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長州より発信


山口県の歴史・風景・花や世相のトピックをお届けします
by fujiken
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日本婚姻史 


日本の婚姻の形式は、「婿入婚」つまり、新郎が嫁の家に入りそこに住まうことが基本的なものであった。この形式は貴族社会を中心にして伝統的に行われてきたのであるが、鎌倉時代に入り武士の勢力が顕著になってくるに従って、「嫁入婚」 に変わっていった。またこの時代には武家のための儀礼が確立され、現代まで残されている作法の原点となっている。
江戸時代に入ると、裕福な町人階級が武家の結婚風俗を手本に、華やかな婚礼が行われた。明治時代には、西洋の文明開化思想の影響が結婚儀礼のなかにも反映し、人前結婚など宗教色のない婚礼が、神前結婚と並んで普及していった。


日本婚姻史 _d0061579_18451245.jpg



1 古代


日本人の祖先は性に対しては割合に開放的で、男女間の交際は大変におおらかであった。いわゆる乱婚とか雑婚という状態が長々と続いた。これは日本に仏教や儒教などの道徳規範が到来していなかったことが理由の一つである。また掠奪結婚というのもあり、相手を肩に担いで連れ去るので、俗に「かたげ」といった。それが一変すると、購買結婚といって娘を米俵、牛などで買うこととなり、これも後世までも残っていた。贈与結婚というのは娘を高貴の方に献ずることで、中古の采女という陪膳の女官はこれであった。結婚方式では同意結婚、即ち男女ともに合意の上で結婚するものが穏当であるが、わが国でも太古から貴族の間にはこれが行われていたようである。

2 飛鳥・奈良時代

飛鳥・奈良朝になって儀式に唐の習慣が取り入れられるようになった。結婚式は戸令(民法)によれば、唐にならって男子15歳、女子13歳で許され、その他、皇族と臣下との通婚を禁じること。父母及び夫の喪のある間は、嫁取りを禁ずること。掠奪あるいは売買による婚姻を禁じることなどが規定されている。
この時代にはいると、婚礼には媒酌人というものが定められた。男子から媒酌人を女子の父母、祖父母などに申し入れて承諾を得た話がまとまれば、男子側から進物を女子へ贈った。媒酌にあたって必要なことは納采(結納)であった。これは中国から入ってきた風習であった。また当時婚礼の日取りは吉凶を占って決めていたことがわかる。皇室は妃が入内(内裏に参入)し、一般では新婦の父母が吉日を選んで、新郎を家に招き夫婦のかためをしたようである。貴族の間では一夫多妻の習慣があり、最初にめとった妻を「こなみ」と呼び、正妻の地位を占め、その他は「うわなり(後妻)」と称せられた。律令の母体である唐律令では、重婚を禁じていたが、日本では第2夫人以下は「うわなり」と呼ぶことで解決していた。


日本婚姻史 _d0061579_18435523.jpg



3 平安時代


平安時代に行われたのは公家式結婚である。当時、貴族の子女は幼小のころに婚約することが行われていた。後一条天皇(1008~1036)は11歳の時、20歳の藤原威子の入内があった。双方の婚約が行われると、婿側から「消息便」が立った。この使いは「文使」ともいい、婿から嫁に対する恋文であった。この文は、柳の枝に吊して嫁方へ持っていき、女性の代わりに、その父兄が相手の人物、家柄などを確かめて返書を送った。「栄花物語」にある藤原長家の歌に、夕ぐれは待遠にのみ思ほへていかで心のまづはゆくらむ(意訳/婚姻の夜が待ち遠しくてたまらない。どうしたら心だけでも先に行くことができるだろうか)というものであった。使いが先方に着くと、上座に招き入れ、「三献の儀」の接待があって、祝儀に衣服などが贈られた。婿の家では吉日をえらび、夜に向けて出立の準備がなされた。夜になってから従者を連れて嫁の家に向かった。


4 鎌倉・室町時代は後日に・・・
by kfujiken2 | 2019-10-08 18:49 | 未分類 | Comments(0)
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