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【21世紀フラワーファーム】

春葉のブログ~心の声を墨にこめて~



歴史の信憑性

山口を平定し「西の京」を造り、大きな足跡を残した大内氏


大内氏は、日本の氏族の一つ。本姓は多々良氏。
百済の聖明王の第3王子・琳聖太子の後裔と称されている。

琳聖太子が日本に渡り、佐波郡多々良浜に着岸したことから「多々良」と名乗り、
後に大内村(現・山口市仁保下郷)に居住したことから大内を名字としたとする。
しかし琳聖太子の記録は古代にはなく、
大内氏が琳聖太子後裔を名乗るのは14世紀以降とされており、
大内氏のことが歴史の上ではっきりしてくるのは、平安時代末期になってからである。
代々、周防国で周防権介を世襲した在庁官人の出であること以外、
実態は不明である。

琳聖太子は、 大内氏の伝説的始祖とされているが、
611年(推古天皇19年)百済国聖明(さいめい)王第三子、
琳聖太子が周防国多々良浜に上陸した。
琳聖太子は摂津に上り、聖徳太子に拝謁して、
「周防国大内県(おおうちあがた)を賜った」と言う。

琳聖太子は青柳浦(現・下松市)に立ち寄られ、北辰尊星妙見大菩薩を祀る社を、
桂木山(下松市の笠戸島へ渡る橋の手前の小さな山) 現在の宮ノ洲古墳と呼ばれている洲鼻に建立し、
日本で初めての 「北辰祭(妙見祭)を行った」と伝えられている。

妙見宮鷲頭寺は、推古5年(597年)大内氏の太祖琳聖太子によって開かれ、
大内氏の氏神として栄え、妙見信仰発祥の宮寺と言われています。
現在の下松市の地名発祥とも深いつながりがあります。
当寺の妙見さまが、推古3年9月18日に、松の木に御降臨なされたことにより、
下松の地名ができたと伝えられています。
当寺の本尊は妙見大菩薩で、真言宗御室派の中本寺です。

つまり、琳聖太子は、大内村(現・山口市仁保下郷)よりも14年も前に
青柳浦(現・下松市)に住まわれていたことになります。

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by kfujiken2 | 2011-08-10 07:31 | 歴史 | Comments(0)
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