人気ブログランキング |

<   2016年 11月 ( 8 )   > この月の画像一覧

長州藩と会津藩の真実・・・続き

【長州藩と会津藩の軋轢】

八月十八日の政変で会津藩と薩摩藩、孝明天皇や公武合体派の公家は連帯して尊王攘夷派の計画を潰し、
長州藩を朝廷における尊攘派一掃を画策した。長州藩兵は、堺町御門の警備を免ぜられ京都を追われ、
朝廷を追放された攘夷派の三条実美・沢宣嘉ら公家7人も長州藩兵と共に落ち延びた(七卿落ち)。
この時点で会津が長州を恨むような状態どころか、逆に長州が会津を恨むようになっていった。
後の池田屋事件や禁門の変で、京都守護職配下の治安維持組織である新撰組の所為で、吉田稔麿・北添佶摩・宮部鼎蔵・杉山松助といった実力者を失い、長州の会津に対する恨みが増す。
更に禁門の変に於いて久坂玄瑞、入江九一、寺島忠三郎、来島又兵衛らが戦死した。こうして、会津に対する
長州の恨みは最高潮に達する。徳川慶喜に大政奉還を迫り、鳥羽・伏見の戦いで幕府軍を破ると、
戊辰戦争へと突入するが長州の主力は河井継之助が率いる長岡藩との戦闘にてこずり、白河方面から
会津に攻め込んだ薩摩や土佐に後れを取った。会津藩が降伏した際には、会津の西にある会津坂下までしか
進軍できていなかった。1カ月間の籠城中に会津の市街地で略奪や殺戮(さつりく)、強姦などの残虐行為を行ったのは薩摩軍や土佐軍だったという。
結論を言えば、長州藩は会津戦争には余り係わっていないと言う事です。
故に会津が長州に怨念を抱く理由はわからない。強いて挙げれば、会津には会津戦争の残虐行為が長州軍によってなされたという誤解があり、新政府軍の総司令官が長州出身の大村益次郎だったことも一因かもしれない。


d0061579_15291939.jpg


【会津藩の圧政と会津藩士の実態】


長年の京都守護職と鳥羽伏見の敗戦による多大な出費で、半ば財政破綻した会津藩は慢性的な戦費不足から、大局を見通せずに進駐した各地で民衆から搾取・略奪を始めるのであった。
組織だった徴発だけではなく、個人の会津藩士による略奪も多発した模様である。半ば強制的に行われた徴募では貴重な労働力を強引に奪われただけでは済まず、農兵の食料までもが村々から取り立てられ、村々は二重の負担に苦しむ事になる。
かくして会津藩兵による搾取・略奪によって、越後の民衆の心は会津藩から離れる事になる。会津藩兵の搾取・略奪に苦しんだ越後の民衆は、自分達を救ってくれる存在を求めるようになる。越後の民衆が助けを求めたのが、会津藩兵と戦闘を繰り広げる新政府軍であり、かつて越後を統治した米沢藩上杉家だった。

会津藩が明治政府に降伏すると、たちまち藩政崩壊による権力の空白状態に乗じた民衆の謀反が勃発した。
これを旧会津藩領内で発生した世直し一揆。ヤーヤー一揆とも言う。


【英国公使館の医師・ウィリアム=ウィリスの証言】


医師ウィリアム・ウィリス

d0061579_15382922.jpg


◆ 民衆の貧困
会津藩政の苛酷さとその腐敗ぶりはどこでも一様に聞かれた。今後十年二十年に返済するという契約で、
会津の藩当局が人民に強制した借款についての話がたくさんあった。
会津の国の貧しさは極端なものである。家並は私が日本 のどこで見たものよりもみすぼらしく、農民も身なりが悪く、小柄で、虚弱な種族であった。この国で生産される米はみな年貢として収められねばならなかった。

◆ 戦禍
私は会津の徒党のでたらめな残酷物語をいろいろと耳にした。長岡で、彼らは新政府の病院にいる負傷兵や
医師たちを皆殺しにした、と聞いた。会津兵が越後に退却して行く途中、彼らは女たちを強姦し、家々に盗みに入り、反抗する者をみな殺害したのである。

◆ 民衆の動向

人々は冷淡な無関心さをよそおい、すぐそばの畠で働いている農夫たちでさえも、往年の誉れの高い会津侯が
国を出てゆくところを振り返って見ようともしないのである。
武士階級の者のほかには、私は会津侯にたいしても行動を共にした家老たちに対しても、憐憫(れんびん)の情をすこしも見出すことができなかった。 一般的な世評としては、会津侯らが起こさずもがなの残忍な戦争を惹起した上、敗北の際に切腹もしなかったために、尊敬を受けるべき資格はすべて喪失したというのである。


長くなりますので今日はここまでと致します。
明日は締めくくりとしまして、「遺体埋葬禁止令」の事実   会津藩の恨みの原因・・・偏見・欺瞞に満ちた『小説』  什の掟(じゅうのおきて)とは・・・ をアップします。

by kfujiken2 | 2016-11-29 15:53 | 歴史 | Comments(0)

長州藩と会津藩の真実

【下松地方史研究会:秋季特別歴史講演会】 “長州藩と会津藩 ~長州藩に正義あり~”
山口県文書館副館長や毛利博物館館長を歴任された小山良昌先生の講演を拝聴して、
私なりに調べてみました。


【長州藩と会津藩の関わり】


会津藩は八月十八日の政変や禁門の変(蛤御門の変)、更に第1次・第2次長州征伐(四境戦争)と幕府方の
中核として尊皇攘夷派の排除を行った。明治維新を勝ち取る戦いとなった戊辰戦争は、1868年(明治元年)の鳥羽・伏見の戦いから、翌年の1869年(明治2年)の五稜郭(現在の函館市に)の戦いまで、旧幕府側と新政府側との一連の戦いである。最後は東北や北海道にまで向かう戦いだった。
鳥羽・伏見の戦いで幕府軍が破れ、徳川慶喜と共に江戸に退去した松平容保は、新政府の追討令を受けた慶喜の恭順方針に従って自らも恭順の姿勢を示すため会津へ帰国し謹慎するが、藩内では主戦論が支配的であり、受け入れられなかった。
会津藩が一時期幕末の政局のリーダーシップを握りながらも、最終的に戊辰戦争に突入せざるを得なくなったのには、「悲劇」という二文字だけでは片付けられない、必ずやその理由や藩の命運を左右した分岐点、すなわち歴史上のターニングポイントがあったはずなのです。


d0061579_936822.jpg


① 会津藩がなぜあのような運命を辿ってしまったのか?


将軍慶喜の命で会津藩主松平容保は鳥羽伏見で薩長と対戦しますが、戦い半ばにして容保は慶喜に連れられ
江戸に逃げ帰りました。薩長にとって会津藩は分かりやすいスケープゴート(身代わり)になってしまったのです。その後の戊辰戦争では、恭順して難を逃れた慶喜の身代わりに血祭りにあげられたという感じでしょうか。
会津では藩校などで子供の頃から儒学を徹底して教え込むなど、じつに生真面目な忠君愛国的精神風土がありました。そのまじめさがゆえに柔軟さを欠き、世の中の動きに柔軟に対応できなかったのではないかと思います。かつては攘夷を唱えながら、英国に敗れたとたん手のひらを返すように英国と手を結んだ薩長のような変わり身の早さなどありませんでした。
愚直なまでに謹厳実直な会津藩に同情したり賞賛する人は多いに違いありません。
幕府に裏切られたというより、勤王の意味のちがいでしょう。
慶喜は、とにかく天皇に逆らうのは逆賊だから、という形式的大義名分で、抵抗をやめた。
それにたいして、会津は、薩長こそ国賊だという認識があったから、最後まで抵抗したのでしょう。
会津は単に幕府に忠誠を誓っていただけでなく、第一の勤王家だったんです。

薩長は、幕末には既に、経済市場の確立や財政改革や西洋式軍制、市民平等・国民皆兵の思想が出来上がっていた。しかし、会津などの佐幕藩は、幕末ぎりぎりの時点でもまだ旧態依然とした時代の中に眠っており、先見の明がある優秀な人材もおらず、藩主以下が固陋な思想と行動に縛られていたのです。


★ 会津藩は愚直なまでに謹厳実直で、机上の武士道や道場での武芸盛んだったが、戦争経験が皆無だった。

② 会津藩の歴史上のターニングポイントがどこにあるのか?


尊皇攘夷派の急先鋒であり、朝廷を陰から操ることによって政局をリードしていた長州藩は、「八月十八日の政変」により、一気に朝廷内での勢力や実権を失い、京の都を追われることになります。この「八月十八日の政変」という大きなクーデターで、当時隆盛を極めていた長州藩が京都から追い落とされることになったのは、当時京都守護職を務めていた会津藩と薩摩藩という二大雄藩が提携(同盟)したことが大きな原因となっています。会津と薩摩、この両藩が提携しなければ、「八月十八日の政変」という一大クーデターは成功しなかったどころか、発生することも無かったであろうと考えられます。

明治維新において、薩摩藩があれだけの活躍と存在感を示すことが出来たのは、島津久光の統制主義の元に、西郷や大久保といった有能なリーダー達がよく実務をこなしたからであると思います。島津久光の統制主義と西郷や大久保の突出したリーダーシップや政治力との間の歯車が上手く合わさった結果、薩摩藩が明治維新における大きな原動力を生み出したと考えられます。
当時の会津藩主・松平容保は京都守護職を務め、孝明天皇の覚えも目出度く、京都では非常に大きな勢力を持っていましたから、まず「手を組むなら会津藩」という前提の元で、島津久光自身から「情勢を見届けた上で、会津藩と提携せよ」という具体的な指示が出ていたのではないかと推察しています。 


d0061579_10184261.jpg

d0061579_10185553.jpg



長くなりますので今日はここまでと致します。
【長州藩と会津藩の軋轢】 【会津藩の圧政と会津藩士の実態】 【英国公使館の医師・ウィリアム=ウィリスの証言】 ★「遺体埋葬禁止令」の事実 等は明日にでもアップします。

by kfujiken2 | 2016-11-28 10:23 | 歴史 | Comments(0)

楓と苔とのコントラスト

3度目の宇野千代さんの生家訪問です。

前回は淡墨桜を観に行きました。淡墨桜は吉野桜より開花が早く3月の
終わり頃が見頃と聞いていたので、その時季に行ったのですが!!!
少し早く残念でした。
花の見頃は気候に左右されるので難しいですね~ 


今回は紅葉が素晴らしいとのことなので早速行きました。

d0061579_8181958.jpg


ベストタイミングで楓が最高で、苔とのコントラストが見事です。


d0061579_8211722.jpg

d0061579_8213279.jpg


苔のジュータンの上で楓の落ち葉が戯れています。

d0061579_8241960.jpg


苔のマクロ画像も面白いですね~~~

d0061579_8302665.jpg

by kfujiken2 | 2016-11-23 08:30 | 風景 | Comments(0)

右田毛利家の家老・桂家の「切腹の間」

桂家は右田毛利家の家老職の家のため、いつ切腹命令が来てもいい様に
「切腹の間」が作られていた。幸いに、切腹は一度も無かったと聞きました。


d0061579_9243650.jpg


畳の敷き方が、解かりますか?
畳は不祝儀敷である卍(まんじ)敷きで、切腹の時は真ん中の畳だけ残して
他の畳はのけて白砂を敷いて浄土の方向いわゆる西に向かって腹を切るのだそうです。
不吉なことを帳消しにする意味で、床の間の造りが枡造りになっています。
マス床は本当に珍しいそうです。


卍(まんじ)敷き
d0061579_9294182.jpg


床の間の造りが枡造り

d0061579_9313231.jpg


通常はこちらの敷き方

d0061579_9344072.jpg


切腹の間と呼ばれる敷き方はこちら
d0061579_9354593.jpg


違いがお判りでしょうか?
ともえ形に敷かれた畳が反対の左回りになっているのです。

by kfujiken2 | 2016-11-16 09:37 | 歴史 | Comments(0)

枯山水の幻の名庭・・・月の桂の庭

【月の桂の庭】が期間限定で公開されました。 

d0061579_14551347.jpg

d0061579_14553299.jpg


月の桂の庭と言われている桂家の庭は、東庭と南庭からなる一庭二景の平庭式枯山水庭園で、
四代桂運平忠晴(1664年~1747年)が正徳2年(1712年)に造ったものと伝えられている。
山を背にし、南に面した日あたりのよい小高い静かな昔の武家屋敷で、前面には防府平野が開け、
左には天神山、中央に桑山、そして前面は佐波川が南流する眺めのよさで、
借景としては格好の場所である。


d0061579_14571744.jpg


玄関です、右手に見えるのが庭に入る扉です。
d0061579_1511633.jpg


玄関を入るとさすが武士の御屋敷、いざという時の用意周到に槍が吊るしてある。

d0061579_15135623.jpg

d0061579_15142037.jpg


書院の右手に【月の桂の庭】の南庭と東庭の一部が見えます。/
d0061579_1675084.jpg


逆L字型の敷地にいたるところに遠近法が使われており、庭は奥に行くにつれて幅が狭くなり
土塀も奥に行くにしたがってわずかに低くなり遠近感を出しています。

d0061579_15302331.jpg

d0061579_15371338.jpg

d0061579_153821100.jpg


庭の言われとなっている「月の桂」とは、古代中国の伝説で月に生える桂の木。
桂は仙人の食べ物とされ、「月の中にある桂」は不老不死の象徴とされています。
17個の石組みからなる石庭は大変凝った綿密な造りとなっており、立石と臥石の調和、
位置の平均率、石の象徴性などその構成は京都竜安寺の石庭より複雑なものです。
桂忠晴は当時佐波川河口で干拓の大事業をすすめていたが、その事業の成就のため兎肉をたち、
書院の縁先、あるいは庭の石により月に祈願したという。
月の桂の庭の名は、その月待(つきまち)の行事に由来する。(月待行事旧暦11月23日)

d0061579_1538494.jpg

d0061579_15391396.jpg


※ 御屋敷の中に「切腹の間」という座敷があるのですが、長くなりましたので
明日アップしますね・・・ご期待の程


by kfujiken2 | 2016-11-14 16:25 | 風景 | Comments(0)

大変だった匹見峡の紅葉狩りドライブ

10年以上前から一度素晴らしい匹見峡の紅葉を見に行きたいと思っていました。
しかし道路が狭いので大きい車では、中々通行が難しいらしいので諦めていました。
だけど車を軽自動車にした現在ならば、OKと思い行って見ることにしました。


匹見峡 とは渓谷の名前で、美しい渓谷美が見られます。
匹見峡には、表、裏、奥の3つがあるます。
国道191号線の近くに奥匹見、県道307号線の近くに表匹見、
そして国道488号線に裏匹見があります。


d0061579_1514940.jpg


国道187号線から一番近いのは、道路は狭いが国道488号線の裏匹見だとネットで調べ、
裏匹見を見学することにし出発しました。
広瀬から国道187号線に入り「ピュアラインにしき」で休憩、国道434号線を東上し
雙津峡温泉の側を通り、何度もお参りしている腰から下の病気を治して下さるという
江龍寺(俊道様)に立ち寄りお参りを済ませ、更に国道434号線を東に進み国道186号に入り、
途中を左折して国道488号線沿いにある裏匹見峡を目指して北上しました。


ここからが大変だったのです・・・

標識をしっかり見ず、積雪時通行不能で、車幅2m以上は通行不能と書いてあったので、
道幅は狭そうだが積雪も無く車幅2m以内だから、気を付けてゆっくり行けば大丈夫と
思い進んだのが間違いでした。
国道だからいい道なんだと思ったら大変!!! ガードレール、カーブミラーが設置されていない
峡谷の断崖絶壁の上を車が何とか通り抜けられる程の幅しかない区間が続くことから、
谷側へ転落の危険があり、車同士のすれ違いが困難である。
中国地方を代表する山越えの俗に言う「酷道」の一つに挙げられるらしい。
まさかの交通止めです・・・ かなり先へ進んだ所が通行止めになっている。
国道488号線沿いにある裏匹見峡は、現在通行止め区間の中にあるのです。


諦めて引き返し戸河内まで行き、国道191号線を西に下り表匹見峡に向かいました。
途中の「いこいの村ひろしま」辺りの紅葉が最高でしたが、あいにくの雨で撮影が出来ず
残念でした。


「いこいの村ひろしま」の入口の真紅のもみじ
d0061579_15252241.jpg


国道191号線から島根県道307号線に入り表匹見峡へゴールイン。

d0061579_15291544.jpg

d0061579_15293182.jpg

d0061579_15294232.jpg

d0061579_15302091.jpg

by kfujiken2 | 2016-11-10 15:31 | 風景 | Comments(0)

花めぐり

何も予定の無い文化の日(3日)、花の少ないこの時季に花の撮影にでも行ってみようと
「やまぐちフラワーランド」に行って来ました。
残念なことに冬の花壇へと衣替えの時季に入り、秋花の多くは終わっていました。


管理事務所前のベコニアが出迎えてくれ、入口を入ると四季折々の花をのせた24個のゴンドラが回転する
フラワーランドのシンボルが目に入ります。


d0061579_16204874.jpg

d0061579_1621916.jpg


大仏ヘアーを「螺髪(らほつ)」というそうですが、葉牡丹が正しく大仏ヘアーの様に、ユニークなデザインで植えられています。
d0061579_1622212.jpg


「ロックガーデン」はコニファーと呼ばれる針葉樹ですかね? 色彩、樹形など綺麗です。
d0061579_16253931.jpg


全長約50mの階段状花壇「ボーダーガーデン」は深紅のサルビアで艶やかです。
d0061579_16263514.jpg


帰りに冠山総合公園で「秋のばら祭」を開催しているので寄ってみました。
残念なことに10月22日から開催しているので、時既に遅しとでも言いますか枯れ落ちたり、
花びらが傷んでいたり見頃を超えていました。
花の撮影は難しいですね!!!  花の見頃は8分咲きですよね~

d0061579_16292955.jpg

d0061579_1629442.jpg

d0061579_16295885.jpg

by kfujiken2 | 2016-11-05 16:31 | | Comments(0)

歴史公園・湯田温泉の井上公園

山口県旧県庁舎及び旧県会議事堂の見学の序に、
2013年度から実施されていた山口市湯田温泉の井上馨の生家跡地にある、
井上公園の改修工事が終わり、一般公開が始まったそうですから見て来ました。


d0061579_15321483.jpg

d0061579_15333995.jpg


場所は湯田温泉 ホテルニュータナカの裏手になります。

d0061579_15421313.jpg


八月十八日の政変で京都を追われた七卿が滞在した「何遠亭」(かえんてい)が
復元されている。

d0061579_1544890.jpg

d0061579_15442716.jpg


井上馨といえば『長州ファイブ』の一人であったことは有名ですが、
袖解橋(そでときばし)で襲撃に遭い、美濃の浪人で医師の所郁太郎が遭難に馳せつけ、
数か所の刀傷を五十数針縫い合わせる大手術をなし、 瀕死の井上馨を奇跡的に救ったことは
知る人ぞ知るの事件です。

d0061579_1612288.jpg


井上馨に関しては↓で説明をしていますのでご覧下さい。
http://kfujiken2.exblog.jp/21888223/
by kfujiken2 | 2016-11-01 16:07 | 歴史 | Comments(0)


山口県の歴史・風景・花や世相のトピックをお届けします


by fujiken

S M T W T F S
1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30

カテゴリ

風景
歴史

コラム
未分類

リンク

アクセスカウンター


クリックして貰えると幸せます

にほんブログ村 地域生活(街) 中国地方ブログ 周南情報へ
クリックして貰えると幸せます。
ブログランキング・にほんブログ村へ
クリックして貰えると幸せます。

春葉のブログ~心の声を墨にこめて~

以前の記事

2019年 09月
2019年 08月
2019年 07月
2019年 06月
2019年 05月
2019年 04月
2019年 03月
2019年 02月
2019年 01月
2018年 12月
more...

最新の記事

大人のうんち学
at 2019-09-18 16:12
参ったな(;´Д`)
at 2019-09-13 10:34
北浦の奇岩・ホルンフェルスと..
at 2019-09-10 09:26
北浦の奇岩・ホルンフェルスと..
at 2019-09-05 11:45
北浦の奇岩・ホルンフェルスと..
at 2019-08-31 17:31
北浦の奇岩・ホルンフェルスと..
at 2019-08-27 09:06
下松スポーツ公園のヒマワリ
at 2019-08-19 07:40
ぱしふぃっく びいなす (P..
at 2019-08-11 08:52
第27回 「サンドアートin光」
at 2019-08-05 07:36
残暑見舞い
at 2019-08-04 08:05
「世襲王国ニッポン」・・・ ..
at 2019-07-28 15:31
「竹久夢二展~憧れの欧米への..
at 2019-07-23 15:13
玖珂の鞍懸城主・杉隆泰の系譜..
at 2019-07-19 09:14
玖珂の鞍懸城主・杉隆泰の系譜..
at 2019-07-12 09:01
映画 「ある町の高い煙突」を..
at 2019-07-05 10:12
玖珂の鞍懸城主・杉隆泰の系譜..
at 2019-06-29 06:56
玖珂の鞍懸城主・杉隆泰の系譜..
at 2019-06-24 10:45
玖珂の鞍懸城主・杉隆泰の系譜..
at 2019-06-18 08:18
玖珂の鞍懸城主・杉隆泰の系譜..
at 2019-06-14 10:39
周防大内氏第16代当主・大内..
at 2019-06-09 13:41

ブログジャンル

歴史
中国

フォロー中のブログ

四季の風景
6ワン’s mom
つれづれなるままに
四季折々
より美しく!より健康に!
季節の花々に癒されて
時の流れのままに
風に吹かれて🎵
月の沙漠を
hiroshijiji1...
おいしいマイニチ
一期一会 ~あけぼのフェ...
♪Princess Cr...
農園のドタバタ奮闘記
俺の心旅
言の葉の優しさに・・・

画像一覧

最新のコメント

態々ご連絡ありがとうござ..
by kfujiken2 at 10:03
もちろん、私も適正な補修..
by なすび at 13:04
なすびさん おはようござ..
by kfujiken2 at 07:34
案内所になっている建物、..
by なすび at 17:22
>単なる鄙びた村というか..
by kfujiken2 at 10:08
私も佐々並には行きました..
by なすび at 18:08
>会津生まれ まるで韓..
by 再び明治維新が必要 at 19:04
アリエスさん おはようご..
by kfujiken2 at 08:18
>また、毎年9月日本史を..
by 白虎 at 23:42
貴方が言われていることも..
by 会津生まれ at 20:27
おいでませ、長州より発信..
by kfujiken2 at 15:57
早速 探しました。 すぐ..
by りこ at 11:05
私はブログをやっていませ..
by なすび at 21:01
なすびさんのサイトを紹介..
by kfujiken2 at 09:05
戦争ができないとヤバいで..
by なすび at 11:48
ご指摘痛み入ります。 ..
by kfujiken2 at 10:28
会津の人間です。 記事..
by あかべこ at 05:24
貴殿は気づかれていないよ..
by なすび at 13:09
既に辞めている前川さんが..
by kfujiken2 at 10:59
引責ではありません、立派..
by なすび at 09:00