下松の塩田王・磯部家の系譜と塩田との関わり

先ずお断り致しますが、資料が余り無いので編集半ばと言う事で申し訳ありません。

磯部家のルーツをかいま見ましょう!!!

磯部家の始祖・上総介(かずさのすけ)宗安は日向国の土持家家臣であったが、
争乱を逃れて子の常安を伴い、天正6年(1578)下松の地に身を寄せた。
そして、その故地にちなんで屋号を磯部屋と称し、下松を根拠地として海運業を営んできた。
宗安は出家して操庵と号し、常安も後に出家して是頓と号し浄西寺の開基となった。
「磯部屋」・「宮洲屋」については元町・浄西寺墓地の石碑に「磯部家縁起」と題して
次のように記されている。


「磯部家縁起」
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【浄西寺境内にある磯部家の墓】
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徳山毛利藩が財政改革の一環として、推奨した三白政策の一つが塩田事業です。
海運業・酒造業などを家業としていた磯部家が、どう言う経緯で塩田業に関わりを
持ったかは分かりませんが、磯部屋・五代目磯部好助が東豊井村の地の開作に着手し
宮洲開作を築立した。また塩問屋設立も許可されたとあります。
宝永6年(1709)磯部好助は宮洲浜に別荘を建立した。
徳山毛利第3代藩主・元次が磯部浜邸を訪問し「覧海軒」と名付け、自筆の覧海軒額を下賜した。
現在東洋鋼鈑の東の一角に石碑が建っています。また笠戸島入口県道366号線(旧国道188号線)の
交差点から南に下る所(洲鼻から笠戸島に向かう)に石垣の名残りが残っています。


【覧海軒図】  山口県立教育博物館収蔵

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ここから磯部家が分立し、長者に大成して行き没落していく様子を記しております。

正徳5年(1715)には、従来からの屋号「磯部屋」を「下松屋」と改称し、
開作の屋敷の家名を「宮洲屋」とするよう命ぜられ、蓄積した資本をもとにして
開作事業を拡大していった。
磯部好助は下松町居宅(現在の本町)を長男・栄之に譲り、次男・増寿を伴って
東豊井村の開作屋敷へ移り別家「宮洲屋」を分立し、「宮洲屋」の初代となる。
享保12年(1727)宮洲屋・二代目好兵衛が帯刀御免となり、徳山藩御蔵本付役人を拝命する。
宝暦2年(1752)三代目好太郎が徳山藩御世帯方用達、永代郷士、中小姓格を拝命する。

※ 中小姓格:中級藩士で馬廻り格の藩士の家の分家などから構成されている家柄。
   幕末期には、中士と呼ばれる。

安永10年(1782)四代際右衛門が浮米七五石を下賜される。
享和2年(1802)六代目幸吉が宮ノ洲古墳を発見。
明治2年(1869)七代目廉右衛門が士族昇格を辞退したことに対し、
改めて永代大庄屋格となり、後に格中の筆頭を命じられる。
宮洲屋が徳山藩の財政維持に非常に大きくかかわっていたことが理解できる。
宮洲屋の長者ぶりは、周防においてだけでなく、広く西日本一帯に知れ渡っていたようで、
文化14年(1817)に刊行された長者番付にも、周防でただ一人磯部義助が
西方前頭18枚目に名を連ねている。
これほどの長者であれば、徳山藩がその財政再建を宮洲屋の財力に依存したのも当然で、
徳山藩では幕末における藩札発行や、その他の資金繰りを宮洲屋の融資に頼ることが多かった。
そして藩財政との関係に過剰に力を入れたことが、宮洲屋が維新直後に急速に経営不振に陥り、
塩田を手放す最大の要因となったのである。
下松宮ノ洲塩田は明治15年には、全て磯部敏祐の所有になっていたが、
その後明治18年に旧徳山藩主の所有となり、明治21年に矢島作郎の所有に替わった。


さて、下記の赤印しで囲んだ家が磯部家の本家で、中市に居たことはご理解頂けると思いますが、
上記にも記しているように「磯部屋」「下松屋」と称した頃は、中市が本宅で「覧海軒」は
別荘でしたが、磯部屋・五代目磯部好助が下松町居宅を長男・栄之に譲り、
「覧海軒」へ移り別家「宮洲屋」を分立した。つまり宮洲浜に建てられていた「覧海軒」は、
別荘であったが後に磯部好助の居宅に替わったということです。
始祖宗安・2代目の常安もこの地に居を構えていたかは不明ですが・・・
浄西寺の開基となったということは、中市(現在の本町)に居を構えていたと確信しても
いいでしょう???

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※ 旧藩時代の中市図の説明
下松藩創設の『慶長検地帳』(1617)には、切戸川の東側、現在の樋の上から大小路
(相生町から高砂町と旭町の交差点までを大小路という)までが中市であった。
しかし、現在は切戸川の東側から下松大手線(陸橋)までが中市です。
それから東側は荒神小路(浄西寺の西側の道路を指す)までを本町。
荒神小路から東側から移転前の西教寺、つまり駅南通りまでを東町と言っていた。
現在は通称元町と言っているが、町境ははっきりと確認していない。

by kfujiken2 | 2016-08-17 14:05 | 歴史 | Comments(0)


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