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春葉のブログ~心の声を墨にこめて~



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ニッシンイクス 加来耕三氏の文化講演会

2018年10月28日(日)ホテルサンルート徳山におきまして、株式会社ニッシンイクス主催の文化講演会を開催されました。
講師に 加来 耕三 氏 (歴史家・作家)をお招きし、維新150年によせて「毛利敬親と明治維新」をテーマに講演されました。


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◆ 加来耕三氏のプロフィール


歴史家・作家。昭和33年(1958)10月、大阪市内に生まれる。昭和56年(1981)3月、奈良大学文学部史学科を卒業。学究生活を経て、昭和59年(1984)3月より、奈良大学文学部研究員。 現在は大学・企業の講師をつとめながら、歴史家・作家として著作活動をおこなっている。

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加来耕三氏の文化講演会を拝聴しました。さすがプロ 話が上手い・・・
独断と偏見で意見を延べらせて頂くと、早口過ぎて聞き取り難くメモが取り難い。
過去の講演会と比べると先ずテキストが無い! テキストが無いから話(講演)のスタートは何処からでもいい・・・ つまり、加来耕三氏の話は先ず明治維新を説明し、さかのぼってから幕末に入り、毛利敬親に辿り着く話の流れだった。演題が「毛利敬親と明治維新」だから、毛利敬親の話からが順当ではないかと思う。歴史の講座・講演は歴史の流れの中で話を進めて行くのが順当ではないだろうか?
彼曰く、歴史をひもとけば、新しい事実が見えてくる。歴史学は単に過去をさかのぼる学問ではない。歴史は未来への選択肢の軌跡でもある。
歴史の転換期にメスを入れ、資料的裏付けにより、大胆に史実の新しい断面を解明すると説明いている。しかし、歴史の流れが分かっており、自分が原稿を作り自分が話すのだからそれでいいが、聴いてる方は歴史の流れが反対になり、早い喋りに着いて行くのが精一杯だった。


講演開始までは撮影OKということなので・・・
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さらに加来 耕三氏 は、自らを歴史研究者と自負されているようですし、講演活動され時代考証も数多くこなしているそうです。
“日本史「常識」はウソだらけ” や、“誰が、なぜ? 加来耕三のまさかの日本史” 等を出版され、ウソ&ホントの自論を述べておられるが、講演会での話としては面白いが、それでは我々が勉強して知った内容と実際?に差があり、どちらが本当なのか疑心暗鬼になります。
私の知っている地方史研究者が、以前面白いことを話されていました。
当時生きていた人が現在いるわけでもないし、残っている資料の古文書も誰が書いたかはっきりしない!
「はい」と手を挙げ自論をぶち挙げ言った人が勝ち、それが通論になってしまうと・・・ネ

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by kfujiken2 | 2018-10-30 11:41 | 未分類 | Comments(0)

アサギマダラが好む花



白と紫がかったフジバカマは、色違いかと勘違いしておりましたが、フジバカマ(藤袴)と ヒヨドリバナ(鵯花)は、<キク科 フジバカマ属>で花の色も白から紫がかったものまであり、花だけ見るとそっくりであるが、同属ではあるが別の花です。

フジバカマ(藤袴)
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フジバカマは「秋の七草」の一つで、生草のままでは無香ですが、乾燥するとその茎や葉に含有されている、クマリン配糖体が加水分解されて、クマリン酸が生じるため、桜餅の葉のような芳香を放つ。 平安時代の貴族たちは匂い袋にして、ほのかな香りを楽しんでいました。
万葉の時代から人々に親しまれてきた植物です。情緒豊な奈良や平安の貴族・歌人がこんな句を詠んでいます。


古今集の中で紀貫之が  「宿りせし 人の形見か フジバカマ 忘れがたき 香に匂いつつ」  と詠んで一夜を共にした人の匂い袋とフジバカマを重ね合わせている。


ヒヨドリバナ(鵯花)

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ヒヨドリバナを万葉集の中で山上憶良が「萩の花 尾花葛花 なでしこが花 をみなへし また藤袴 朝顔が花」と詠んでいます。

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by kfujiken2 | 2018-10-26 06:56 | | Comments(0)

1000Km以上を大移動するアサギマダラ


私にとっては長い間、ただの蝶でした。最近まで名前も知らなければ、識別も出来なかったのです。さわやかな秋日和に誘われ、話には聞いていた下松市スポーツ公園にアサギマダラに会いに行ってみました。
アサギマダラの好むフジバカマは何処に植わっているのか?駐車場に車を置きコスモス畑を歩き回っていると、一番北側の50坪くらいの広さに畑がありました~~~
カメラを持った常連さんによると、今年は管理が悪いのか塩害台風の影響か、フジバカマの生育が悪いと話していました。
蝶は一匹二匹と数えるのではなく、一頭二頭と数えるそうです。
まだ少し時期か早かったのか、三頭しかいませんでした!!!


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国境を越える唯一の蝶・アサギマダラの不思議は、まず、渡り鳥のように季節によって長距離を移動する習性を持つことです。しかも集団でそれを行う。何がこの「渡り現象」を誘引しているのかは研究でも特定されていないと聞く。

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アサギマダラを有名にしたのはその渡りのすごさです。春から夏にかけては本州等の標高1000メートルから2000メートルほどの涼しい高原地帯を繁殖地とし、秋、気温の低下と共に適温の生活地を求めて南方へ移動を開始し、遠く九州や沖縄、さらに八重山諸島や台湾にまで海を越えて飛んでいきます。海を渡って1000キロ以上の大移動です。台湾・陽明山まで飛んだのはこれまで5個体が確認されていますが、これなど2100キロの飛翔になります


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by kfujiken2 | 2018-10-23 08:04 | 未分類 | Comments(0)

萩往還の宿場町佐々並市を探訪 Part3

オレンジ色の道路が萩往還で、(緑の円で囲んだ部分)が中ノ町です。Part 1で説明しました【御客屋】跡地(萩往還ふれあい塾」のコーナーから、佐々並川の間を中ノ町といいます。

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◆【中ノ町の町並み】の成り立ち


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中ノ町では造酒屋,油屋,酢醤油屋,肴豆腐屋,穀物屋,薬種商等の各種の商売を営まれており、商業の機能を担っていた。


それでは主な各町家をご案内致します。


◆【はやしや旅館】

幕末には吉田松陰、高杉晋作、木戸孝允たかよし、坂本龍馬など、維新の志士達が萩往還を通り、佐々並市で休泊しました。
萩藩主などが「ささなみとうふ」を好んで食べたことから、佐々並宿の豆腐の味として有名になりました「はやし屋」のとうふ料理は、伝統のある手づくりのささなみ豆腐を使った、素朴な味で皆様に喜ばれています。



はやしや旅館の新館と主屋

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「1階が食堂」でささなみ豆腐の料理が名物で、「2階が大広間」

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◆【旧小林家住宅】<(萩往還おもてなし茶屋)


江戸時代に人馬や駕篭の調達を行った「目代所」があり、現在は佐々並のご案内処になっている。明治40年に隣地から移築された主屋と、大正期に建てられた土蔵、昭和10年代に増築された離れからなります。かつては旅館を営んでいたことから、主屋の一階の主座敷に加え、二階には萩往還を望む表座敷、佐々並川や周囲の田園を望む奥座敷など、佐々並の魅力を十分に楽しめる建物です。


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※ 目代所 : 古代においては国守の代理として留守所に派遣された私設の代官を指した。近世以降、目代はもっぱら駅逓の事をつかさどる地下役として宰判内各駅に目代各一人が置かれ(目代所を設る場合もあった)、人馬駕篭などの準備や用達をなし、その賃銭の徴収するなどの任にあたった。

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主屋の一階の主座敷と当時の大福帳

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※ 大福帳とは江戸時代・明治時代の商家で使われていた帳簿の一種。
当時の商業取引の前提として「掛売り」が基本であったらしく、盆・正月の支払いだったらしい・・・


【旧小林家住宅】の見取り図

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◆ 【旧椿家住宅】 

江戸期から住み、米・砂糖・塩などを扱い、薬種商を経て、その他雑貨等も扱うようになった。

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by kfujiken2 | 2018-10-15 10:29 | 歴史 | Comments(3)

萩往還の宿場町佐々並市を探訪  Part 2



萩往還の宿場町佐々並市を探訪 Part 1に於いて、【上ノ町の町並みの様子】のコンテンツで【御茶屋】と【御客屋】を説明致しましたので、Part 2・Part 3では【上ノ町の町並み】【中ノ町の町並み】の各町家を紹介致します。


◆ 【上ノ町の町並み】の成り立ち

上ノ町は江戸時代には各町家が商業や農業を営みながら,御茶屋及びその予備的施設(木村家・井本家)である御客屋を有していた。

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オレンジ色の道路が萩往還で、(赤の楕円で囲んだ部分)が上ノ町です。
上ノ町は多少傾斜のある道で、上ノ町を北に進み(左から右方向に)突き当たりに御茶屋が角にあり、ここから急カーブして萩往還のアイストップとなる象徴的なところに位置しておる。(イラスト画像のブルー楕円で囲んだ部分)


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※ 萩往還の説明を少々・・・


萩往還は、慶長9年(1604)萩城築城後、殿様の「お成り道」として開かれました。城下町萩(萩市)と瀬戸内の港三田尻(防府市)をほぼ直線で結んでおり全長はおよそ53Kmです。
もとは殿様の参勤交代道として整備された道でしたが、江戸時代の庶民にとっても山陰と山陽を結び陰陽連絡道として重要な交通路となりました。
また、幕末には、維新の志士たちが往来しており、歴史の上で重要な役割を果たしました。


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それでは説明できる各町家をご案内致します。


◆  佐々木家

江戸時代から代々「鍛冶屋」として馬の蹄鉄製造業を営んでいた佐々木家。

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◆  石田理髪店


江戸時代、「御客家の井本家」が屋敷を構えた敷地の一角にあたり、理髪店「浅川家」を経て現在に至っている。

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◆  大野家 

佐々並の戦の火災後、江戸時代末期に建築と推定されている大野家、二代前までは、畳屋だった。

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◆ 三浦家


「土山酒造」と号して明治34年の創業以来酒造業を営んできた土山家から、大正2年に「三浦酒造」が譲り受け現在に至っている。

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【中ノ町の町並み】は後日にご案内致します。

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by kfujiken2 | 2018-10-12 10:39 | 歴史 | Comments(0)

萩往還の宿場町佐々並市を探訪 Part 1



平成23年6月20日重要伝統的建造物群保存地区に選定されました。

佐々並市・重要伝統的建造物群保存地区をご案内致します。

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◆ 【佐々並市の概要】

佐々並市は、萩市の南部を占める旧旭村の南縁に位置する農村集落で、かつての萩城下町と三田尻(防府市)を結ぶ萩往還の中間点に位置することから、参勤交替の際などに藩主が休息する御茶屋を中心とした、宿駅機能を有する集落として栄えました。  佐々並市の町並みは、江戸初期に農業を基盤としつつ、萩往還の整備に伴って宿駅機能を備えた町並みとして成立し、近年に至るまで町並みの地割に大きな変化はなく、かつこの町並みの特徴を示す建築物や工作物、環境物件が現在まで数多く残っています。

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佐々並市は,「御茶屋」から萩方面に向かって,上ノ町,中ノ町,久年という3つの町で構成され,江戸時代に各町家は農業を営みながらも,上ノ町は御茶屋及びその予備的施設である御客屋を有し,中ノ町では造酒屋,油屋,酢醤油屋,肴豆腐屋,穀物屋,鋳物屋,鍛冶屋等の商工業を担い,久年は,人馬を提供する駅の役目を果たしてきました。
当時のこの集落は、総家62軒からなる町並みだったようで、そのうちの15軒が商人、47軒が宿人夫馬持ちで農業をしながら暮らしていた。


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◆ 【上ノ町の町並みの様子】

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慶応元年(1865)の1月、長州藩政府軍と高杉晋作が率いる緒隊が現在の美祢市にある大田・絵堂で10日間の戦いをやり、ここはその脇戦の地になり(佐々並の戦)、12軒が焼失していて、その時に建て替えられたそうです。

◆ 【御茶屋】

御茶屋の図面、「旧小林家住宅(目代所跡)休憩所に展示」
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萩往還沿いの最も大きい施設の一つとして御茶屋(藩主の旧泊施設)があった。慶長9年、毛利輝元が山口から萩城へ移るとき、旧佐々並使用学校(現佐々並農協木材部)の敷地内にあった長松寺の前身である長松庵で休息したといわれる。それにちなんでこの地に御茶屋が建てられたと伝えられている。670㎡の敷地に本館、長屋門、御蔵、御共中腰掛、馬建、番所があった。

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【御茶屋】の跡地

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◆ 【御客屋】

後年、往来の通行がひんぱんになると、上級武士が休息・宿泊施設 として御客屋が設けられ、にあった木村作兵衛宅、井本弥八宅があてられた。
広々とした土地に1917(大6)年に佐々並村役場がこの地に置かれ、現在は「萩往還ふれあい塾」になっております。


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【上ノ町の町並み】は後日に・・・ ご期待あれ!!!
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by kfujiken2 | 2018-10-10 12:13 | 歴史 | Comments(2)

一筆たしなんでみました


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金子みすゞのふるさと長門市仙崎に新しい道の駅「センザキッチン」がオープンし、観光の目玉が増えました。
長門市初の道の駅として4月20日(金)に、グランドオープンした「センザキッチン」は仙崎の海辺にあります。長門の豊かな食材と、長門の楽しい情報と、長門との充実した遊びを調理し、ゲストに振る舞う所です。

交流拠点施設として山口県内最大級の広大な敷地に広がる「センザキッチン」は、周遊性のあるひとつの“まち”。おいしい味覚との出会い、ここでしか体験できない遊び、そして、さまざまな人々とのふれあいで訪れる人々を温かくもてなすとともに、この地の魅力と価値を発信・再発見できる、地域住民の方々の新たなコミュニティスペースとしての役割も果たしています。


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私の是非お勧めは長門市仙崎のみすゞ通り中ほどにある、旧JA倉庫に展示されている「プロジェクトM20000」で、蒲鉾板20,000枚を組み合わせて、金子みすゞの詩「大漁」の世界を表現しています。
この「プロジェクトM20000」には仕掛けがあり、部屋の中にあるスイッチを押すとブラックライトに照らされた大羽鰮の大群が浮かび上がります。

スイッチをON

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スイッチをOFF


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また、入口正面の壁面には、イラストレーター尾崎眞吾氏が描いた金子みすゞの肖像画がプリントされ、駐車場側の壁面には12万枚の写真による巨大モザイクアートの縮小版がプリントされています。


イラストレーター尾崎眞吾氏が描いた金子みすゞの肖像画


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12万枚の写真による巨大モザイクアートの縮小版


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by kfujiken2 | 2018-10-05 12:22 | 未分類 | Comments(0)




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