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さきおととい(10月9日)の深夜大雨が降っていたが、朝になったらすっかり晴れ渡り好天気。
以前から気になっていた田布施の田んぼアートを見に行きました。 【田布施町商工会議所サリジェ横】【西田布施小学校横】【真殿交差点側】 【瀬戸の観音橋近く】と4か所の田んぼアートがあるようですが、 【西田布施小学校横】【真殿交差点側】は場所がよく分からず、 又、【瀬戸の観音橋近く】は雨に打たれて文字が崩れていたので、 【田布施町商工会議所サリジェ横】のみ撮影しました。 手前が田布施地域交流館新マスコットキャラクター・ 「たっちー君」と 後方が「山合いから昇るかがやく朝日」のテーマ 1ヶ所しか撮影しなかったので家路に着くには早過ぎ、何処かで時間を潰そうと思い、 田布施に行く途中見掛けた「富永有隣碑」の案内版を思い出し寄って見ることにしました。 富永有隣 富永有隣が田布施町と関わりがあったことは知っていましたが、 田布施町宿井瓜迫に住居跡があったとは初めて知りました。 妹の嫁ぎ先を頼って熊毛郡城南村(現 田布施町)へ行き、「帰来塾」を開いて 青年の教育に力を尽くしたことは聞いていました。 国木田独歩の『富岡先生』は有隣をモデルにしたものです。 富永有隣と吉田松陰の関わりについて・・・ 野山獄の最後の住人として入獄した松陰が、先輩囚人である11人と、 学問・芸・そして風雅の道を通じて交流を深め、いわゆる『野山獄の奇跡』と 呼ばれた獄中教育を演出することになるのですが、その中で松陰と共に獄中教育の 中心的役割を演じたのが藩校明倫館で秀才と呼ばれた富永有隣でした。 『藩内の逸材』とまで呼ばれた富永有隣は、何故厄介者の烙印を押され、 獄に下されるような事態に陥ったのかといいますと、性格が極めて了見が狭く人と調和できず、 しかも自信過剰により、不遜な振る舞いが多く、親戚や同僚とのトラブルが絶えなかった為と 聞いています。分かり易く言えば、相当なひねくれ者で嫌われ者な人物ということです。 野山獄から釈放されても行場のない富永有隣は、松陰の招きにより、杉家の居候となり、 運営が軌道に乗り始めていた松下村塾の講師として塾の運営に携わることになったのです。 【富永有隣顕彰碑】
by kfujiken2
| 2016-10-12 15:25
| 風景
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