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【21世紀フラワーファーム】

春葉のブログ~心の声を墨にこめて~



<   2018年 09月 ( 5 )   > この月の画像一覧

周防大島へドライブ遊覧

明月上人誕生地・願行寺を後に次の目的地・陸奥記念館へ・・・
「陸奥記念館」と「なぎさ水族館」の駐車場が共有されているので、先ずは、日本一小さい水族館・「なぎさ水族館」を覗いて観ることにしました。


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この水族館はアイデア勝負?の水族館です。
瀬戸内海の生きものを中心に飼育・展示しています。
とにかく面白いのが飼育員が手書きで作成された解説文です。「なぎさ水族館」の人気スポットは、日本最大級の広さを誇る(屋内の)「タッチングプール」で、海の生き物にじかに触れることができ子供たちの歓声でいっぱい。



「ニホンアワサンゴ」
周防大島に世界最大級の群生地がある海の花束
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「ゴンズイ」

ゴンズイという名は、漢字で「権瑞」と書くことが多い。
ナマズ科で目が小さく口ヒゲがあり、愛嬌のある顔をしているが背びれと胸びれに毒があり厄介な魚でもあります。
ゴンズイは頭が牛に似ていて毒ビレをもつため、悪魚的な意味から付いた名だという。

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「ミズクラゲ」
ゆったりとした動きでふわふわと漂う姿に、眺めていると癒されます。
傘の真ん中にあるクローバーのような模様は胃だそうです。
タコクラゲ タコのように8本ある足や傘にある水玉模様がとてもチャーミングで印象的ですよね。

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by kfujiken2 | 2018-09-21 09:23 | 未分類 | Comments(0)

明月上人誕生地・願行寺の彼岸花

明月上人誕生地である願行寺(周防大島町日前)の石碑横の花壇に、お彼岸を向えてタイミング良く、植えられたものであろう色違いの彼岸花が咲いておりました。

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※ 彼岸花の知識のイ・ロ・ハ

イ: お彼岸の季節には、田んぼのあぜ道や土手で見かけることがありますよね。
これは、野ネズミなどが穴をあけるのを花の球根にある毒で防ぐために植えられていたんです。

ロ: 珍しい黄色の彼岸花は、正確には彼岸花そのものではありません。その正体が鍾馗水仙(しょうきずいせん)と呼ばれている花なのです。

ハ:白い彼岸花は、 赤い彼岸花と黄色いの鍾馗水仙の雑種とのことです。


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by kfujiken2 | 2018-09-19 08:56 | | Comments(0)

近世の名筆:明月上人

明月上人は享保12年(1727)周防大島屋代島願行寺生まれ、法名・明逸、字は曇寧、中秋の名月の夜に生まれたので明月のほか解脱隠居・化物園主人などと号したという。15歳のとき来松(四国松山)して円光寺義空に師事、のち京・大坂・江戸に遊学して、服部南郭らとの交友を通じて古文辞学(徂徠学)を学んだあと帰郷して宇佐美淡斎・杉山熊台などを指導、松山におけるけん園学派の先駆者となった。また泉州堺の佐太郎(名は宜周、号南山人)に寄寓して書を習い、南山人から王義之・顔真卿など唐の書風を学び、特に草書に巧みで、越後の良寛、備中の寂巌(じゃくごん)とともに三緇(さんし)と称えられた。34歳、帰松して円光寺住職就任。翌年、藩の反対を押し切って同寺に唐風の楼門(普照楼)を建てた。また、詩文にも秀で、著作に『扶桑樹伝』『通機図解』『西遊記』『明月什』などがあり、ことに扶桑樹伝は光格天皇乙夜の覧に供され、のち唐人町茶屋吉蔵によって開板されると明月の名が高くなった。漢詩に「道後温泉詩」八首などがある。寛政9年(1797)、同寺で没。

※ 佐太郎 : 参勤途上の紀州侯の家臣たちを冷や飯でもてなした堺の豪家
※ けん園学派:荻生徂徠の門に学んだ人たちによって形成された儒学上の一学派
※ 三緇 : 三人の僧
※ 乙夜(いつや): およそ今の午後9時ないし10時から2時間をいう
※ 乙夜の覧 : 中国で、天子は昼間政務で忙しいので乙夜になってから読書をした
※ 開板(かいはん): 書物を新しく出版すること

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冬さびぬ蔵沢の竹明月の書   正岡子規
ふゆさびぬぞうたくのたけめいげつのしょ

前書きに「草庵」とあり、子規庵の室内を詠んだもの。
「蔵沢」は吉田蔵沢のことで、松山生まれの南画家、晩年は画材を竹に絞り、竹の蔵沢として知られていた。「明月」とは円光寺の7代前の住職明月上人。
2人とも名筆で、子規庵に書があり、 明月の書は、虚子の結婚記念に虚子に贈ったとされている。蔵沢の竹の画は子規が晩年に「私の宝物」といい床の間の正面に飾っていた。


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風呂吹を喰ひに浮世へ百年目    子規
ふろふきをくひにうきよへひゃくねんめ

「風呂吹」とは圓光寺伝統の精進料理「ふろふき大根」のことである。


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by kfujiken2 | 2018-09-17 11:24 | 歴史 | Comments(0)

映画:岡田准一の「散り椿」

「散り椿」の正式名は五色八重散椿(ごしきやえちりつばき)といい、珍しい椿です。

安土桃山時代、朝鮮に出兵した加藤清正が蔚山城(うるさんじょう)から持ち帰った椿を豊臣秀吉に献上し、それを北野大茶湯の際に秀吉が京都市北区大将軍の地蔵院に寄進しました。
1本の木にピンク色、白色、赤色、絞りが入ったものなど、いろいろな花を咲かせます。通常、椿は、花が丸ごと地面に落ちるのですが、五色八重散り椿の場合は、桜のように花弁が1枚ずつ散っていきます。


椿の話はこれ位にして、本題の映画についてお話しましょう・・・

最近はコメディ時代劇が多いですが、久々に岡田准一主演の本格的時代劇・「散り椿」が公開されます。V6というボーカルユニット出身だけど、存在感のある演技ができる理由に目力にありますと思います。

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武士の瓜生新兵衛(岡田准一)は、妻である篠(麻生久美子)と地蔵院に身を寄せていた。病気を患う篠は前庭に咲いている散り椿を眺めながら、故郷の散り椿がもう一度見たいと呟くがその願いは叶う事は無かった。
朴訥で不器用だが、清廉に生きようとする侍たちの“凛とした生き様”、そして愛する女性のために命を懸けて闘う、“切なくも美しい愛の物語” 親友で恋敵だったライバルの剣豪たちのその後の物語です。


※ 紅葉の名所として有名な山口市鋳銭司・両足寺に、本堂脇に立つ2本の五色八重散椿が有名です。菩提供養のために植えられたもので、樹齢は推定350年。
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7年前に撮影した画像です
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紅葉がご覧になりたい人は、一昨年の撮影ですが・・・
「紅葉巡りの見納めに両足寺」をご覧下さい、 リンクしていますのでクリックするとページに飛びます。
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by kfujiken2 | 2018-09-08 09:10 | 未分類 | Comments(0)

長岡外史を語るとき・・・誕生の秘話

長岡外史は10才のとき、萩藩士・長岡南陽の養子となり、
明倫館を経て陸軍士官学校(旧2期)卒。明治18年(1885年)に陸軍大学校を一期生として卒業してから、陸軍軍人、政治家として活躍されたことは皆さんご存知と思います。


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しかし、いずれの講演や書物に於いても、生い立ちが明らかにされていない???
何故、暗黙にされているのか図書館に行って調べてみました。
「航空とスキーの先駆者 人間 長岡外史」という冊子の中に、面白い記述を見付けました。


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安政元年に起きた江戸の大地震は、ペリー来冦以上に衝撃を人々に与えた。世は騒然としていた。このような時代に長岡外史が19歳の娘・堀 時の胎内に宿った。父親は隣り村の栗屋村(周南市櫛浜町)の庄屋温品家の二男謙吉である。母の堀 時は都濃郡末武北村(下松市末武)の大庄屋堀三右衛門の妹である。
2人は相思相愛の仲であった。謙吉はのちに山口県上関町室津の小方家に養子に行き謙九郎と名を変え、第二奇兵隊の参謀として活躍する。明治維新後に上関町室津に戻り回漕業や汽船宿を営んで、現在は国の重要文化財に指定されている
四階楼(しかいろう)建てた人物である。


そんな相思相愛の仲であった堀 時と温品謙吉が結婚しなかった、いや結婚出来なかったのは、明治以前の婚姻の形態に理由があったようです。

①.嫁方の家で、婚姻生活のもたれる「婿入婚」の形式がとられていた。
  
②.2人の住まいは末武北村と栗屋村で隣り村の農村のコミュニティではあるが、部落意識の強かった明治以前は、村外結婚を好まなかった。


当時の婚姻の形態を風俗的見解ではなく、歴史的見解で少し説明しましょう・・・

当時はほとんどが嫁方の家で、婚姻生活のもたれる「婿入婚」の形式がとられていた。一般的にいって婿入婚に終生的なものの二種があり、それらは婿が嫁方に住み込むものと、婿が妻問いする通い式の二つの形式に分かれる。
それは貴族社会に限らず、庶民の間でも支配的に行われた。日本では古くは男女が性的交渉をもってから共同生活を始めるまでの間に、相当の期間が存在し、その場合男が女の家に通うのが通例であった。

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古典時代の結婚生活の形態は、女はただひたすら男の訪問を待つだけの受動的立場であり、授かった子種をこの世に産み落とすまでは自分の仕事だが、我が子を育てる役割は「乳母(めのと)」に委ねることが多かったし、最初の頃に通ってきてくれたきりで、以後すっかり御無沙汰になってしまう夫も、世の中には多かった・・・なにせ、「妻」は、彼女一人だけとは限らないのだから・・・古典的文物に「待つ身の女の辛さ」を嘆くものが多いのも、むべなるかな、である。

農村の婚姻の形態がこのようなものだったとすると、長岡外史の両親・温品謙吉と堀 時の間柄も同様であったと思われます。2人の家は同じような大庄屋の家柄であったし、距離的にいって末武川をまたいで2~3キロの距離にあった。当人同士は許し合い、それを当然のこととしていても、親と世間が認めなければ、正式の婚姻とはみなされなかった。


本来求婚することを『よばう』(呼ぶの意)といい、若者が夜ひそかに娘の家へ通うことを『よばい』といっている。これに『夜這い』などの字をあて、明治以降は封建的弊風のようにみられてきたが、この風習はほとんど全国の農村にわたっており、それを当然とした時代が久しかった。
当時にとっては、このようなことが唯一の娯楽であり、また恋愛の場でもあった。こうした場を通して相手を知り、意気投合すると、娘の家へ夜這いに通い、やがて結婚へと進むのが通例であった。そして、このような男女交際は若連組の承認の上でおこなわれ、親が反対しても、若連の力で推進することさえあった。昔はこうしたケースが多かったために村内結婚が主である。 部落意識の強かった明治以前は、村外結婚を好まなかった。村の娘が他村へ嫁ぐ場合、若衆が嫁入の行列に向って石を投げたり、水をかけたりしてじゃまをする風習があった。若者組のきずなのきびしい村落共同体においては、若者頭の承認がなければ他の村へ嫁入することができない地方さえあった。

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by kfujiken2 | 2018-09-03 09:04 | 歴史 | Comments(0)




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