悲運の三代目奇兵隊総督 赤禰武人(あかね たけと)

幕末の志士の中には、高杉晋作のように有名な人物がいる一方で、
赤禰武人のように光の当たらない人物もおります。


※ 赤禰武人(あかね たけと)の容貌と経歴

すっきりとした顔立ちが印象的な肖像画があります。しかしそれは、容貌が似ていたという実弟の写真を元に、近年描かれたもの。武人の晩年に会った人物は、「白皙(はくせき)長身、眉目清秀(びもくせいしゅう)ノ偉丈夫(いじょうふ)ナリ」と書き残しており、実際に色白で背が高い、美青年だったようです。

周防国玖珂郡柱島(現・山口県岩国市柱島)の島医師・松崎三宅の次男に生まれた。
妙円寺の海防僧月性、吉田松陰、梅田雲浜に学んだ。月性の紹介で浦靱負(うら ゆきえ)の郷校である克己堂(こっきどう)で学ぶ。
文久二年江戸に出て英国公使館焼打事件に加わり、同三年奇兵隊に参加。十月奇兵隊総督となって元治元年四国連合艦隊と下関で戦った。長州藩の政務役も兼任したが、眼病にかかり辞職して帰郷。
ついで高杉の下関挙兵には調和論を唱えて意見が合わず、慶応元年筑前に脱走した。その後上京して再び幕吏に捕えられたが、幕長間の和平交渉のため釈放され帰郷した。同時主戦論に固まった長州藩から幕府内通の嫌疑を受けて逮捕され、山口に護送されて鰐石河原で斬首された。
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※ 高杉晋作に振り回されての対立、その悲劇の真相とは?

高杉晋作と第三代奇兵隊総督赤禰武人の歯車が狂いだしたのが、高杉晋作が功山寺挙兵した大田・絵堂の戦いからである。動と静の性格の違いから始まったと言えます。

高杉晋作の功山寺挙兵は、凡人からすれば一か八かの賭けだったわけで、周囲から暴挙と言われてもしかたがありません。成功したから良かったのですが、失敗すれは諸隊は解散、主だったものは死罪となります。
組織のトップというものは、組織の存続させることが最重要であり、 一か八かの賭けで組織を潰すことはできません。対外交渉にしてもしかりで、交渉、交渉の末、落としどころを探し、それでもダメな場合は武力に訴えるというのが常。赤禰武人は組織のトップとして、諸隊を存続させようと奔走したわけです。
これはトップとして至極真っ当な行動でした。


赤禰武人の不在の時、俗論派に命を狙われ九州へ逃亡していた高杉晋作が駐屯地にふらりと顔を出し、長州藩の正義派が俗論派を倒すしかないと、高杉晋作は武力突破を主張する。
「ここで兵を挙げて俗論党を討たねば我が藩は滅びる」
この言葉に軍監の山縣有朋が赤禰武人が戻るまで待つようにといさめた。
また赤禰武人も「萩政府を攻めるのは、藩主に弓を引くも同じだ」と、
奇兵隊の決起に反対するが、高杉晋作は更に奇兵隊の同志を前に言ったと云う。


「君らは赤禰武人に欺瞞(ぎまん)せられたる者か
そもそも武人は大島郡の一土民の身
何ぞ国家の大事、両君公(藩主父子)の危急を知る者ならんや
君らは予を何と思うや
予は毛利家三百年来の世臣なり
あに武人がごとき一土民の比ならんや」


身分や階級にとらわれない奇兵隊を創設した高杉晋作の言葉とは思えない暴言です!
高杉晋作におごりがあり、身分や階級にとらわれないとは人数を集めるための口実で、本音が出たのではないでしょうか?感情的にも激しく演説したが、諸隊の幹部の殆どが平民だった為ひんしゅくを買った部分が多く、諸隊は直ぐには動かなかったと云われている 。
高杉晋作が言いたかったことは、自分のような譜代恩顧の士が暴挙をやろうといっているのだから、これは藩のためであり、実は暴挙ではなく忠義そのものなのだ、ということでした。晋作の言葉足らずでかなり誤解をまねいたようです。
しかし高杉は伊藤俊輔(博文)の元へ行くと、伊藤は迷うことなく高杉に賛同し力士隊20名を差し出し、そこへ遊撃隊60名を加えた総勢約80名が高杉に同調し、俗論政府を相手に藩内革命を起こした功山寺挙兵であり、これが大田・絵堂の戦いを引き起こす原因になったのである。

攘夷の無謀さを痛感してからの赤禰武人は、ただ声高に外国を打ち払ったり、むやみに戦争をするという事をしないように、争いの調停役に回る事が多くなります。
長州藩内の幕府恭順派(俗論派)を攻め滅ぼそうとする高杉晋作と、藩内で争っている場合ではないと考える赤禰武人。戦を回避しするために長州藩内を動き回る赤禰武人ですが、いつしかその行動がスパイと勘違いされるようになっていきます。
高杉晋作らの正義派が実権を握った事で、藩政はここから討幕へと舵を切っていくことになる。
高杉晋作がクーデターを起こした事で、赤禰武人の居場所は無くなっていた。
和平実現のために動いていた事で二重スパイ疑惑をかけられたのだった。
仲間たちとの信頼関係が上手く構築できなかったためか、やがては長州藩を去り哀れな最期を迎えることになります。赤禰武人は戦を避けようとしただけで、正義派を裏切ったつもりではなく、しかし高杉晋作たちからは、自分たちを裏切り幕府に寝返った人間として誤解され、追われる身になってしまう。
潜伏中のところを長州藩士槇村半九郎に捕縛される。

一切の申し開きすら許されなかった武人は、悔しさをにじませ、処刑前夜に着ていた衣服の背中に『真は誠に偽に似,偽は以て真に似たり』という辞世を残しています。
『真実は偽りに似ていて、偽りは真実に似ている』自分の真意は、長州に対しての裏切りではなく、長州のためを思っての事。それを偽りと判断されてしまった武人の無念がうかがえます。

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by kfujiken2 | 2018-02-08 11:21 | 歴史 | Comments(0)


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