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【21世紀フラワーファーム】

春葉のブログ~心の声を墨にこめて~



<   2018年 04月 ( 8 )   > この月の画像一覧

下関を漫遊 パート⑤

みもすそ川公園を見学の後、下関漫遊の旅の最後の地・東行庵に向かう途中、下関市立美術館に
途中下車して 「旅立ちの日に―高校三年生に贈る、知っておきたい下関の美術」を駆け足で観て周りました。
「近代日本画の父」と呼ばれる狩野芳崖・「長門峡」の名付け親でもある高島北海・生涯にわたって水墨と色彩の美を追求し続けた松林桂月の水墨画淡彩を食い入るように観ながら、又、梅原 龍三郎・藤田 嗣治・東郷青児の裸婦図にエロチシズムを感じながら拝見し東行庵に急ぎました。


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◆ 東行庵
曹洞宗清水山東行庵(せいすいざんとうぎょうあん)と称し、維新の革命児・高杉晋作の霊位礼拝堂として
明治17年(1844)に創建されました。
初代庵主となったのは、高杉晋作の愛妾おうの。晋作の死後、明治14年(1841)に曹洞宗総本山永平寺の貫主である久我環渓禅師から得度を受け、「梅処(ばいしょ)」と称して晋作の眠るこの地で菩提を弔うことを余生としたと伝えられており、2代「梅仙」、3代「玉仙」、現在、松野實應兼務住職と受け継がれています。
当初は、晋作の盟友・山縣有朋所有の建物「無鄰菴(むりんあん)」をあてていましたが、旧藩主毛利元昭をはじめ
伊藤博文・井上馨等の寄付で、新たに「東行庵」として建てられ現在に至ります。


東行庵境内の玄関
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東行庵

今回は戸が閉まり中を見ることが出来ませんでしたが、昔訪れた時には庵内に上がることは出来なかったが、玄関に
入ることが出来ました。玄関を入って直ぐ右手に、8畳の部屋だった様に記憶していますが、一面が全部が仏壇という仏間に感動したのを思い出しました。


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高杉晋作の墓
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梅處尼(側室・おうの)の墓
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高杉晋作の銅像
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高杉晋作の真実・3つの汚点
高杉晋作という男は、幕末の風雲児・異端児とも呼ばれており、松下村塾四天王だったことから
一目置かれ、男子からはリスペクトされ、女子からはキャーキャー言われる、そんな男だったようですが!!! 革命家としての才能は幕末一であったろうが、革命期以外には使い道がないほどの天才だった。
高杉晋作に関して3つの疑問があります???


1つには、山口町奉行・井上平右衛門の次女・井上雅(高杉晋作の妻・高杉雅)さんは萩城下で評判の美人でしたが、高杉晋作は余り家を顧みず国事に奔走していたとはいい、2人の結婚生活は6年ほどの期間で、お互いに一緒に暮らしたのは2年も無かったといわれている。しかし、奇兵隊を結成した頃、愛妾・おうのを身請けしております。
「英雄色を好む」ということでしょうか?

2つには、1864年7月の池田屋事件や同年8月の「禁門の変」で長州藩は朝敵となり ここぞとばかりに外国(アメリカ・イギリス・フランス・オランダ)にも攻めやられ長州藩VS幕府いう藩の存続も危うし、同志を失い大変なことになってしまったこの時期に高杉晋作は戦に加担せず脱藩して野山獄に投獄されていたのです。

3つに、高杉晋作は第三代奇兵隊総督赤根武人の「萩政府を攻めるのは、藩主に弓を引くも同じだ」と、 奇兵隊の決起に反対するが、俗論政府を相手に藩内革命を起こし功山寺挙兵する。高杉晋作がクーデターを起こした事で、赤禰武人の居場所は無くなり、 和平実現のために動いていた事で二重スパイ疑惑をかけられ斬首された。
高杉晋作は、病床にて赤根武人についてこう語ったという。(幕府との全面戦争回避を画策した)武人の心中を洞察することができず、生命を全うさせることができなかったのは、残念であった。
高杉晋作は同志を失脚・斬首まで追い込んでも強引に奇兵隊の決起させる必要があったか! 成功したから結果良しだが、失敗していたら自分だけ腹を切ったのでは済まない・・・

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by kfujiken2 | 2018-04-27 09:55 | 歴史 | Comments(0)

下関を漫遊 パート④

長府毛利邸の見学を終え下関の町をぶらつき、Uターンして帰路につきました。
以前から気になっていた、下関で繰り広げられた歴史が凝縮されている『みもすそ川公園』に
立ち寄りました。


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◆ みもすそ川公園

関門海峡に面した公園です。公園前は早鞆(はやとも)の瀬戸と言われる関門海峡の一番狭まった場所で、
幅は約600m。潮の流れが速く、潮流の変化も激しいここは海の難所です。壇ノ浦古戦場を一望出来るこのポイントは二位の尼辞世の歌から地名が生まれたとも云われています。当時を偲ぶ石碑、歌碑と幕末に攘夷とかで外国船を一斉砲撃した砲台跡でもあります。公園内には義経、平知盛両雄の像とか長州砲のレプリカが5基もズラリと展示されていました。


御裳川(みもすそがわ)
御裳川はこの場所で関門海峡に注ぐ小河川だったが、現在の河口は公園と国道の下に暗渠になっている。
御裳川って、元々はこの赤い欄干の下を流れていたらしい・・・


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二位尼の辞世の句が、御裳(みもすそ)川の地名の由来になっているそうです。
『今ぞ知る みもすそ川の 御ながれ 波の下にも みやこありとは』

安徳帝御入水之処碑
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長州砲のレプリカ
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長州砲の発射音(100円でドカ?ン3回)を初体験しました。
曇っていた関係、背景がグレーっぽいので煙が確認できるかな???



壇ノ浦の戦い

平安時代末期に6年にわたる大規模な内乱「治承・寿永の乱(源平合戦)」が繰り広げられ、源氏に敗れた平家が
滅亡に至った源平合戦最後の戦い。
関門海峡は狭いうえ潮流が早く、潮の干満により潮流の向きも変わるという特徴がある。午前に始まった合戦は、
開戦直後は激しい東流れの潮流を利用した平家が優勢に進めると、不利を悟った義経が掟破りの平家水軍の非戦
闘員の水手・梶取を射させる戦法に出る。平家方に混乱が生じ、源氏が優勢に変わると、源氏方へ裏切る者も相次ぎ、昼近くに潮の流れが西に変わると攻勢は完全に逆転し、平家は壊滅状態となった。


壇ノ浦古戦場址碑
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源義経と平知盛像

敗北を悟った平家一門は次々と海へ身を投げていった。せめて大将の義経だけは道連れにと、平家きっての武将・平教経は義経の船に乗り移り追いつめるが、義経は飛び上がり船から船へと飛び移り逃げていった。俗にいう「八艘飛び」である。

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by kfujiken2 | 2018-04-25 08:23 | 歴史 | Comments(0)

下関を漫遊 パート③

乃木神社を後にして、一路長府毛利邸へ行きました。長府毛利邸には駐車場が無いんです!!!
近くの有料駐車場に車を置き長府毛利邸に続く石畳を歩いて行くと表門があります。表門を入ると
直ぐ右に毛利秀元の銅像が建っており、更に左側の石畳を登ると表玄関の入口に着きます。敷地が庭を含めて約10,000㎡あるそうですが、立ち入り禁止の部分もありますから、敷地面積が
約53,000㎡あり建築面積1,002㎡の防府毛利邸と比べるとさほど御屋敷が広くはありません・・・
やはり本藩と支藩の差かな??? (○>ε<○)ごめん!


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◆ 長府毛利邸
1903年に、長府毛利家の第14代当主・毛利元敏公によって建てられた邸宅。
明治天皇もご宿泊され、一部の部屋は当時のまま残されています。
武家屋敷造りの重厚な母屋と白壁に囲まれた日本庭園が魅力で、新緑や紅葉の季節になると一段と見ごたえを
増します。


表門
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毛利元就の孫で長府藩の初代藩主・毛利秀元
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長府毛利邸建物正面外観の表玄関

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母屋・川端玉章作の杉戸絵

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明治天皇宿泊の間

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書院庭園
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by kfujiken2 | 2018-04-22 10:40 | 歴史 | Comments(0)

下関を漫遊 パート②

忌宮神社を後にして、下関市立長府図書館や長府第一保育園を右に、横枕小路を左に見ながら
乃木神社・乃木旧邸へ行きました。


◆ 乃木神社
明治天皇の崩御の際に殉死した軍人・乃木希典(のぎまれすけ)を、文武両道の神として祀る
神社。1920年1月30日に創建され、学問の神様としても知られています。1859年に長府に
転居した彼は、西郷隆盛による西南の役で官軍として参戦するなど、多くの武功をあげました。
境内には、彼が幼少時代に育った家が復元されているほか、夫婦の銅像も建てられています。


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乃木大将ご夫妻の銅像

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乃木旧邸
乃木希典は、嘉永2年(1849)11月、長府藩士乃木希次の子として、江戸麻布の長府毛利藩邸に
生まれたが、安政5年(1858)、10歳のとき父とともに長府の地に帰り、16歳で萩に従学する
まで、私塾集堂場において学ぶなど、長府城下で過す。
現在保存されている乃木旧邸は大正3年(1914)、乃木記念会がそのゆかりの地に、忠実に復元
したもので、家屋の造りは、六畳と三畳の二間、押入れ、それに二坪の土間という極めて質素な
生活をしのばれせている。 また調度品等も当時を再現したもので、風呂敷包が天井につりあげて
あるなど、生活の工夫もみられて興味深い。
なお、六畳の間に相対して置かれている父、母、そして少年からなる三体の等身大木彫坐像は、
乃木大将の甥にあたり、明治から大正にかけて活躍した著名な彫刻家長谷川栄作の製作による
もので、乃木少年が、父親から訓話を受けている場面が、見事に表現されている。(掲示版より)


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by kfujiken2 | 2018-04-20 10:30 | 歴史 | Comments(0)

下関を漫遊

去る14・15日にかけて小雨降る中を下関・長府・小月をぶらり旅して来ました。小雨が降ると足元がうっとうしいので行動範囲が鈍ったが、6ヶ所を散策したから
ネタは十分!!!
画像も30枚以上あるので3~4回に分けてアップを予定しています。
では歩いた順にアップすることに致します・・・


◆ 忌宮神社(いりのみやじんじゃ)
西暦193年、長門国二の宮で、仲哀天皇・神宮皇后が九州の豪族熊襲を鎮圧し西国平定の折り、ここに仮皇居として豊浦宮を建て西暦200年までの7年間滞在したと言われています。

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「蚕種渡来之地」記念碑

西暦195年には、渡来人が蚕種を献上したという蚕種渡来地の碑が境内の一角にあります(シルクロード日本上陸の地)。

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横枕小路(よこまくらしょうじ)
城下町長府の乃木神社の横をまっすぐ走っている細道で、両側には薄茶色の淡い色の練塀がまっすぐに伸びています。

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by kfujiken2 | 2018-04-18 10:55 | 歴史 | Comments(0)

「江良弾正」や【江良氏居館跡】

先日、【弾正糸桜】の説明を致しましたが、
その際「江良弾正」や【江良氏居館跡】に少し触れましたことを覚えておられますか?


今日は「江良弾正」という人物や【江良氏居館跡】のことをお話しましょう!
これは「江良弾正」という人物や【江良氏居館跡】のことが知りたく、周南市鹿野町鹿野
総合支所の産業土木課を訪ね、色々記載のある資料を調べて頂きコピー等を頂きました。


先ず【江良氏居館跡】の特長・遺構を説明をしましょう。
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現存しているのが、一部の土塁と一部の石垣です。

現存している土塁
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現存している石垣
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江良氏居館跡推定復元図を見ながら、画像と比べながら推測して下さい。

※ 土塁(どるい)とは: 敵や動物などの侵入を防ぐために築かれた土製の堤防状の壁である。

※ 空堀とは: 水の張られていない堀のことを空堀(からぼり)という。
        掘った結果生じる土は、多くの場合、堀の脇に積み上げて土塁としている。
        近世の平地の城には水堀があるが、中世の城の堀はほとんどが空堀である。

※ 虎口(こぐち): 中世以降の城郭における出入り口のこと

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by kfujiken2 | 2018-04-13 17:05 | 歴史 | Comments(0)

桜と歴史を追っ掛けて鹿野へ・・・

去る9日、プレーを止めた何でも幹事のゴルフコンペの受付のため、早朝周南市の
北部・須々万に出向き、受付を済ませメンバーのスタートを見送った後、恐らく
今月の初旬に満開を向えたであろう鹿野町の『彈正糸桜』
葉桜になっているだろうと想定していたが、江良弾正居館跡の土塁に植わっている
ことを知り、「江良弾正」という人物のことが知りたく、鹿野に行って来ました。


水と緑の癒しスポット【清流通り】で、水車小屋や池が設置してあり、
とても風情のある通りになっておりリラックスできました。


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さて清流通りを東に歩き、周南市鹿野町の鹿野総合支所横にある目的の【彈正糸桜】にやって来ました。・・・案の定葉桜になっています!!! 樹齢 約350年 樹高8m 幹回り約2,7mの見事なシダレザクラです。陶晴賢の重臣(江良弾正)居館跡の土塁に立っている事から、2009年に命名されたそうです。

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残存している土塁です
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それでは江良氏の遺跡跡に建てられた【龍雲寺】について、少し説明しましょう。

応永15年(1408)に創建された臨済宗の古刹であり、数十年間大内氏の末家である江良氏の屋敷として使用されている。現在の石垣はその頃造られたものとなっている。その後再興し、毛利藩時代は給領地を与えられ、再度本陣(殿様の宿)に仰付けられるなど由緒ある寺院である。
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現存している石垣です
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龍雲寺の境内に【龍頭苑】があります。
渦巻状に重なる苔の上に、樹齢500年余と言われる唐ケヤキが龍の頭で龍のまさに昇天せんとする勢を表現し、これから延びる長い苔の山は龍の胴部である。

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糸桜(しだれ桜)を観ることが出来なかったから、がっかりして帰途に着いていたら、
瓢箪から駒ではないが、【金松(きんしょう)桜】の看板が目に入った・・・
周南市鹿野下の金松地区の杉林の中にある巨大なヤマザクラで、県内最大級らしい!!! 
樹齢 100~120年、樹高30m、幹回り約3mの巨木が山の中に一本だけあります。 遠目にですが、国道からもその姿を見ることができます。近年、山の持ち主の了解が得られて手前の杉・檜を伐採して日の目を見ることになったらしい。
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江良弾正という人物・江良氏居館跡の説明は、後日お話致します。

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by kfujiken2 | 2018-04-11 12:33 | 風景 | Comments(0)

徳佐八幡宮のしだれ桜

ソメイヨシノは7~8分咲き・しだれ桜は3~4分咲きではないかと思います。
この天気でこの気温ならば満開まであと3日!!!


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満開時には見事なトンネルを造りあげるしだれ桜です。
徳佐八幡宮のしだれ桜は西日本隋一のしだれ桜と知られています。
鳥居から社堂まで370mもの両参道に130本咲き誇り、
案内板にも「満開時の景観は、筆舌に尽し難いものがある」と記されている。


※ 筆舌に尽し難いものとは:文章や言葉で十分に表現しきれないという意味

徳佐八幡宮の桜は文政8年(1825年)に大阪より「ひがん系シダレザクラ」として取り寄せ、氏子有志によって植栽されたと伝えられています。昭和9年には名勝徳佐桜として国の指定をうけるものの、老木となりその木の多くは枯死する。そのため昭和31年に指定を解除されてしまいます。

現在は地元の有志によって従来の種だけでなくソメイヨシノなどを補植し、また老木から接木によって増殖することで徳佐桜となるよう努力を重ねる。そして昭和47年に阿東町指定となる。
つまり1度は死ぬ寸前までいったものの、地元の方の手入れにより復活したということです。


しだれ桜の垂れている枝の先から上に向かって撮影すると遠近感が出てきます。

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可愛い赤い花のしだれ桜です。

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徳佐八幡宮の拝殿

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徳佐八幡宮の神木・つが(栂)
マツ科の常緑高木。山地に自生し幹は直立し,30メートルに達する。
松ぼっくりのような小さな実をつけるようです。
秋篠宮文仁親王の印が栂です。

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by kfujiken2 | 2018-04-01 10:19 | | Comments(0)




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