山口県の歴史・風景・花や世相のトピックをお届けします


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きつねの嫁入り

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昨日 全国でも珍しい「きつねの嫁入り」がありました。

稲穂祭の催しのひとつとして 行われるのですが・・・
白狐の新郎新婦で仲良く並んで人力車に揺られ
後ろに紋付袴姿の親族やお供が続きます。
きつね夫婦を誰が演じるかは 毎年秘密とされているのが習わしで
不思議なことに新婦役になった娘さんは 良縁に恵まれると言う話しです。

私は 地元に居ながら今だかって一度も観た事が無いんです。
つまり 休みの日と合わないんです・・・
それに月初めの祭日だし 仕事も忙しい所為もあるんですが!

仮に休みでも 車の駐車する場所が無いんですよね~
御神幸の通る道は 参勤交代も通っていたと旧街道で狭いのです。


【ゆかりの説明】
花岡の上市にある法静寺の住職は 徳の高い人として知られ人々にしたわれていた。
享保九年(1724)のある日 徳山へ出かけたが帰りは日が暮れてしまった。
遠石から久米に出て坂を越えると 寺のある上市はすぐそこであった。
ここまで来て 住職は自分の手に数珠がないのに気づいた。
探してみたが、道は暗く遂に発見できなかった。
仕方なく寺に帰って床に就いたが 失った数珠のことが気になり
なかなか寝つかれなかった。それでもいつの間にか、うとうとしていた。
住職の枕許へ何かが立って
「私たちは、わけあってしらむが森に死んでいる夫婦の白キツネです。今晩、数珠を届けに参りました。
その代わり 私たちの遺体を人様と同じように このお寺に引きとって下さい。
そうして下されば、お寺や里の人びとを災難から守ることをお約束します」
という声を聞いて目が覚めた。驚いたことに無くした筈の数珠が枕許にあるではないか。
住職は すぐに白キツネの遺体を引きとって 人間同様に手厚く葬り供養をしてやった。
それ以後 失せ物・たずね物が見つかるという霊験があらたかで
この寺に参る人が増えていったという。
この夫婦キツネは 福徳稲荷として法静寺の境内に祭られ
毎年十一月三日の「稲穂祭」には遠近より多くの参詣者があり
戦後「きつねの嫁入り」行列が行われるようになって更に有名になった。
この行列に参加すると良縁が得られるといわれ 若い未婚女性の人気を集めている。
また春の初午祭にも多くの参拝者がある。
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# by kfujiken2 | 2005-11-15 15:12 | 歴史 | Comments(0)

将棋の駒

この将棋の駒 デカイでしょ!
手前に 使い捨てライターを置いているから 見当付きますよね・・・
親戚の叔父さんで こんな物作るのが好きな人が居るんだよ~
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# by kfujiken2 | 2005-10-18 15:15 | 未分類 | Comments(6)

砂のバラとサソリ

30年位前に アルジェに仕事で行った人に
お土産と言って貰った 砂漠の砂の結晶「砂のバラ」です。

上に乗っかっているのが サソリの剥製です。
貰った時は 両方のハサミもあり 綺麗な姿だったのですが
動かしている間に 片方が折れた様です・・・
全長7センチ位ありますが 刺されると人間は愚か 
牛1頭位は死ぬ毒を持っているそうです。
w(゜o゜)w オォー {{ (>_<) }} コワイー!!
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# by kfujiken2 | 2005-10-18 15:14 | 未分類 | Comments(0)

オランダの木靴

木靴は 軽くて水に強い柳またはポプラの木から作られているそうです。
木靴の表面がぬれても中は暖かいので かつて低湿地帯であったオランダに
ふさわしいはきものでした。
現在でも 地方によってはお祭りのときに木靴ダンスを踊ったり
木靴の音をさせながら行列をしたりするそうです。
でも 殆どはお土産物としてあるのではないでしょうか・・・
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# by kfujiken2 | 2005-10-18 15:09 | 未分類 | Comments(0)

彼岸花

別名:マンジュシャゲ(曼珠沙華)
花言葉 : 悲しき思いで

法華経の「摩訶曼陀羅華(まかまんだらげ)曼珠沙華(まんじゅしゃげ)」から出たと言われ、
梵語(ぼんご=古代インドの文語であるサンスクリットの称)の
「天上界の花」「赤い花」の意味を持つとされています。

秋の彼岸頃に咲くのでこの名前になっています。
田舎道の脇に群生していたりしますが,
町中でも空き地や家庭の庭等に見かけます。
彼岸花には リコリンと言う毒があるが
薬用としての使用法もあります。
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球根・茎が あかぎれ、痔、歯痛、はれもの、しらくも(頭部白癬)に効くと言われています。
①あかぎれ 球根をおろし、米のりでぬってつける。
②痔 痔の痛むときに、茎を刻み、せんじた汁で幹部を洗うとよい。
③歯痛 球根をおろしたものとオオバコの葉とをよくねり合わせて、痛む側のほおにはる。
④はれもの しらくも 球根を生のままですりつぶし、和紙にのべて患部にはる

また 球根をおろして、ヒマ(唐胡麻)の実をつぶしてねり合わせ、それを土ふまずにはると、
尿の出がよくなって浮腫がなおったり、腹膜にたまった水がとれたりすることがある。

【白い彼岸花】
別名:シロバナマンジュシャゲ(白花曼珠沙華)

ショウキズイセン(鍾馗水仙)とヒガンバナの交雑種だそうです。
雨上がりで空が暗く 出来上がった写真は怪しい雰囲気で 一寸凄みがあります。
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# by kfujiken2 | 2005-09-22 07:42 | | Comments(2)

月下美人

今年も咲きました!
一日のはかない命 華麗な姿を見せてくれる月下美人
容姿端麗 美人薄命な花です・・・

何せ開花を始めて満開まで 3時間位掛かるので 
命の水を片手でに撮りましたので 途中で眠くなり
満開を待たずに 寝ました ヾ(@^▽^@)ノわはは

開花前の蕾
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もう少しで満開
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角度を変えて
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超マクロで
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# by kfujiken2 | 2005-09-17 10:15 | | Comments(6)

鎮守府

海軍では、日本を3つないし4つの海軍区に分類していた。
沿岸防御・港湾整備・兵員徴募および人事管理などを海軍区ごとに行なっており、
これを統括する機関として鎮守府を置き、その長を鎮守府司令長官と呼んだ。
それぞれの海軍区にはひとつの軍港、場合によってひとつ以上の要港を置き、
鎮守府は軍港に置かれ軍港の名を冠した。
太平洋戦争期には鎮守府は4つで、横須賀・呉・佐世保・舞鶴に置かれた。
すべての海軍艦艇はいずれかの鎮守府に籍を置き、同一鎮守府に籍を置く兵員が乗り組んだ。
特務士官・准士官・下士官および兵はその出身地が属する海軍区を管理する鎮守府に籍を置いていた。
従って、東京に本籍を置く海軍兵は横須賀鎮守府に所属し、横須賀鎮守府籍の軍艦にのみ乗り組んだ。

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この建物の洋館部の応接間や執務室の壁や天井には 
全国でも珍しい金唐(きんから)紙が張られております。

金唐紙(きんからかみ)とは
中世ヨーロッパの王侯貴族の館で使われていた装飾革が渡来して
「金唐革(きんからかわ)」と呼ばれていた。
明治初頭、日本で和紙を用いて金唐革にそっくりなものを作ったのが「金唐紙」です。
明治時代にヨーロッパへ盛んに輸出され、日本の洋館にも使われた。

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食堂の天井です
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「金唐紙」の見本
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# by kfujiken2 | 2005-08-28 12:20 | 歴史 | Comments(0)

戦艦「大和」

戦艦「大和」は、艦隊決戦の切り札となるべく、
昭和12年11月4日に呉海軍工廠において起工された。
大和は対米英開戦直後の昭和16年12月16日に海軍に引き渡されて竣工、
第一戦隊に編入された。
昭和17年2月には、これまで12年間にわたり連合艦隊の旗艦を務めた
「長門」から旗艦の地位を譲り受け山本五十六長官の将旗を掲げる事となった。

昭和20年4月1日に米軍が沖縄上陸した事から水上特攻部隊として出撃し、
生還を望まない攻撃に出発した。
大和は昭和20年4月6日に出撃したが、翌7日に米艦載機386機による波状攻撃を受け、
爆弾6発、魚雷10本以上を受け、
九州坊ノ岬沖90海里の地点で2498名の乗組員と共に海底深く沈没したのである。
この時の主砲は27発しか発射されなかった。

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長さ263メートルというと東京駅位の長さに匹敵し、
いわば鋼鉄製の東京駅が海に浮かんだようなもの。
しかし、排水量に比較すると、「小さい」戦艦であった。
46センチ主砲を装備した上で、
いかにコンパクトにするかでかなりの苦心があったという。

46センチ主砲・・・正式名称94式45口径46センチ砲。
当時世界最大の主砲。射程距離は実に42キロメートルというもので、
砲弾は、長さ約2メートル、重さは1.46トンという巨大さであった。
一発撃つのに使う火薬の量は330キロ。
撃ちだされた砲弾は、時速2,808Km(秒速780m)という速さで飛び出し、
砲身の内側に刻まれたライフルにより、1分間に60回転しながら飛んでいき、
遙か水平線の彼方の敵艦を攻撃する事ができた。
これだけの大口径の主砲は後にも先にも大和型戦艦のみであった。
3連装の砲塔一基の重さは2510トンで駆逐艦一隻分の重さにあたる。
しかし大和はその生涯で主砲は合計311発しか撃てなかった。
使用された46センチ砲弾は、対艦用の91式徹甲弾、
そして対航空機用の零式通常弾、3式通常弾の3種類で、
徹甲弾は、目標の手前で着水してもそのまま水中を直進して
艦腹に当たるような工夫がされていた。


最近完成した「大和ミュージアム」には 映画のロケに使用されたのらしいですが
設計図や写真、潜水調査水中映像などをもとに,可能な限り詳細に再現しました
実物の10分の1 全長26.3メートルも戦艦「大和」が展示されています。

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# by kfujiken2 | 2005-08-28 12:06 | 未分類 | Comments(0)

「アレイからすこじま」

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国内で唯一、潜水艦を間近で見られるのがココ。
海上自衛隊の潜水艦と護衛艦がイカリを下ろしています。
ここはその昔、呉が海軍の本拠地だったことを偲ばせるエリアです。

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「アレイからすこじま」の道路向いにあるレンガ造の倉庫群で、
呉海軍工廠の前身である呉海軍造兵廠時代<1897~1903 (明治30~36)年>に建てられたものです。
空襲で被害を受け、建設当初よりも奥行きが短くなっています。
戦後は民間会社の倉庫として利用されています。

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# by kfujiken2 | 2005-08-20 18:08 | 風景 | Comments(0)

「入船山記念館」

入船山記念館入り口
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番兵塔のある入り口
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「旧呉海軍工廠(こうしょう)塔時計」
1921(大正10)年6月、旧呉海軍工廠造機部屋上に設置され、
終戦まで、呉工廠と共にその歴史の時を刻んできたもので、
現在動いている電動親子式衝動時計としては、国産最初のものです。
また、1日4回流れるメロディーは、毎年小中学生が作曲したものです。
1981(昭和56)年呉市有形文化財に指定されています。

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# by kfujiken2 | 2005-08-19 18:09 | 歴史 | Comments(0)