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【21世紀フラワーファーム】

春葉のブログ~心の声を墨にこめて~



<   2018年 03月 ( 6 )   > この月の画像一覧

徳山毛利藩初代藩主・毛利就隆の乳母が誰だったか判明

1631年~1648年までの17年間の短期間しか存在しなかった【短命の下松藩】や跡地の
痕跡が全くない【幻の下松藩邸】と題して色々調べて着ましたが、資料がなく真実や明らかな
部分が全く分からず苦慮していましたが、徳山毛利藩初代藩主・毛利就隆が清安院という乳母に
育てられたことは確かであり、且つ下松市大谷墓地に法名が(清安院殿光誉栄信大姉)という
立派なお墓が残っており、その乳母が徳山毛利家の家老の息女だったとのことのようです。
ではその家老が誰だったか? その息女が誰だったか、又名前は何と言われたかと言う事が
詳しく分かっていなかったが、色々調べておりましたらやっと見つけました。


徳山毛利藩初代藩主・毛利就隆の乳母が開基のお寺・妙法寺

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徳山毛利藩初代藩主・毛利就隆の乳母・清安院のお墓

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下松藩から徳山藩に移行した経緯を説明しましょう!!!

下松藩(徳山藩)は、「毛利輝元」の次男「毛利就隆」(萩藩初代藩主「毛利秀就」の弟)が、
元和3年(1617年)に3万石を分与されたことから立藩しました。寛永2年(1625年)の藩内
検地では、実質的な石高は4万石余りであったといわれています。実際に幕府より藩として
正式に認められたのは、寛永11年(1634年)で藩主の「毛利就隆」は、江戸に滞在することが
ほとんどで、実際に下松に入ったのは寛永15年(1638年)でした。
藩政は、長州藩とほとんど同じで、家臣団の多くは「関ヶ原の戦い」後に浪人した者や本家の
藩士における三男などの取立てにより編成されました。
慶安3年(1650年)に就隆は、下松は交通に適していないという理由から藩庁を徳山に移しま
した。「徳山」は「野上」と呼ばれていましたが、就隆が徳山と改称しました。


さて本題の家老と乳母の名前ですが・・・

奈古屋 元忠(なごや もとただ)は、安土桃山時代から江戸時代初期の人物で
下松藩家老。
慶長7年(1602年)に毛利輝元の次男・毛利就隆が生まれると奈古屋 元忠の
妹・清安院(実名・あつ。吉見氏家臣・後藤勘左衛門の妻)が就隆の乳母を務め
たが、元忠も慶長9年(1604年)11月に就隆が萩城に移った際に福間元道や
榎本五郎左衛門と共に御抱守(養育係)を命じられた。

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by kfujiken2 | 2018-03-29 15:02 | 歴史 | Comments(0)

周南市長公舎(海軍燃料廠の廠長官舎)見学会

周南市慶万町にある周南市長公舎は、大正15年に海軍燃料廠の廠長官舎
として建てられ、昭和20年の終戦を迎えるまで歴代の廠長が住まわれて
いました。二度にわたる徳山大空襲を免れたこの木造住宅は、戦後、徳山市
が払下げを受け、市長公舎として使用してきました。
平成19年度、市長公舎が本市の歴史を語る上で欠かせない建物であること
から、市民の貴重な財産として後世に引き継ぐとともに、優れた建造物の積極的かつ有効利用を目的に、建物が建てられて以来、初めての大掛かりな改修工事を実施いたしました。
市長公舎は、洋館部分と和館部分を併せ持つ、大正時代を代表する和洋折衷の木造住宅であり、建物のいたるところに様々な特徴や工夫が施され、当時の暮らしや時代の面影、趣きを見ることができます。


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敷地の正面に洋風の門とロータリー(車寄せ)が設けられ、表側に洋館、その後方に和館が続いています。

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上の平面図をご覧になれば分かると思いますが、洋館は、応接間、玄関、便所などによって構成されています。
外観の切妻屋根の妻壁に見られるイギリスのチューダー様式のハーフテンバーと玄関ポーチの円柱が特徴的です。ポーチの屋根を支えるトスカーナ式の円柱には、徳山産の御影石が使用されており、当時としては廠長官舎にふさわしい玄関構えとなっています。


切妻屋根の妻壁に見られるイギリスのチューダー様式のハーフテンバー
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※ チューダー様式: 15世紀終わりから17世紀初めにかけてのイギリスで、ゴシックデザインを少しずつ変化させて生まれたスタイル

※ ハーフティンバー: ゴシック様式は主に教会やお城などで使われたデザインで、柱や梁、筋交いなど木の構造材を外側にむき出しにし、その間を漆喰やレンガで埋めた、特徴のある外観でよく知られ、半分は材木で半分は漆喰やレンガが見えることから、この名で呼ばれているようです。


玄関ポーチの屋根を支えるトスカーナ式の円柱には、徳山産の御影石が使用されております。
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※ トスカーナ式: エトルリア建築に由来したもので、柱は太くて短く、溝彫りはなく、礎盤の上に立つ。ルネサンス以降にも多く用いられた。  


応接間の特徴

高い天井は、格式の高い折上げ格天井で、内壁は木摺下地の白漆喰壁です。
天井板、腰板、ドアなどにはベニヤ(薄板)が用いられています。
正面と南側には、二連の上げ下げまどが設けられています。

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和館部分の特徴


洋館と最後部にある寄棟屋根の棟との中間にある繋ぎ屋の棟です。
繋ぎ屋の部分は洋館とともに、廠長官舎として使われていた当時、公的空間であり、床の間のある10畳と次室10畳からなる二間続きの座敷があり、つまりこの和館は生活の場ではなく、お客様をもてなした部屋です。廠長官の家族の生活の場は、最後部にある寄棟屋根の棟です。
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南側廊下の特徴


縁側の長い丸太二本をそのまま使った軒桁は、現在は大変貴重なものとなっています。
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水がない瓢箪型の池があるお庭とお庭の一角にあった防空壕を埋めた跡地とのことです。

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by kfujiken2 | 2018-03-21 17:11 | 歴史 | Comments(0)

山口県の天然記念物「防府市向島の寒桜」

3月も中旬に入り、本格的に春の足音が聞こえ始めました。
山口県内の名所の一つ、防府市の向島小学校内にある山口県指定天然
記念物「蓬莱寒桜(ほうらい かんざくら)」が満開を迎えたとの情報を聞き
17日の土曜日に見てきました。
早咲きの桜として有名で、通常の桜は入学式時期に満開になりますが、
この寒桜は卒業式時期に満開になります。 満開の寒桜に見送られて
卒業するというのも素敵な思い出になりますね。


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寒桜の名称である「蓬莱桜」(2009年命名)の由来は、
向島は以前、瀬戸内海を往来する船舶から蓬莱島と言われていたことからだそうです。


防府市立向島小学校が位置する向島は、山口県の瀬戸内海側のほぼ中央にある、防府市の南岸に、架橋により接する東西5㎞、周囲17㎞、面積7.9㎢の島で、その中央部に標高354mの錦山がそびえています。海に山にと大変環境に恵まれた場所です。
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防府市の向島小学校の校庭で満開の時を迎えた寒桜は、花の姿のかれんさと、高さ約9メートル、根元の幹回り4.4メートルという雄大さを備え、県の天然記念物に指定されている。約百年前に当時の卒業生が植えたという話が伝わっていて、樹齢は約100年とみられている。

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つぼみは紅紫色、開くと淡紅紫色で後にやや濃くなり、3月初旬から中旬に開花します。品種は、寒桜(カンザクラ)とみられます。寒桜は、山桜(ヤマザクラ)と寒緋桜(カンヒザクラ)の種間雑種であるサクラの園芸種で、他のサクラと比べて開花時期が早いのが特徴です。
県内には寒桜の記録はなく、幹囲りは県内の桜では10位以内には入ると思われます。この樹に関する詳細な記録・沿革は不明ですが、約100年前に当時の卒業生が植樹したという話もあります。

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ヒヨドリが蜜を吸いにきていました。
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寒桜とは反対の校庭隅には蓬莱桜二世が移植されています。
二世の移植は台風の被害を避けるためのもので、 募金活動を経て平成21年
1月に移植。

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by kfujiken2 | 2018-03-18 17:34 | | Comments(0)

白壁の町並みを散策

先日海防僧・月性さんが創設した「清狂草堂」を訪ねた帰りに、
柳井市の白壁の町並みを散策しました。


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白壁の町並みは、江戸時代の商家の家並みがそのまま今日も生きており、
妻入形式、本瓦葺、入母屋型の屋根、白漆喰・土蔵作りの商家の家並が続き、
藩政時代には岩国藩のお納戸(押入れ・倉庫という意味でしょうか?)と
呼ばれ、産物を満載した大八車が往来してにぎわった町筋だそうです。
往時の面影をしのばせる町並みで、心安らぐひとときを味わいました。

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「国森家住宅」は、18世紀後半に建てられた商家で、細部まで往時のままに
保存されており、江戸時代の典型的な商家建築として国の重要文化財指定を受けています。

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甘露醤油資料館「佐川醤油蔵」は、二重仕込み(再仕込み)という独特の製造法を持つ甘露醤油は、柳井を代表する特産品です。
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by kfujiken2 | 2018-03-14 16:48 | 風景 | Comments(0)

裁量労働制と高度プロフェッショナル制度

参院の予算委員会では、晋三さんの最重要法案である「働き方改革」が、官邸と厚労省の壮絶バトルの結果、「営業職」や「管理職」の一部に裁量労働制の適用拡大を法案から全面削除することを決めたという時点で、財務省の森友学園との国有地取引に関わる決裁文書の書き換え疑惑問題に話がすり替わりました!!!


【裁量労働制】とは何ぞや??? を調べていると、労基法改正案には、「高度プロフェッショナル制度」だけではなく、「裁量労働制の拡大」も盛り込まれる予定でしたと記載されている。

労務管理のスペシャリストでなければ、【裁量労働制】とか【高度プロフェッショナル制度】等は知り得ない・・・

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労働基準法とは、労働者が人たるに値する生活を営むために、最低限の労働条件の基準を定めた法律であることは大抵の人が知っていると思います。

労働時間には大きく分けて「法定労働時間」と「所定労働時間」の2種類があります。
『法定労働時間』: 雇用者は労働者に休憩時間を除き1週間について40時間を超えて、労働させてはならない。
雇用者は1週間の各日については、労働者に、休憩時間を除き1日について8時間を超えて労働させてはならない。
『所定労働時間』: 労働基準法で上限として決まっている週5日・1日8時間の基準内で、企業側が自由に設定できる時間のことです。


裁量労働制は労基法の適用範囲内で労働時間にだけ自身の裁量で決める事ができる働き方であり、高度プロフェッショナル制度は、労基法の適用除外にする制度です。



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※ 【裁量労働制】は、実際に働いた時間でなく、あらかじめ決められた労働時間に基づいて、残業代込みの賃金を払う制度。それ以上働いても追加の残業代は出ない。仕事の進め方や時間配分をある程度自分で決められる働き手に限って適用できる。研究開発職など専門性の高い仕事か、企業の中枢で企画・立案などの仕事に就く人が対象。

※ 【高度プロフェッショナル制度】は、「残業代ゼロ法案」とも「脱時間給制度」や「ホワイトカラー・エグゼンプション(頭脳労働者脱時間給制度)」とも呼ばれている制度で、年収1075万円以上の金融ディーラーなどを労基法による労働時間、休日、深夜の割増賃金等の規制の対象から外す(残業代の支払いが不要になる)制度です。

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by kfujiken2 | 2018-03-08 16:50 | 未分類 | Comments(0)

上関城山歴史公園&清狂草堂 その2

忘れられがちな山口県東部で維新を推進するために重要な役割を果たした、明治維新胎動の地の一つ、柳井市遠崎の妙円寺に月性さんを訪ねました。

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柳井市遠崎にある浄土真宗の「妙円寺」に生まれた僧月性は、天保2年、
15歳を迎えた月性は4年余り、九州の豊前の恒遠醒窓(つねとお せいそう)
のもとで詩文を学び、優れた詩人としての基礎をつくりました。天保14年、
京阪遊学に出郷するに際して作った「男児立志の詩」は有名で、他にも
多くの傑作を残し生涯に作った漢詩は千篇をこえるといわれています。
遊学中に海防の必要を感じ、帰郷後は私塾「清狂草堂」を開塾。
「西の松下村塾、東の清狂草堂」と並び称されました。海防の急を
いち早く唱えたことから、月性は「海防僧」と呼ばれるようになり、
吉田松陰とも交流をあったとされています。

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「清狂草堂」は六畳、四畳半二間の茅葺の建物である。 門下生に
奥州鎮撫使参謀となった世良修蔵や3代目奇兵隊総督となった赤祢武人、
本願寺の重鎮となった大州鉄然、諸隊の脱隊騒動の首謀者とされる
大楽源太郎ら多数の人材がいた。
阿月の「克己堂」や萩の「松下村塾」の弟子との交流も行われていました。
月性が萩を訪れたとき、吉田松陰は松下村塾を休講にして塾生を聴講
させたとも言われています。


【清狂草堂の六畳と四畳半の部屋】
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【月性展示館】

幕末の海防僧「月性」に関する貴重な資料が収められた資料館です。
久坂玄瑞の兄の久坂玄機と月性は莫逆の友ともいえる仲だった。
月性は剣舞がお得意で、酔いが回り、興に乗ると、月性は剣舞を舞う
こともあった。その絵が妙円寺に残っている。玄機の刀を借りたのだそうです。


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月性展示館の内部
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三条実美の揮毫による扁額と田能村直入が清狂草堂の全景を描いた扁額
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月性の肖像画として有名な 「月性剣舞の図」は、 清狂草堂を訪れた福岡の林道一が離別の際に書いて贈ったものです。
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by kfujiken2 | 2018-03-02 10:38 | 歴史 | Comments(0)




山口県の歴史・風景・花や世相のトピックをお届けします
by fujiken
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