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2日の朝一に「男たちの大和」を観て来ました・・・なぜか年輩の方々で一杯でした。 この映画には 特別に想いがあるのです。 と言いますのは 大和が造られた呉造船所が隣の県であり 昨年お盆に「大和ミュージアム」に行き ほぽ実物に近く再現した十分の一の模型を見ましたし 沖縄決戦に出撃する際 片道の給油をしたのが隣町にあった燃料廠だったのです。 それに 不沈艦と言われていた大和がどの様にして沈んだのか 進路暗号を何故アメリカに読まれたか 疑問が多い軍艦だったのです。 最後の出撃となる前日 初年兵達が母親や友達に別れを告げるシーンでは 会場の彼方此方ですすり泣きが聞こえていました。 私は レイテ沖対戦で戦死した乗組員を海葬するシーンで目の端には涙が... 今の平和な時代が続く事 またこの平和は多数の方の涙の上で成り立っている事を改めて痛感しました。 「戦艦大和」は昭和20年4月 稀代の激戦地区となった沖縄に向けた最後の出撃命令が下される。 “一億総玉砕”の旗印の下 最初で最後の“水上特攻”になった この「大和」の出撃には 3300余名が乗り込んだ。そして多くは 召集後間もない10代代半ばから20代の若者たちだった。 4月7日午後2時23分、米軍艦載機延べ300機の度重なる攻撃によって、誘爆に継ぐ誘爆を繰り返し、 天高く突き抜ける巨大な火柱となった「大和」は 3000名以上の魂と共に、東シナ海の海底深くへと没した。
by kfujiken2
| 2006-01-05 13:42
| 歴史
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