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防府・山口のぶらり旅 ・・・ 山口県政資料館(山口県 旧県庁舎および旧県会議事堂) その②

【旧県会議事堂 】

建物は大正2年に起工し、大正5年に完成しました。
建築様式は その①【 旧県庁舎】で説明したように、れんが造りで内装は漆喰、外壁はモルタル仕上げ。玄関を中心に左右対称に建物が張り出したデザインは共通しており、シンプルで優美な西洋の後期ルネサンス様式を基調としながら、随所に斬新さが感じられる、大正時代の代表的な建築物です。



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〈旧県会議事堂1Fの平面図〉

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〈旧県会議事堂2Fの平面図〉

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◆ 上空から見ると旧県会議事堂は「山」、旧県庁舎は「口」という文字を形成し、合わせて「山口」となるのも非常に興味深いポイントです。

〈旧県会議事堂模型ですが、「山」の字に見えませんか?〉


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〈旧県庁舎模型ですが、こちらは「口」の字が!〉

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◆ 旧県会議事堂議場は1階南側中央壇上に議長席と演壇を設け、左右に説明員席、その前方に扇形に議員席を配する。2階は周囲三方を新聞記者席、公衆傍聴席のギャラリーとし、中央は大きな吹抜けとなっている。開放的ながらも、議長席や演壇は荘厳な雰囲気も醸し出しています。


〈議壇と議員席〉

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〈2階の新聞記者席、公衆傍聴席のギャラリー〉

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◆ 設計は、当時国会議事堂の建設準備を進めていた大蔵省臨時建築部で妻木頼黄(つまき よりなか)の教えを受けた、武田五一と大熊喜邦(おおくま よしくに)が行いました。


※ 武田五一は、備後福山藩(現・広島県福山市)出身です。「関西建築界の父」とも言われる日本の建築家でもあります。彼はヨーロッパ留学で影響を受けたアール・ヌーボー、セセッションなど、新しいデザインを日本に紹介した建築家とも言われています。建築以外にも工芸や図案・テキスタイルデザインなども手掛けた。自身の作品のみならず、京都高等工芸学校(現・京都工芸繊維大学)図案科や京都帝国大学(現・京都大学)に工学部建築学科を創立し向井寛三郎など多くの後進を育成した。

※ 大熊喜邦は、元旗本の父を持ち、東京府麹町に生まれました。第一高等学校を経て、1903(明治36)年、東京帝国大学工科大学(現・東京大学工学部)建築学科を卒業しました。
卒業後は大学院に籍を置き、横河民輔の横河工務所に入所し、帝国劇場などの設計に関与しています。
1907(明治40)年、大蔵省臨時建築部技師に就任し、各国の議事堂建築の調査や、議事堂建設予定地の敷地調査にあたりました。一貫して官庁営繕に従事していましたが、最大のものが1920(大正9)年に着工した国会議事堂です。

※ 妻木頼黄は、青山幸道の子であり妻木氏を継いだ幕臣旗本の妻木源三郎頼功の長男として、1859(安政6)年に江戸で生まれました。幼名は久之丞でした。
父の頼功は、1862(文久2)年に長崎表立合御用として赴任しましたが、その直後に現地で没した為、久之丞は3歳で12代当主となりました。
1876年(明治9)年、妻木は家屋敷を売却し渡米しましたが、日本で学ぶよう諭され帰国します。
そして1878(明治11)年、工部大学校造家学科(のちの東大建築学科)に入学し、アメリカに留学しジョサイア・コンドルに学びます。帰国後は東京府に勤務し、1886(明治19)年、議院(国会議事堂)建設のための組織である(内閣)臨時建築局に勤めました。
妻木は辰野金吾の後輩に当たります。

※ 辰野金吾 : (1854年10月13日〈嘉永7年8月22日〉- 1919年3月25日) は、日本の建築家である。 工部大学校(のちの帝国大学工科大学、現在の東京大学工学部)卒業。工学博士、帝国大学工科大学学長、建築学会会長。設計の頑丈さから「辰野堅固」と呼ばれた。

by kfujiken2 | 2020-02-06 09:59 | 歴史 | Comments(0)

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