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明治維新150年事業の一環で、田布施町郷土館も「佐藤3兄弟展」の第1弾として、【長兄・佐藤市郎元海軍中将展示会】が開催されています。
岸・佐藤の元宰相のことはご存知と思いますが、長兄の佐藤市郎元海軍中将のことを知っている方は田布施在住の方は別として、意外とご存知ないのではないでしょうか? 海軍兵学校36期・海軍大学校18期(同期には南雲忠一がいる)において、在学中はほぼ満点に近い成績(海軍兵学校時代は平均97.5点)を残した(いずれも首席)ため、「海軍始まって以来の秀才」と称される。1920年よりフランス駐在、1923年軍令部参謀、1927年のジュネーブ海軍軍縮会議には日本海軍を代表して参加する。同年には連合艦隊首席参謀、翌年には「長良」艦長、翌年再び軍令部参謀、1929年国際連盟常設軍事諮問委員会に帝国海軍代表、ロンドン軍縮会議全権委員随員、1932年海軍省教育局第一課長と順調に昇進、国際派で、軍令部勤務が長かった。 海軍大学校教頭を経て、1938年には海軍中将・旅順要港部司令官(同年11月15日 - 翌1939年11月15日)となるが、翌年軍令部出仕の後、身体が弱かったこともあり1940年には退役を余儀なくされる。 海軍兵学校全景 佐藤市郎乗艦一覧図 ◆ 東大の優等生であった岸信介は、「頭の良さから言うと兄の市郎、私、弟の栄作の順だが、政治力から言うと栄作、私、市郎と逆になる」と述べている。 海軍中将旗 ※ 203高地の戦いで乃木大将に代わり児玉源太郎大将が指揮をとり勝利した迎撃作戦を立案し、日本海海戦の勝利に貢献した帝国海軍屈指の名参謀の海軍兵学校17期生に愛媛県松山市出身の秋山眞之海軍中将が先輩です。
by kfujiken2
| 2018-05-21 14:06
| 歴史
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