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周防國三之宮という由緒正しき古社・仁壁神社


仁壁神社(にかべじんじゃ)は、山口県山口市三の宮にある神社。
式内社、周防国三宮で、旧社格は県社。
宮野という駅名は、たぶんこのお社に由来するものなのでしょう。


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◆ 概 史

仁壁神社の創建年月は不明であるが、文徳実録・三代実録 などの正史や延喜式神名帳にその名が見える古社である。 長治元年(一一〇四年)宮の前の旧地から現地へ遷座したという。 古くから周防三の宮と呼ばれている。
明応六年(一四九七年)大内義與は九州の戦陣から帰り、五社 参拝をした。五社とは、防府右田の玉祖神社・徳地の出雲 神社・この仁壁神社・さらに吉敷の赤田神社・大歳の朝田 神社をいう。この参拝の順に一の宮、二の宮……というふうに呼んでいる。
永徳一二年(一五六九年)大内輝弘の乱の時焼失したが、程なく 毛利輝元によって再興された。その後正徳二年(一七一二年)に また焼失したので、享保五年(一七二〇年)重建された。現在の 社殿がそれである。
なお、当神社には「慶長十三年二月吉日新見作」という刻名の 獅子頭がある。慶長十三年は江戸時代初期(一六〇八年)に あたり、山口市の有形文化財に指定されている。


◆ 参道入口の社号碑式内仁壁社とあります。

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◆ 参道の石橋

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◆ 拝殿&拝殿内部


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◆ 社殿全景 拝殿・幣殿・本殿


平成9年不審火により本殿、幣殿、拝殿を焼失しましたが、平成12年再建されました。

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◆ 裏側から見た本殿

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◆ 平成22年(2010年)に再建された神楽殿

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◆ 火災の拡大を防ぐ為に伐採された輪切りの神木

神楽殿の中にありました。

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◆ 伐採された神木の切り株


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by kfujiken2 | 2019-03-28 09:52 | 風景 | Comments(0)

散りぎわの美・ 五色八重散椿(ごしきやえちりつばき)


秋の紅葉で名所になっている山口市鋳銭司・両足寺に、今年も ”五色八重散椿” が綺麗に咲いている。1株に白、桃、紅、桃色に紅絞り、白地に紅絞りと咲き分ける花は、首から落ちずに花弁が1枚1枚散るのが特徴とされる。樹齢は300年といわれるが、現在も元気です。


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名樹とうたわれ、珍重された五色八重散椿の縁起は、安土桃山時代朝鮮に出兵した加藤清正が蔚山城(うるさんじょう)から持ち帰った椿を豊臣秀吉に献上し、それを北野大茶湯の際に秀吉が地蔵院に寄進しました。

五色八重散椿は、他の椿と比べて2点変わったところがあります。
1点目は、1本の木にピンク色、白色、赤色、絞りが入ったものなど、いろいろな花を咲かせることです。
2点目は、通常、椿は、花が丸ごと地面に落ちるのですが、五色八重散り椿の場合は、桜のように花弁が1枚ずつ散っていきます。


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by kfujiken2 | 2019-03-25 11:29 | | Comments(0)

あなたも新元号の予想をしてみませんか?


新元号の公表まであと2週間、施行まで45日となりました。
平成31年(2019年)4月1日に公表され、4月30日をもって幕を閉じ、2019年5月1日に新元号が施行されます。


◆ 新元号はいったいなんだ?

元号は世界で唯一日本だけで使われていて、4月1日から新元号になると思っている方もいるかもしれませんが、天皇陛下の御退位の日は平成31年4月30日。つまり、新元号に変わるのは、皇太子さまが即位される5月1日、元号を改める「改元」を行う5月1日からです。

「日本最初の元号『大化(645年)』から『平成(1989年~)』まで247もの元号がありました。しかし、じつはこれまでに元号に使われた漢字は72にすぎません。同じ文字が何度も使われているのです。


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◆ 新元号の名前に条件

・漢字2文字であること
・書きやすく、読みやすいこと
・これまで元号やおくり名として使用されていないこと
・俗用されているものでないこと
・国民の理想としてふさわしい意味をもつこと

さらに略称で書く際に紛らわしくならないように、アルファベットの頭文字が重要な要素となったことが知られています。つまり、「修文」や「正化」は、アルファベットにしたときの頭文字が「S」で、元号をアルファベットの頭文字を使って表す際に「昭和」の「S」と重なってしまい、不都合が起きてしまうと指摘されたのです。
今回の改元でも、こうした考えを踏襲するのであれば、アルファベットの頭文字が「明治」の「M」、「大正」の「T」、「昭和」の「S」、「平成」の「H」と重なってしまう元号は選ばれません。つまり「サ行」「タ行」「ハ行」「マ行」ではなく、「ア行」「カ行」「ナ行」「ヤ行」「ラ行」「ワ行」のいずれかから始まる新元号が採用される可能性が高いと言えます。


Aが頭文字の元号は江戸時代の『安政』以来ない。平和が持続するように「安久(あんきゅう)」がいいのではないでしょうか?
「安久」は安泰(平和)な時間が長く続くような願いを込めて!!!



※ 1989年の平成への改元で、採用されなかった20超の元号案が分かった。新元号案の考案者の一人、目加田(めかだ)誠・九州大名誉教授(中国文学)が推敲(すいこう)に使った手書きのメモが見つかった。
平成改元の際、政府は学者から集めた元号案から、最終的に「平成」は山本達郎・東大名誉教授(東洋史)、「修文」は目加田誠・九州大名誉教授(中国文学)、「正化」は宇野精一・東大名誉教授(中国哲学)の3案から選ばれたそうです。

見つかった目加田誠氏の推敲(すいこう)メモで、「平成」以外にどんな新元号候補があったのかを示す初めての史料です。


「普徳(ふとく)」
「靖之(せいし)」
「靖和(せいわ)」
「天昌(てんしょう)」
「修文(しゅうぶん)」
「大猷(たいゆう)」
「允徳(いんとく)」
「修和(しゅうわ)」
「恭明(きょうめい)」
「敬治(けいじ)」
「大有(たいゆう)」
「大成(たいせい)」
「和平(わへい)」
「成孚(せいふ)」
「純煕(じゅんき)」
「長道(ちょうどう)」
「天休(てんきゅう)」
「永孚(えいふ)」
「大明(たいめい)」
「成文(せいぶん)」

by kfujiken2 | 2019-03-17 11:55 | 未分類 | Comments(0)

古墳時代の『後井古墳(ごいこふん)』

後井古墳は山陽本線田布施駅から西北西約2㎞・ 山口県熊毛郡田布施町宿井 の、標高約62mの丘陵にある。6世紀末から7世紀初頭に造られたとみられる、円墳の1号墳とほぼ同時期に造られたとみられる前方後円墳の2号墳の他、少し離れた場所に3号墳があり、どれも片袖型横穴式石室を持っており、山口県下最大規模で当時の首長墓とされています。見学は保存状態の良い1号墳のみ可能となっており、玄室内にある社は火の神様である秋葉様が祀られています。秋葉古墳とも呼ばれることがあり、山口県の史跡に指定されています。

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◆ 後井古墳は誰の墓か?


かつて田布施町には「王国」があった。このあたりは熊毛王国と呼ばれていました。熊毛地方(田布施を含む近隣地域のこと)は、かつて瀬戸内海の要所であり、人や文化の集積地点として栄えました。3世紀末から7世紀にかけて山口県熊毛郡の古柳井水道(古熊毛水道)付近に熊毛王と呼ばれる複数の豪族の治める熊毛王国と呼ばれる連合国家があった。
大和朝廷が完成するまで、人口が集中する地域は独自の小国家をつくった。町内に古墳が多いことも田布施の特徴だ。現在、確認されている古墳の数は85基あるそうです。


※ 古柳井水道(古熊毛水道) : 山口県の室津半島と本州は分離しており、間に古柳井水道(古熊毛水道)と呼ばれた海峡があった。

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古墳なのに石鳥居がある

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途中の石段ですが、長年の風雨で石の周りの土が削られ流されたのだろうか? 一段の石が50cmくらいあり石段を登って行くのが大変なので、両サイドの溝を登って行きました。

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やっと古墳の入り口が見えてきました。

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◆ 後井古墳の概要

入口の幅はあるが天井の低い羨道(羨道長5.9m、幅1.6m、高さ1.8m)の先に玄室(玄室長6m、幅3.5m、高さ3.55m)で県内最大クラスの石室、奥壁鏡石と天井石が特に巨大です。よほどこの地に縁深い有力者のものなのでしょう。社などが建てられるでもなく墳墓そのものが御神体となっている珍しいものでした。

後井古墳の入口です。

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羨道と玄室です

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巨大な天井石です。 どこから運んできたのか、どの様に石組みをしたのか不思議です。

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by kfujiken2 | 2019-03-12 10:50 | 歴史 | Comments(0)

大梅山通化寺~遊撃軍の本陣 その②



本堂の左手に「高杉晋作 遊撃隊(遊撃軍)激励の詩石碑」と岩国市教育委員会の解説版があり、その後方に「遊撃軍陣営遺跡保存基金芳名」の寄進者芳名柱があります。更にその後方が遊撃隊総督邸跡地だったようです。


上記の記載の順に沿って画像をアップします。

◆  「高杉晋作 遊撃隊(遊撃軍)激励の詩石碑」 

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殱賊興正非我功   幸隋驥尾全斯躬
豊公事業君無怪   一片機心今古同
訪遊撃軍諸君即吟
              
                東洋一狂生東行



◆ 岩国市教育委員会の解説版


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訳:賊を打ち破り、正道を興すは我が功績に非ず
幸いにも先達を見習って行動したことで、成し遂げただけである
豊臣秀吉公も偉大な事業を成し遂げたが、何も不思議な事はない
昔も今も成し遂げようとする人の心は同じである
遊撃軍諸君を訪問してこの詩を即興で吟じる




◆ 「遊撃軍陣営遺跡保存基金芳名」の寄進者芳名柱

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「毛利家」、「子爵 河瀬 眞」、「吉川家」、「江木千之」の芳名が刻まれている
建立年月日が刻まれていないが、通化寺本堂背後の「遊撃軍記念碑」篆額に大正10年書、 「遊撃軍招魂碑」陰刻に大正15年建立とあるので、この頃の寄進と思われる。



★「金參百圓 毛利家」 :遊撃隊総督の吉敷毛利氏世嗣幾之進の吉敷毛利氏と思ったが、「毛利家」とあるので右代表として、毛利本家ではなかろうか。
★ 「金參百圓 子爵 河瀬 眞」 :再建遊撃隊総督河瀬安四郎(石川小五郎 ・真孝:まさたか)の三男「眞(まこと)」。
★ 「金貮百圓 吉川家」 :岩国吉川氏。
★ 「金壹百圓 江木千之(かずゆき)」 :岩国藩士江木俊敬(としたか)の長男で、大正13年文部大臣に就任。晩年は枢密顧問官を務めた。



◆ 遊撃隊総督邸跡地


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入り口の看板に「檀家が24軒で、維持して行くのが大変厳しい。来られた方のご寄付をぜひお願いしたい」旨の記事が大きく書かれています。そのせいかどうか、本堂の屋根はシートで覆われたまま。
本堂内部の柱の金箔も剥げ、傷みが酷いのが一目で分かりますが、岩国市が本格的に力入れ、檀家の寄付では修復は無理だと思います。
弘法大師が創建し幕末から明治維新にかけ、長州藩の遊撃隊の本陣がおかれたという歴史ある名刹を放置するのは残念ですよね~


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寺の背後の庭は、巨石を配置した「雪舟」の作とのこと。
案内柱があるので雪舟庭園には違いないのだろうが、残念なことに荒れ放題で、何処までが庭園なのか分かりません!!!

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by kfujiken2 | 2019-03-08 13:03 | 歴史 | Comments(0)

大梅山通化寺~遊撃軍の本陣 その①



弘法大師が唐から帰朝の際に大黒山麓大梅の地に立ち寄り、大同二年(807)創建という古いお寺ですが一度途絶えたそうです。それをこの地に住んでいた「吉川元春」の次男、毛利元氏が自ら京都宇治に「隠元禅師」を訪ね、禅師が開いた禅宗の一派「黄檗宗(おうばくしゅう)」の分院として再興したのです。
隠元禅師は、いんげん豆の他、西瓜、蓮根、孟宗竹、木魚などを日本に持ち込んだ中国の僧だそうです。


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時代は下がって、明治維新のころ、第二次長州征伐「四境の役」で幕府軍と戦った時、幕軍による征長に備え東境の守りの要として遊撃隊の本陣が通化寺におかれました。遊撃隊は来島又兵衛が創設しましたが、1865年(慶応元)3月、250人の遊撃軍がここに来た時の総督は高杉晋作でした。禁門の変では総督の来島又兵衛は戦死するほどの奮戦を見せています。来島又兵衛の戦死後は、石川小五郎が指揮をとって功山寺挙兵にも参加。大田絵堂の戦いの後に高杉晋作が総督となっています。・・とはいっても正式に藩から任命されたわけではなく、 事実上の総督であったのだと思います。

※ 来島又兵衛 : 剣術や槍術、馬術にも長けており、戦国時代の武将のような風貌であったと言います。「血気盛ん」「気性が激しい」性格は若い頃からであったと言います。多くの長州藩士が禁門の変で命を落としますが、もともと戦うことが目的ではなく、朝廷に対して陳情するのが目的でした。しかし、この時期の長州藩に対する幕府、朝廷、世間の目は厳しく、兵と一緒に京に行けば戦いと捉えられて、陳情どころではなくなるのは明白でした。
桂小五郎をはじめ、軍を率いて京に行くことに反対しました。 藩の意向に来島又兵衛は納得しませんでした。 脱藩してでも行くと言って聞きません。説得役として藩に命じられた高杉晋作は3日かけて来島又兵衛を説得しますが、来島は断固として納得しません。急先鋒はもちろん来島又兵衛で、 遊撃隊600を率いて進軍しますが、幕府軍の圧倒的な兵力で敗れることになります。


【来島又兵衛】
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※ 石川小五郎 : 周防国吉敷郡佐山に、長州藩士の子弟として生まれる。萩の明倫 館に学ぶ。文久2年(1862年)、先鋒隊に入隊 。
元治元年(1864年)、御楯隊に入隊。禁門の変では、戦死した来島又兵衛の指揮権を引き継いで遊撃隊の指揮を執り、のちに遊撃隊総督となる。慶応元年(1865年)、高杉晋作による功山寺挙兵では、遊撃隊を率いて参加した。第二次長州征伐では芸州口を攻撃するなど活躍した。


【石川小五郎】
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大梅山通化寺~遊撃軍の本陣 その②に続く
by kfujiken2 | 2019-03-06 16:26 | 歴史 | Comments(0)

江戸城の歴史と皇居の謎

【江戸城の歴史】


現在の皇居は、江戸時代に徳川将軍の居城であった江戸城が前身であることは、何方もご存知だと思いますが、では皇居・江戸城の歴史や変遷を詳しくご存知の方は少ないんではないでしょうか?

現在の皇居がある場所(東京都千代田区)に、江戸城は15世紀半ばに建てられました。江戸時代には「江城」、「千代田城」とも呼ばれていたそうです。
家康入府時には、応急修理がなされた程度で、その後二代秀忠、三代家光の時代に拡大整備され、東西5.5㎞、南北4㎞、周囲14㎞と大城郭が完成したのは寛永13年(1636)、家光の治世であるといわれています。


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平安時代末期から鎌倉時代初期にかけての江戸氏の居館が、江戸城の中心部分だった本丸のあたりにあったそうです。
当時関東地方に勢力があったのが扇谷(おうぎがやつ)上杉氏でした。
と言っても、この扇谷上杉氏はよく知られている戦国武将・上杉謙信とは近い関係ではなく、分家のような存在です。その扇谷上杉氏の家臣だった太田道灌(おおたどうかん)こそ、江戸城を造った人です。
そして城は扇谷上杉氏のものになりましたが、新しい勢力が出てきて、城は彼らの手を離れます。次の主は、北条早雲を筆頭とした北条氏でした。


本丸跡の北西部には天守台石垣(天守閣の台座)が現在も残る。家光時代に完成し、明暦の大火で焼失した。復興に着手し天守台を築いたものの、天守閣は日常的な使い道はこれといってない「天守はもはや無用の長物」だという保科正之の提言で、江戸城に天守が再建されることはありませんでした。

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【皇居の謎】

明治維新後1868年に明治天皇が入城したことにはじまり、それ以前は、平安遷都以来1000年あまりにわたって京都御所が皇居であった。
東京遷都後、江戸城は「東京城」、「皇城」と改称され、明治宮殿完成後に「宮城」を公称と定め、第2次大戦後は「宮城」という名称が廃止され、以来一般に「皇居」と称される。


皇居は115万平方メートルの広さを誇り、8つの門があります。
現在「皇居」と呼ばれているエリアは、「吹上御苑~西の丸」「皇居東御苑」「皇居外苑」からなる。
西側に位置する「吹上御苑」には、天皇・皇后の住まいである吹上御所、宮中三殿、生物学御研究所などがあり、
江戸城時代は西の丸御殿があったエリア「西の丸」には、現在、宮殿や宮内庁庁舎などがある。
「東御苑」は、かつて江戸城の中心、幕府の中枢であった本丸や二の丸、三の丸があったエリアである。大奥は、本丸御殿、二の丸御殿の北側に存在していた。

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by kfujiken2 | 2019-03-03 14:58 | 歴史 | Comments(0)


山口県の歴史・風景・花や世相のトピックをお届けします


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