、車同士のすれ違いが困難である。
中国地方を代表する山越えの俗に言う「酷道」の一つに挙げられるらしい。
まさかの交通止めです・・・ かなり先へ進んだ所が通行止めになっている。
国道488号線沿いにある裏匹見峡は、現在通行止め区間の中にあるのです。


諦めて引き返し戸河内まで行き、国道191号線を西に下り表匹見峡に向かいました。
途中の「いこいの村ひろしま」辺りの紅葉が最高でしたが、あいにくの雨で撮影が出来ず
残念でした。


「いこいの村ひろしま」の入口の真紅のもみじ
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国道191号線から島根県道307号線に入り表匹見峡へゴールイン。

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# by kfujiken2 | 2016-11-10 15:31 | 風景 | Comments(0)
何も予定の無い文化の日(3日)、花の少ないこの時季に花の撮影にでも行ってみようと
「やまぐちフラワーランド」に行って来ました。
残念なことに冬の花壇へと衣替えの時季に入り、秋花の多くは終わっていました。


管理事務所前のベコニアが出迎えてくれ、入口を入ると四季折々の花をのせた24個のゴンドラが回転する
フラワーランドのシンボルが目に入ります。


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大仏ヘアーを「螺髪(らほつ)」というそうですが、葉牡丹が正しく大仏ヘアーの様に、ユニークなデザインで植えられています。
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「ロックガーデン」はコニファーと呼ばれる針葉樹ですかね? 色彩、樹形など綺麗です。
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全長約50mの階段状花壇「ボーダーガーデン」は深紅のサルビアで艶やかです。
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帰りに冠山総合公園で「秋のばら祭」を開催しているので寄ってみました。
残念なことに10月22日から開催しているので、時既に遅しとでも言いますか枯れ落ちたり、
花びらが傷んでいたり見頃を超えていました。
花の撮影は難しいですね!!!  花の見頃は8分咲きですよね~

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# by kfujiken2 | 2016-11-05 16:31 | | Comments(0)
山口県旧県庁舎及び旧県会議事堂の見学の序に、
2013年度から実施されていた山口市湯田温泉の井上馨の生家跡地にある、
井上公園の改修工事が終わり、一般公開が始まったそうですから見て来ました。


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場所は湯田温泉 ホテルニュータナカの裏手になります。

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八月十八日の政変で京都を追われた七卿が滞在した「何遠亭」(かえんてい)が
復元されている。

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井上馨といえば『長州ファイブ』の一人であったことは有名ですが、
袖解橋(そでときばし)で襲撃に遭い、美濃の浪人で医師の所郁太郎が遭難に馳せつけ、
数か所の刀傷を五十数針縫い合わせる大手術をなし、 瀕死の井上馨を奇跡的に救ったことは
知る人ぞ知るの事件です。

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井上馨に関しては↓で説明をしていますのでご覧下さい。
http://kfujiken2.exblog.jp/21888223/
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# by kfujiken2 | 2016-11-01 16:07 | 歴史 | Comments(0)
一昨日は山口県旧県庁舎及び旧県会議事堂の概要を説明致しましたが、
今日は内部をかいつまんで説明致します。


山口県旧県庁舎及び旧県会議事堂の正面玄関の車寄せの列柱を見て下さい。
柱をよく見ると下の方は四角、途中は八角 、上の方はカーブを描いていますが、
これは船肘木といってインド様式だそうです 。独創的な意匠を持ち彫刻のような
美しさをたたえてます。


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旧県会議事堂の見所と言えば、正面玄関を入って直ぐの会議場でしょう。


〈議場・側面から〉
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〈議場・議長席から〉
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〈議場・2階の傍聴席から〉
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では旧県庁舎をご案内致しましょう。


<旧知事室>

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<正庁会議室>
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<歴代県知事写真展示>

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〈県庁舎の変遷〉
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大政奉還後の明治3年(1870年)2月、山口政事堂から山口藩庁に改称。
さらに、廃藩置県が行われた明治4年(1871年)には、城内に山口県庁が置かれ
大正5年(1916年)に山口県旧県庁舎(大正庁舎)が完成するまで、
山口県の県庁(文久庁舎)として使用していた。


〈山口城(山口御屋形)の実像〉

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山口城(藩庁)の構えは、「八稜城」といい函館の五稜郭とおなじ西洋式の城郭であったとされます。
山口城(山口御屋形)は政務と補給を主目的とした後方の策源地としての役割を担った。
周囲を水堀と石垣で囲み土塁と砲台を配置した小規模な単郭式の平城であるが、
北方と西方は丘陵地を背にしており、南方と東方は死角の無い八角稜堡式城郭となっていた。
砲撃戦を想定し天守閣や櫓などの高層建築物は配置されなかったが、西方の丘陵地にあるかつての
高嶺城を詰城としていた。城内の御殿は萩城の御殿や禁門の変の咎で没収された江戸桜田藩邸を
解体したものが移築され、幕府には「屋形の移設」として申請された。


〈山口城(山口御屋形)の玄関〉

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〈旧藩庁玄関軒飾・懸 魚 (げぎょ)〉
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# by kfujiken2 | 2016-10-24 10:18 | 歴史 | Comments(0)
山口県旧県会議事堂が復原工事を終了し、公開されているので見学に行きました。

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「山口県旧県庁舎及び県会議事堂」は、大正2(1913)年から大正5(1916)年にかけて建造され、
旧県会議事堂は昭和49(1974)年、旧県庁舎は昭和59(1984)年まで利用されていました。
西洋の近代的な建築様式と伝統的な和様式が融合した大正建築の粋を集めた貴重な建築物として、
国の重要文化財に指定され、保存・活用されています。
いずれの建物もれんが造りで内装は漆喰、外壁はモルタル仕上げ。玄関を中心に左右対称に建物が張り出したデザインは共通しており、シンプルで優美な西洋の後期ルネサンス様式を基調としながら、随所に斬新さが感じられる、大正時代の代表的な建築物です。


山口県に生まれ育って、「山口県旧県庁舎及び県会議事堂」について知らなかったこと!!!

① 旧県会議事堂は旧県庁舎の東南面して並置され、当初は木造平屋建の廊下で結ばれていた。
② 旧県庁舎及び県会議事堂の建物は、中央シンメトリー(左右対称)の美しい意匠を採用している。
③ 上から見ると旧県会議事堂は「山」、旧県庁舎は「口」という文字を形成し、合わせて「山口」となるのも非常に興味深いポイントです。
④ 現在こんなふうに県庁舎と議事堂、両方の建物を一体的に保存しているのは山口県と山形県の2県だけだそうです。
⑤ レトロでゴージャスな雰囲気から、映画のロケに活用されることもあり、知事室では平成26(2014)年に映画「黒執事」のロケも行われました。(山口県フィルム・コミッション)

②について説明しましょう・・・
この図面をご覧になるとお分かりと思います。 確かに左右対称ですよね
旧県庁舎の1階図面です。
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旧県会議事堂の2階平面図です。
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③について説明しましょう・・・
旧県会議事堂模型ですが、「山」の字に見えませんか?
 

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旧県庁舎模型ですが、こちらは「口」の字が!

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明日は内部をご紹介しましょう・・・

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# by kfujiken2 | 2016-10-22 13:11 | 歴史 | Comments(0)
お寺で演奏会・展示会・懇談会が開催されました。

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住職曰く、お寺は寺小屋と呼ばれた学校であったように、昔は地域の公民館であったのではないかと
思います。それが今のお寺の役割は、法要儀式や、法座行事等の宗教活動に限定されるようになりました。(宗教)法人として、社会に開かれていなければならないはずなのに、実際は、一般人にとっては
近寄りがたい存在になっています。それを何とかして、本来の姿にしたいと思い、思いついたのが
今回の「お寺deアート&カフェ」でした。


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第1部 演奏会

琴と尺八の和の合奏です。

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オカリナとギターの演奏です。
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オカリナとリコーダーの木管楽器の協奏です。
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潮音民謡同好会の三味線の演奏です。
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最後がギター&ボーカルで演奏会を〆ました。
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第2部は本堂から門徒会館に場所を移し、展示作品の解説と鑑賞です。

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最後に門徒会館の大広間でコーヒーとケーキで懇親会をやり、本堂で恩徳讃(おんどくさん)斉唱して閉会となりました。

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# by kfujiken2 | 2016-10-18 10:44 | 未分類 | Comments(2)
さきおととい(10月9日)の深夜大雨が降っていたが、朝になったらすっかり晴れ渡り好天気。
以前から気になっていた田布施の田んぼアートを見に行きました。
【田布施町商工会議所サリジェ横】【西田布施小学校横】【真殿交差点側】
【瀬戸の観音橋近く】と4か所の田んぼアートがあるようですが、
【西田布施小学校横】【真殿交差点側】は場所がよく分からず、
又、【瀬戸の観音橋近く】は雨に打たれて文字が崩れていたので、
【田布施町商工会議所サリジェ横】のみ撮影しました。


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手前が田布施地域交流館新マスコットキャラクター・ 「たっちー君」
後方が「山合いから昇るかがやく朝日」のテーマ


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1ヶ所しか撮影しなかったので家路に着くには早過ぎ、何処かで時間を潰そうと思い、
田布施に行く途中見掛けた「富永有隣碑」の案内版を思い出し寄って見ることにしました。


富永有隣
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富永有隣が田布施町と関わりがあったことは知っていましたが、
田布施町宿井瓜迫に住居跡があったとは初めて知りました。
妹の嫁ぎ先を頼って熊毛郡城南村(現 田布施町)へ行き、「帰来塾」を開いて
青年の教育に力を尽くしたことは聞いていました。
国木田独歩の『富岡先生』は有隣をモデルにしたものです。



富永有隣と吉田松陰の関わりについて・・・


野山獄の最後の住人として入獄した松陰が、先輩囚人である11人と、
学問・芸・そして風雅の道を通じて交流を深め、いわゆる『野山獄の奇跡』と
呼ばれた獄中教育を演出することになるのですが、その中で松陰と共に獄中教育の
中心的役割を演じたのが藩校明倫館で秀才と呼ばれた富永有隣でした。
『藩内の逸材』とまで呼ばれた富永有隣は、何故厄介者の烙印を押され、
獄に下されるような事態に陥ったのかといいますと、性格が極めて了見が狭く人と調和できず、
しかも自信過剰により、不遜な振る舞いが多く、親戚や同僚とのトラブルが絶えなかった為と
聞いています。分かり易く言えば、相当なひねくれ者で嫌われ者な人物ということです。
野山獄から釈放されても行場のない富永有隣は、松陰の招きにより、杉家の居候となり、
運営が軌道に乗り始めていた松下村塾の講師として塾の運営に携わることになったのです。


【富永有隣顕彰碑】

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# by kfujiken2 | 2016-10-12 15:25 | 風景 | Comments(0)
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