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長州より発信


山口県の歴史・風景・花や世相のトピックをお届けします
by fujiken
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山口が生んだ救国の名将 児玉源太郎の完結編

【日露戦争 児玉プロデューサー】 を考察


旅順攻略戦で異常な戦死傷者の原因は、ひとえに司令部の無能による。
軍司令官はいうまでもなく乃木希典大将、そして参謀長が伊地知幸介中将である。
乃木希典は長州、伊地知幸介は薩摩出身である。
伊地知幸介はまた砲術の専門家として知られていた。
日露戦争当時はまだ薩長閥が歴然とあり、
この人事は能力よりは、派閥均衡が重視されたものであったといわれている。

さらに作戦目的を二百三高地に限局せず、旅順要塞全般の攻撃を行った。
このために攻撃は広く薄いものとなり、いたずらに犠牲者を増やすのみとなったのである。

このていたらくを見かねた児玉源太郎が乃木希典に会いに行き、
その指揮権を乃木希典との合意のもとで剥奪する場面である。
児玉源太郎は伊地知幸介を叱責、直ちに海軍砲の配置の転換を命令する。
専門家の立場から伊地知幸介がそんなことは不可能であると反対しても、
「これは命令じゃ」の一言で強引にやらせてしまった。
専門家が不可能と言ったケースでも素人の児玉源太郎がやれ、
と言ったらこの配置転換はできたのである。

このあたり、深くはあるが狭い範囲の知識しかない専門家よりも
児玉源太郎の洞察力の方がはるかに上だったのである。
天才児玉源太郎のすごいことである!
あれほど難攻不落であった旅順要塞は児玉の作戦により
あれよあれよというまに落ちていった。

児玉源太郎が来なければおそらく旅順要塞は陥落せず、
したがって極東ロシア艦隊はバルチック艦隊来航まで健在であったろう。
さすればあの日本海海戦も日本が勝てたかどうかはわからない。
さらに極東ロシア艦隊は日本海の制海権を握り続け、
日本の陸上戦闘もまた苦戦を強いられたであろう。
児玉源太郎というひとりの天才が日本全体を救ったと言ったらいいすぎであろうか。

日本が世界最強陸軍を敗った南満州の奉天会戦では、
大山巌が有名ですが、実際に活躍したのは児玉源太郎でした。
また、二○三高地を巡る戦いでは乃木希典が有名ですが
実際に二○三高地をロシアより奪取し、
そこから砲撃してロシアの東洋艦隊を沈めたのは児玉源太郎でした。
この児玉源太郎こそはドイツ参謀本部のメッテルをして、天才といわしめた人です。
彼こそは満州事変の石原莞爾と並ぶ戦いの天才といえます。

児玉源太郎がいなかったら今の日本はないでしょう。
また、バルチック艦隊を全滅させた日本海海戦では、東郷平八郎が有名ですが、
対馬沖で迎え撃つように進言したのは秋山真之でした。
もしも大平洋に日本艦隊が集結していたら、バルチック艦隊を逃していたら、
日本の勝利はなく、今の日本もないでしょう。
この児玉源太郎と秋山真之、このうちいずれでも欠けていたら、
今の日本はない、といっても過言ではありません。
by kfujiken2 | 2011-11-11 15:47 | 歴史 | Comments(1)
Commented at 2023-05-08 19:55 x
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