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長州より発信

明治維新の柳井市阿月地区の志士たち その②

代表される志士たちを紹介しましょう・・・

● 浦 靱負(うら ゆきえ)

長州藩寄組・国司氏の当主で長州藩家老の一人として重用されていた国司
就孝(国司信濃)の次男として生まれる。成長後、同じく長州藩寄組で阿月
領主浦氏の家督を継ぎ、秋良敦之助を登用し家政を改革した。天保13年
(1842年)に領内に学問所である克己堂を創立した。弘化四年家老職に
任ぜられて江戸当役となった。嘉永六年米使の来航に藩兵を率いて
大森羽田を警備した。安政五年当職に転じ、万延元年辞職、文久二年命を
受けて兵庫警備の兵を督した。同年四月に上京して皇居護衛の任に当たり、
八月世子定広の奉勅東下に従い、これを補佐して江戸に行った。同三年
加判役となったが、その冬一切の職を辞して領地阿月に帰郷した。元治元年の
禁門の変後も革新派の黒幕として藩論回復に尽くした。


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● 秋良敦之助貞温 (あきら あつのすけさだあつ)

文化8年9月4日生まれ。萩藩寄組家老浦家の家臣。藩校明倫館でまなぶ。
天保6年藩の加判役公用人を辞して浦家の財政改革にたずさわる。幕末には
尊攘運動にかかわり,海防策を講じた。維新後は教部省にはいり鎌倉宮や
大和神社の宮司をつとめた。製塩事業家の秋良貞臣は嫡男にあたり、同所で
生まれている。


※ 秋良貞臣( あきら さだおみ)は、下松市の笠戸島の藩有林内で石灰石を最初に発見したので知られています。
維新後は塩業をはじめ諸産業の発展に努めて、父秋良敦之助と
共に諸国の志士と交わって国事に奔走しながら、同時に物産会所を
創設し、晩年は製塩・塩経営に専念し、明治12年防長塩田社長。
大日本塩業同盟会委員長などをつとめた。


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● 白井小助(しらい こすけ)

儒学者の長男として文政9年(1826)萩市に生まれました。26歳の頃、柳井市阿月に移住し、浦靭負の家臣となりました。江戸に行き、佐久間象山に砲術を学びましたが、このとき吉田松陰と起居をともにし、二人は親友となりました。
後に浦家の学塾「克己堂」の学頭となりました。第二奇兵隊の創設に尽力し、
四境の役大島口戦で総督として活躍、また戊辰戦争では討幕軍参謀として活躍しました。維新後は、明治維新のポストを断り、平生町田布路木に私塾「飯山塾」を開いて子弟の教育に務めました。


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● 芥川義天(あくたがわ ぎてん)

円覚寺の門前に明治維新第二奇兵隊総書記芥川義天出生之寺の石碑が建てられている。円覚寺の住職芥川義天は克己堂で学んだ後、第二奇兵隊総書記として活躍した。秋良敦之助の妹の子として円覚寺に生まれた。

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貝塚伊吹の壁で囲まれた駐車場は圧巻です。



赤祢武人・世良修蔵は、後日紹介します。
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by kfujiken2 | 2018-02-22 17:03 | 歴史 | Comments(0)