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長州より発信


山口県の歴史・風景・花や世相のトピックをお届けします
by fujiken
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北浦の奇岩・ホルンフェルスと萩市の文化史跡・遺跡 その③



◆ 長州藩の牢獄は「野山獄」と「岩倉獄」

野山獄は、長州藩の士分(武士関連)の者を収容する上牢。
野山獄は、6房が中庭を挟んで向かい合っており、12室の独居房となっていた。
独居は3畳ほどの大きさで、食器などの生活用品・寝具、小さい机や筆記用具なども置けた。野山獄は部屋の出入りや差し入れも自由であったが、毎日何もやる事が無く、獄中生活は退屈であったと言う。



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◇ 野山獄と岩倉獄の概要


野山獄は、正保2年(1645)9月17日、酒に酔った大組藩士禄高200石・岩倉孫兵衛が、道ひとつ隔てた西隣りの同じく大組藩士禄高200石・野山六右衛門の屋敷に斬り込み、家族を殺傷するという事件が起こった。藩は野山宅に岩倉を幽閉し、後に斬首の刑に処したが、喧嘩両成敗ということで両家は取り潰し、屋敷は没収された。後に藩は両家跡を牢獄とし、切り込んだ岩倉に非があるので、士分の者を収容する上牢を野山獄、庶民を収容する下牢を岩倉獄とした。

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岩倉獄は、士分以外の者(長州藩内の町民・農民といった藩籍を持たない庶民)を収容する下牢ということもあり、 野山獄ように個室ではなく、3つある大部屋に収監され入牢した者への扱いもひどく、 萩への移送の途中で体調を崩した金子重之輔も十分な手当ても受けられず獄死している。 重之輔の死に松陰はひどく悲しんだという。

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◇ 「野山獄」に関わるエピソード



野山獄に、安政元年(1854)海外密航に失敗した吉田松陰が投じられ、岩倉獄には従者だった金子重之助が投じられました。松陰は、そこで仲間の囚人たちに孟子の講義をするとともに自らも俳諧や書を学びました。また獄吏でさえも廊下で松陰の講義に耳を傾けたといわれており、前例のない教育活動を行いました。
松陰が入牢した時、野山獄には十一人(うち女性一人)の獄囚がいたが、明らかな罪人としての入牢は二人、他はさまざまな理由で世に入れられず、「借牢」という形で、軟禁状態に置かれた人々であった。彼らは罪人ではありませんが、刑期はなく、親族の許可がなければ出獄することはできませんでした。11人の中にはすでに49年も獄中生活を送っている者さえいました。そのため、野山獄に入ると一生出ることはできないという噂がたっていたのです。



大深虎之允   76歳 在獄49年
弘中勝之進   48歳 在獄19年  
岡田一廸    43歳 在獄16年
井上喜左衛門 38歳 在獄9年
河野数馬     44歳 在獄9年
粟屋與七     不明  在獄8年 
吉村善作     49歳 在獄7年
志道又三郎   52歳 在獄6年
高須久子    39歳 在獄4年  ※吉田松陰、生涯一度の獄中の恋
冨永弥兵衛   36歳 在獄4年 ※富永 有隣 松下村塾の教育を支え、鋭武隊を指揮した
平川梅太郎   44歳 入獄3次・通算3年



牢獄の役人が松陰に好感を抱くようになり、牢獄内の勉強会が行いやすくなるよう、ろうそくを用意するなどの便宜を図ってくれました。
松陰はこの役人に頼んで書物を揃えてもらい、「孟子」の購読会を開催します。
このことが、松陰の思想を大きく発展させることにつながっていきました。

by kfujiken2 | 2019-09-05 11:45 | 歴史 | Comments(1)
Commented by kyotoshiryo at 2023-05-11 14:43 x
2023-5-11 拝見しました。
興味津々で、あります。
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