長岡外史誕生の秘話&幼少期・青年期の曖昧な説明が多い!!!

 長岡外史は長州藩の藩校・明倫館に入り、明治11年(1878年)陸軍兵学寮入学・臨時士官生徒となり、陸軍士官学校に入学してから順風満帆の人生は公開されていますが、誕生・幼少期・青年期のことが余り説明されていない!!!

①生誕地と誕生  ②幼少期  ③青年期 3つの疑問を検証してみましょう

1.先ず生誕地と誕生の秘話を検証しましょう・・・

 昨年9月に下松地方史研究会は堀トキの生家跡地に、「長岡外史生誕之地」という記念碑を建てたけれど、 柳井市天神並木通りの野村家跡地に「日本航空界と スキー普及の恩人 長岡外史 ここに生まる」と刻まれた石碑が立っています。朝日新聞DIGITALでは、「航空の父」生誕地どちら? 下松と柳井に石碑 というタイトルで記事があります。

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日本の航空機とスキーの普及に尽力した長岡外史(がいし、1856~1933)を「ふるさとの偉人」として広めようと、下松地方史研究会(田村悌夫〈やすお〉会長、175人)が今月、下松市内に生誕碑を建立した。ただ、同様の生誕碑は40年ほど前から柳井市にもある。本当はどっちで生まれたのだろうか?
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柳井市天神並木通りの長岡外史の生誕の石碑
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 徳山市栗屋村の庄屋・温品良左衛門次男である温品謙吉(小方謙九郎)と、隣村末武村「堀家」の堀トキとの間に一子をもうけた。 その一子が長岡外史である。しかし、堀トキは外史を妊娠中に柳井の野村家に嫁ぐ。月足らずで忠蔵(外史)を誕生、産後すぐに離縁される。忠蔵は生まれるとすぐ母親・トキから引き離され、その上、父親の顔も知らないまま、トキの伯母 梅子が嫁いだ守田彦右衛門(光市)に預けられるという、数奇な運命を背負って生きなければならなかった。
分からないのは、何故愛し合っていた温品謙吉と堀トキは結婚をしなかったのか? お互い農民という身分ながら庄屋の地位だったので身分違いはなく、問題というか壁はなかったと思うのですが・・・

※ 長岡外史のウィキペディアでは、父は大庄屋・堀三右衛門と記載がされていますが、登記がどんなになっているか知りませんが、「ゲスのかんぐり」と思われても仕方ないのですが、母の堀トキさんが独身の身であるゆえ出生届をする際、母親を筆頭者とする戸籍を新たに作る必要があるので、面倒だし周りを気にするあまり、自分の父親・堀三右衛門の子供として出生届を提出したのではないでしょうか?

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2.次に幼少期時代です。

 物心のつく年頃ともなると、手の付けられないほどのガキ大将に育ち、近所の人から守田の悪童といわれて成長した。それがもとで、8歳になるとトキの実家である末武村の堀家へ帰され、花岡にある寺子屋(石田塾)で漢学と和算を学んだ。師の石田圭三先生の言うことは不思議と聞いていたようです。
 忠蔵の実家・下の堀家は大庄屋、花岡勘場の勘場役人を務めていたが、父なし子としての運命を背負っている忠蔵のここでの生活は、決して恵まれてはいなかった。いつも孤独のなかで堪え忍ぶ一匹狼として生きるほか無かった。
 1867年(慶応3年)11歳の時、堀トキの伯父 小川文右衛門の媒介で、萩藩士の長岡弥九郎(のちの南陽)の養子になり萩に移ります。長岡弥九郎は萩藩士寄組・井原主計の家臣で、主君井原主計から昱輔(長岡昱輔源護朝)という名をもらって武士となり、門田塾で書画や茶道を学ぶ。だが子供心に描いた武士は昱輔の考えと違い、元来は百姓の子、長岡家といっても身分の低い陪臣ということもあって、塾に通う友達からは仲間外れにされることがしばしばで、この口惜しさはじっと耐えざるしかなかった。長じて名をなしたが不遇ともいえる父母の愛を知らない幼少期であった。


3.青年期の動向です。

 世は明治となって時代は変わり、「士農工商」制度が廃止されて四民平等となった。1870年(明治3年)14歳になった昱輔は、山口明倫館の文学寮小学舎に寄宿して勉強。ある日「日本外史」を暗誦しているところを旧藩主・毛利元徳公に認められて外史という名をおくられ長岡外史と改める。
時代が外史に活動の場を与えた。
明治8年世は正に維新の風雲時代。19歳の多感な外史は郷党である長州人の活躍をよそ目に見て、功名心に燃えて断りもなく家を出た。偶然臨時陸軍士官生徒を募集中というのを知り応募し、陸軍士官学校に入学た。


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by kfujiken2 | 2018-06-22 10:47 | 歴史 | Comments(0)


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