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長州より発信


山口県の歴史・風景・花や世相のトピックをお届けします
by fujiken
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近世の名筆:明月上人

明月上人は享保12年(1727)周防大島屋代島願行寺生まれ、法名・明逸、字は曇寧、中秋の名月の夜に生まれたので明月のほか解脱隠居・化物園主人などと号したという。15歳のとき来松(四国松山)して円光寺義空に師事、のち京・大坂・江戸に遊学して、服部南郭らとの交友を通じて古文辞学(徂徠学)を学んだあと帰郷して宇佐美淡斎・杉山熊台などを指導、松山におけるけん園学派の先駆者となった。また泉州堺の佐太郎(名は宜周、号南山人)に寄寓して書を習い、南山人から王義之・顔真卿など唐の書風を学び、特に草書に巧みで、越後の良寛、備中の寂巌(じゃくごん)とともに三緇(さんし)と称えられた。34歳、帰松して円光寺住職就任。翌年、藩の反対を押し切って同寺に唐風の楼門(普照楼)を建てた。また、詩文にも秀で、著作に『扶桑樹伝』『通機図解』『西遊記』『明月什』などがあり、ことに扶桑樹伝は光格天皇乙夜の覧に供され、のち唐人町茶屋吉蔵によって開板されると明月の名が高くなった。漢詩に「道後温泉詩」八首などがある。寛政9年(1797)、同寺で没。

※ 佐太郎 : 参勤途上の紀州侯の家臣たちを冷や飯でもてなした堺の豪家
※ けん園学派:荻生徂徠の門に学んだ人たちによって形成された儒学上の一学派
※ 三緇 : 三人の僧
※ 乙夜(いつや): およそ今の午後9時ないし10時から2時間をいう
※ 乙夜の覧 : 中国で、天子は昼間政務で忙しいので乙夜になってから読書をした
※ 開板(かいはん): 書物を新しく出版すること

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冬さびぬ蔵沢の竹明月の書   正岡子規
ふゆさびぬぞうたくのたけめいげつのしょ

前書きに「草庵」とあり、子規庵の室内を詠んだもの。
「蔵沢」は吉田蔵沢のことで、松山生まれの南画家、晩年は画材を竹に絞り、竹の蔵沢として知られていた。「明月」とは円光寺の7代前の住職明月上人。
2人とも名筆で、子規庵に書があり、 明月の書は、虚子の結婚記念に虚子に贈ったとされている。蔵沢の竹の画は子規が晩年に「私の宝物」といい床の間の正面に飾っていた。


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風呂吹を喰ひに浮世へ百年目    子規
ふろふきをくひにうきよへひゃくねんめ

「風呂吹」とは圓光寺伝統の精進料理「ふろふき大根」のことである。


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 近世の名筆:明月上人_d0061579_10381974.jpg

by kfujiken2 | 2018-09-17 11:24 | 歴史 | Comments(0)
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