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長州より発信

2018年 03月 02日 ( 1 )

忘れられがちな山口県東部で維新を推進するために重要な役割を果たした、明治維新胎動の地の一つ、柳井市遠崎の妙円寺に月性さんを訪ねました。

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柳井市遠崎にある浄土真宗の「妙円寺」に生まれた僧月性は、天保2年、
15歳を迎えた月性は4年余り、九州の豊前の恒遠醒窓(つねとお せいそう)
のもとで詩文を学び、優れた詩人としての基礎をつくりました。天保14年、
京阪遊学に出郷するに際して作った「男児立志の詩」は有名で、他にも
多くの傑作を残し生涯に作った漢詩は千篇をこえるといわれています。
遊学中に海防の必要を感じ、帰郷後は私塾「清狂草堂」を開塾。
「西の松下村塾、東の清狂草堂」と並び称されました。海防の急を
いち早く唱えたことから、月性は「海防僧」と呼ばれるようになり、
吉田松陰とも交流をあったとされています。

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「清狂草堂」は六畳、四畳半二間の茅葺の建物である。 門下生に
奥州鎮撫使参謀となった世良修蔵や3代目奇兵隊総督となった赤祢武人、
本願寺の重鎮となった大州鉄然、諸隊の脱隊騒動の首謀者とされる
大楽源太郎ら多数の人材がいた。
阿月の「克己堂」や萩の「松下村塾」の弟子との交流も行われていました。
月性が萩を訪れたとき、吉田松陰は松下村塾を休講にして塾生を聴講
させたとも言われています。


【清狂草堂の六畳と四畳半の部屋】
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【月性展示館】

幕末の海防僧「月性」に関する貴重な資料が収められた資料館です。
久坂玄瑞の兄の久坂玄機と月性は莫逆の友ともいえる仲だった。
月性は剣舞がお得意で、酔いが回り、興に乗ると、月性は剣舞を舞う
こともあった。その絵が妙円寺に残っている。玄機の刀を借りたのだそうです。


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月性展示館の内部
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三条実美の揮毫による扁額と田能村直入が清狂草堂の全景を描いた扁額
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月性の肖像画として有名な 「月性剣舞の図」は、 清狂草堂を訪れた福岡の林道一が離別の際に書いて贈ったものです。
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by kfujiken2 | 2018-03-02 10:38 | 歴史 | Comments(0)