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長州より発信


山口県の歴史・風景・花や世相のトピックをお届けします
by fujiken
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長州藩は2隻の洋式軍艦を建造していた

長州藩で2隻の洋式軍艦は、【丙辰丸】と【庚申丸】です。

2隻の洋式軍艦の建造に関わったのは、楫取素彦の兄・松島 剛蔵です。
長崎に赴き勝海舟らと共に長崎海軍伝習所でオランダ人に航海術を3年間学び、
帰藩して洋学所・軍艦教授所を創立する。軍艦教授所の門下生には高杉晋作らがいた。
長州藩初の西洋式軍艦製造にともない、初代長州藩海軍総督となり、
丙辰丸艦長に就任する。


長州藩は2隻の洋式軍艦を建造していた_d0061579_1694451.jpg

【丙辰丸】

長州藩は2隻の洋式軍艦を建造していた_d0061579_16105068.jpg

【庚申丸】

1863年の下関事件は、1864年の馬関戦争の「原因となった事件」として扱われる。
長州藩による単独の攘夷決行で馬関戦争の火蓋が切られる!!!


文久3年(1863年)5月、長州藩が馬関海峡を封鎖し、航行中の米仏蘭艦船に対して
無通告で砲撃を加えた。約半月後の6月、報復として米仏軍艦が馬関海峡内に
停泊中の長州軍艦を砲撃し、長州海軍に壊滅的打撃を与えた。
これが俗に言う下関事件です・・・

※ 松陰・佐久間象山・僧月性が唱えた海防論の一環として発生した攘夷論とは・・・
外敵を追い払って国内に入れないことをいう。


1864年の四国艦隊下関砲撃事件(馬関戦争)は、イギリス・フランス・オランダ・
アメリカの列強四国が、艦船17隻で連合艦隊を編成し馬関と彦島の砲台を
徹底的に砲撃、各国の陸戦隊がこれらを占拠・破壊した。


長州藩で2隻の洋式軍艦が、恵美須ヶ鼻(えびすがはな)造船所で建造された。

長州藩は2隻の洋式軍艦を建造していた_d0061579_16305332.jpg

長州藩は2隻の洋式軍艦を建造していた_d0061579_16311889.jpg


■丙辰丸【へいしんまる】
長州藩が初めて建造した洋式軍艦。安政3年(1856)起工。
木製帆船で、全長約25メートル。
万延元年(1860)、艦長・松島剛蔵のもと、江戸への遠洋航海が行われる。
高杉晋作も乗船しており、数か月日記に記している。
江戸では長州藩士と水戸藩士の交流があり、丙辰丸の船内で
「成破の盟約(丙辰丸盟約)」が交わされた。
その後は、第二次長州征伐や戊辰戦争に参加。維新後の明治3年(1870)、
商人に貸し渡された。


■庚申丸【こうしんまる】
長州藩が丙辰丸の次に建造した洋式軍艦。万延元年(1860)進水。
木製帆船で、全長約25メートル(あるいは35メートル)、30斤砲6門を備えていた。
文久3年(1863)、関門海峡にて攘夷戦を始めるが、アメリカ軍艦に砲撃され沈没。
その後引き揚げて修復され、第二次長州征伐で幕府軍と戦った。


補足ですが長州藩が所有していた軍艦をご紹介致します。

■壬戌丸【じんじゅつまる】
文久2年(1862)、横浜にて購入したイギリス製の蒸気船。
購入は井上馨らが担当した。
原名「ランスフィールド」。鉄張製で、全長約70メートル。
当時の長州藩では最大の軍艦で、唯一の蒸気船だったが、運送船として利用され、
備砲は小砲2門だった。
文久3年(1863)の攘夷戦で、アメリカ軍艦に砲撃され沈没。その後引き揚げられる。
慶応元年(1865)、武器購入のため、藩命で上海に密航した大村益次郎によりアメリカ商人に
売却される。
この事は幕府に知られ、第二次長州征伐の理由の1つになる。

■癸亥丸【きがいまる】
文久3年(1863)、横浜にて購入したイギリス製の木製帆船。原名「ランリック」。
全長約34メートル。18斤砲2門、9斤砲8門を備えていた。
同年の攘夷戦で、アメリカ軍艦に砲撃され大破するが、その後修復され、
第二次長州征伐で戦った。
維新後の明治2年(1869)、新潟港にて北風のため船体が土砂に埋まり、破船。

■乙丑丸【いっちゅうまる】
慶応元年(1865)、長崎にて購入したイギリス製の蒸気船。原名「ユニオン」。
木製(鉄も混合?)で、全長約46メートル。
長州藩が資金を出し、薩摩藩名義で購入したため、
薩摩では「桜島丸」と名付けられた。
取り決めにより亀山社中が操船したが、船の所有を巡り色々揉め、
後に長州藩所有に。第二次長州征伐では、社中が乗り込み幕府相手に活躍。
この時、坂本龍馬も乗っていたらしい??
維新後の明治4年(1871)、商人に売却された。

■丙寅丸【へいいんまる】
慶応2年(1866)、高杉晋作が長崎にて独断で購入したイギリス製の蒸気船。
原名「オテントサマ(オテントー)」。鉄張製で、全長約37メートル。
アームストロング砲を備えていたらしい。
第二次長州征伐では高杉が乗り込み、幕府艦に奇襲を仕掛けるなど大活躍。
維新後は、貨客船「オテント丸」として利用された。

by kfujiken2 | 2015-03-28 16:36 | 歴史 | Comments(1)
Commented at 2023-05-09 14:42 x
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