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浩宮さま(現 皇太子)が即位したら「皇太子」がいなくなる


皇族の身分を規定する『皇室典範』には、代替わりについての大きな穴があった。
今上天皇が代替わりし、現皇太子の浩宮徳仁親王が皇位に就いたとき、皇室には「次の天皇(皇嗣)」たる権利を持つ「皇太子」がいなくなってしまうのだ。皇位継承権を持つ皇族男子(秋篠宮文仁親王も悠仁親王)は存在する。
けれども、お二人は「皇太子」にはなれない。『皇室典範』が定めている皇太子の条件に合致しないからだ。


※ 『皇室典範』: 〈第八条 皇嗣たる皇子を皇太子という。皇太子のないときは、皇嗣たる皇孫を皇太孫という〉


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「皇子」とは、天皇の息子を意味する。だから現在、皇太子の地位には、今上天皇の長子である浩宮様がついている。
皇室典範第一条には〈皇位は、皇統に属する男系の男子が、これを継承する〉とあるので、息子がいない以上、「男系男子」の孫(皇太孫)も当然いない。皇位第一継承者は弟宮の秋篠宮文仁親王は『皇嗣たる皇子』ではないから、皇太子にはなりません。歴史上の表記でいえば、〝皇太弟〟ということになる。悠仁親王は皇太孫ではなく、天皇の甥なので、やはり皇太子にはなりません。



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皇太子がいなくなれば、宮内庁法第六条によって〈皇太子に関する事務をつかさどる〉とされる『東宮職』がなくなります。皇太子殿下が即位されれば、皇位継承順位第一位の秋篠宮殿下が、今の皇太子殿下の職務を引き継がれるでしょう。そうすると、宮家皇族としてこれまで秋篠宮殿下がやってこられた公務はどうなるのかという問題が出てきます。
東宮家と宮家では、公的な活動の内容も大きく違ってくる。宮家皇族は公益法人など各種団体の名誉職に就いて活動できるが、皇太子・皇太子妃は、天皇・皇后と一緒で、原則的には団体の名誉総裁には就かない。宮家皇族としての公務と皇太子の公務を兼任するというのは難しいだろう。


歴代の天皇家において、皇太子が空位だったことは決して珍しいことではありません。愛子内親王を皇太子とすれば、これらの問題は回避できる。しかし、『女系・女帝』を容認するということで、この方法は無理だろう。
現行の第八条の条文を、『皇位継承順位第一位の皇族を皇太子という』に改正する方法があります。そうすれば、皇太子殿下が即位された時点で秋篠宮殿下は皇太子となります。


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by kfujiken2 | 2019-04-30 09:04 | コラム | Comments(0)

地域文化講座


周南市では東ソー株式会社「地域文化講座」や株式会社ニッシンイクス主催の文化講演会が企業の好意により開催されます。
周南市は我が町と違い、徳山藩が藩校を設立し幾多の秀逸な人材を育てました。
我が町に著名人が少ないのは、周南市は藩校で我が町は寺小屋の差でしょう?
周南市は教育に対し力を入れ、地域・企業も協調していると言えるのではないでしょうか!!!


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◎ 東ソー株式会社 寄付講座 「地域文化講座」
     開催日:4月19 日(金)~7月19 日(金)
     時間:13:10~14:40
     会場:徳山大学 3号館 301教室


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◆ 地域文化講座の経緯

本講座は平成17年度より、東ソー株式会社のご好意により、「ふるさとの偉人たち」として隔年開講している科目です。山口県は、明治維新を成し遂げた多くの偉人たちを輩出しましたが、政治家だけでなく、文化や体育、芸術、産業などの各方面で活躍した多くの先輩たちを育てたところでもあります。地域に残された多くの文化的資産(人・文化・産業・歴史)の中で、特に、人を中心にとりあげ、彼らがどのように育ち、さまざまな困難にどう向き合っていったのか、当時の時代背景をもとに、生き方や考え方などを学生のみなさんに紹介するとともに、地域のことをもっと知りたいと考える市民の皆さんに学習の機会を提供します。

by kfujiken2 | 2019-04-27 09:56 | コラム | Comments(0)

光・冠山総合公園で「第12回ぼたん祭」


冠山総合公園内、日本庭園の一角にある東屋周辺の広場にボタンが植えられ、毎年見頃を迎える4月中旬から下旬にかけて「ぼたん祭」が開催されています。

昨年も観に出掛けましたが、今年の方がさみしい気がしました。
20種と言ったって赤・白・紫と色が限られ、数えたわけではありませんが、全体を見渡しても約400株は無い気がしました。
期間中どの位の人が観に訪れるでしょうか??? 光市も入場料を取るでもなく、市の予算内で管理・栽培するのでしょうから、費用が掛かるでしょうね!!!


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「百花の王」と言われるボタンは「立てばシャクヤク、座ればボタン、歩く姿はユリの花」などと美人を形容する言葉としても使われてきた牡丹の花ですが、日本では古くから人気のある花でした。
日本への伝来は、奈良時代の遣唐使とも、空海が持ち帰ったとも言われ、「枕草子」や「蜻蛉日記」などに記述されていることなどから、平安時代には牡丹の花を観賞していたと言われています。


日本庭園の一角にある東屋周辺の広場です。


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名前の分かる花を紹介しましょう。

① 写楽

丈が伸びず、どっしりと座ったように、大きく絢爛豪華に咲く、”牡丹の中の牡丹”です。

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② 島根白雁

千重咲きの中輪品種です。純白の花びらが白雁の翼を連想させます。 赤と黄色のしべが美しく、派手すぎない咲き姿が愛好家から好まれています。

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③ 天衣

白色系の八重咲です。花びらが如何にも天上人が来ている着物のようです。晴れた日には光っているように見えて素敵です。花唇が淡い黄色であることも白い花びらを引き立てます。大輪の花が見事で美しい品種です。

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④ 鎌田藤

咲き出しは紫に近く、満開後は赤味を増す。

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名前は分かりませんが、1本の木に2色の花が咲くボタンがありました。

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見事なオオデマリが咲いていました。

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by kfujiken2 | 2019-04-23 12:54 | | Comments(0)

徳山大学内松下村塾(模築)


徳山大学は昭和46年に高村坂彦(当時徳山市長)により設立され、平成2年に開学20周年と吉田松陰生誕160年にあたることから、創立者が尊敬していた松陰教学精神を継承しようと徳山大学に松下村塾(模築)が建てられました。
「知・徳・体」一体の人間教育を行う大学精神を表しています。創立者は、「村塾小なりと雖いえども誓って日本の幹とならん」の言葉をもじり「徳山大学小なりといえども、誓って日本の大学のモデルとならん」とおっしゃっていたそうです。
正門から北側に位置する構内の高台にあり、一般公開されています。この場所につながる遊歩道も人気スポットです。


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全国に六つもの「松下村塾」の模築があるそうです。

1、東京 世田谷 松陰神社の境内にある
2、東京 町田市 玉川大学構内
3、山口県 徳山大学
4、山口県立・奈古高校
5、秋田県立大舘鳳鳴高校
6、山口県周南市の山口放送の前庭


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by kfujiken2 | 2019-04-13 16:06 | 未分類 | Comments(0)

新元号・令和に関して


出典は日本最古の歌集「万葉集」で、巻五に収録された梅花の歌の「序」。この梅花の歌は32首あり、大伴旅人を中心とするグループが詠んだとされる。
1200年余り前に編さんされた日本最古の歌集であるとともに、天皇や皇族、貴族だけでなく、防人(さきもり)や農民まで、幅広い階層の人々が詠んだ歌が収められ、わが国の豊かな国民文化と長い伝統を象徴する国書であります。


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「梅花の歌三十二首」の序文
「初春令月、気淑風和、梅披鏡前之粉、蘭薫珮後之香」

(初春の令月にして、気淑(きよ)く風和ぎ、梅は鏡前の粉(こ)を披(ひら)き、蘭は珮後(はいご)の香を薫らす)

【注釈】 令月:めでたい月   珮後:身に帯びているような 

【現代語訳】
春の初めの めでたい月に、風は和らいで気持ちよく吹いている、梅は鏡の前でお粉(おしろい)をはたく女性のように白く美しく咲き、蘭の花は身にまとった装飾品の香り袋のように薫っている

令和とは「人々が美しく心を寄せ合う中で文化が生まれ育ち、希望に満ち溢れた新しい時代を切り開いていく」という祈り・願いが込められていると安倍総理からの説明があったが、忖度ありきの政治を排除し、忖度のない文化にしてもらいたいものです。


◆ 令和のミステリー


1.一つに絞れない文字

ゴシック体・明朝体「人・一・刀」と教科書体・楷書体「人・丶・マ」と書きますが、常用漢字表の字体・字形で一つに絞れない文字を選んだか?
いずれも正しいというのが文化庁の言い分らしいが・・・


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2.「改元の呪い」・・・改元後の内閣は半年ももたない!?

令和が内閣制度ができて以降、明治から大正、大正から昭和、昭和から平成、平成から令和へと4度の改元がありましたが、過去の3度改元後内閣の総辞職が起こってる。

● 明治から大正に改元したのが1912年7月30日。その改元時に政権を担っていたのが西園寺公望首相だった。第2次西園寺内閣は、行財政改革を進めており、陸軍の増強を拒んだことから上原勇作陸軍大臣が辞任した。後任の陸軍大臣の推薦を陸軍に求めたが、後任の推薦を拒否。当時は軍部大臣現役武官制があって後任の陸軍大臣を充てられず内閣総辞職に追い込まれた。大正になってから144日。

● 大正から昭和に改元したのが1926年12月25日。その改元時に政権を担っていたのが若槻礼次郎首相だった。第1次若槻内閣は、1927年3月に起きた昭和金融恐慌によって経営危機に直面した台湾銀行を救済する緊急勅令案を枢密院に諮ったが否決されたため、内閣総辞職に追い込まれた。昭和になってから116日。

● 昭和から平成に改元したのが1989年1月8日。その改元時に政権を担っていたのが竹下登首相だった。リクルート事件とと消費税の導入に対する世論の反発を受けて追い込まれた。平成になってから146日。


このように、改元した時の内閣は、新元号の時代に入って長くは政権を担えなかった。改元したことと内閣が総辞職したこととは直接関係ない。だから、改元が首相の辞任の引き金になるわけではない。あくまでも歴史の偶然なのかもしれない。平成の次の元号では、どうなるだろうか。
by kfujiken2 | 2019-04-11 09:59 | 未分類 | Comments(0)

山陰の小京都(史跡と鯉の町)津和野町  Part4


津和野町に着いたら先ず太皷谷稲成神社というのが常識ですよね!従って太皷谷稲成神社の参拝を済ませ見学を近場からと思い、南側から北側へと散策したのが順序が逆でした。最後に「津和野町 日本遺産センター」に行くなんて・・・ (° ㅂ ° )マイッタナー。
津和野町を観光で訪れるなら、最初に「津和野町 日本遺産センター」に立ち寄ることがお薦めらしいです。
帰途の時間が近づいており充分な見学の時間がなく、更にコンシェルジュの清水徳秀さんと長州藩と津和野藩との比較対照話が盛り上がり、予定の1時間が過ぎ、撮影するのもを忘れておりまして画像を、観光協会様よりお借りしました。


● 津和野町日本遺産センター

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葛飾北斎美術館の跡地に出来た「津和野町 日本遺産センター」で、文化庁により認定された「津和野今昔~百景図を歩く~」のストーリーを、映像やパネル展示などで解説し、津和野町の旅をより興味深く楽しんでいただくためのガイダンスセンターです。又、常駐のコンシェルジュ(案内人)さんがわかりやすく津和野の魅力、まち歩きの楽しみ方を紹介して頂きます。


◆ 観光協会様よりお借りしました「津和野百景図」の全体景図です。

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※ 津和野百景図

最後の第11代藩主亀井茲監(かめいこれみ)の業績をまとめた「以曽志乃屋文庫(いそしのや)」とともに亀井家に納められた文書の一つ。藩主の側に仕えた栗本格齋(くりもと かくさい)(本名 栗本 里治(さとはる))は御殿内の様子や藩内の随行先、お殿様の生活を真近で見ることができ亀井家からの信頼も厚く、第14代当主 亀井玆常(これつね)公から依頼を受け、明治の終わり頃から、書き溜めていたスケッチをもとに描きはじめ、3年8ヶ月の歳月をかけて100枚の絵を完成させたそうです。

※ 「以曽志乃屋(いそしのや)文庫」

最後の津和野藩主・亀井茲監(これみ)の業績を巻物81巻にまとめ、たんす二さおに収めたもの。


◆ お借りしました景図を3枚ばかり紹介します。

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● 古橋酒造

津和野町は清純な水と地元の酒米、そして気候に恵まれ、3軒の蔵元があります。
津和野のメインストリート本町通りにある明治初期の創業以来こだわりのお酒造りをつづけている古橋酒造もその一軒。
軒には酒林がかかり初陣(ういじん)の名の入った樽があり、横にはベルリンのアンペルマンの歩行者信号機が迎えてくれます。


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中に入るとテーブルで希望の物を試飲させてくれます。他にも津和野の姉妹都市であるベルリン中央区に因み、東ドイツの信号機キャラクター・アンペルマンのお酒やグッズが販売されていました。
森鴎外がかつて留学していたベルリンと津和野町は姉妹都市提携を結んでおり、その縁でドイツでの販売の話が持ち上がったそうです。 暗中模索の結果、ベルリンで輸入業者が見つかり、念願だったベルリンでの販売を開始することができました。現在は、ドイツだけでなく台湾へも同じように取り組み、輸出を進めているそうです。


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by kfujiken2 | 2019-04-09 10:07 | 未分類 | Comments(0)

山陰の小京都(史跡と鯉の町)津和野町  Part3


津和野藩は幕末の長州征伐には中立的立場をとり、積極的に戦に関わりを持たなかったから、藩士の戦死者を出さなかった故、偉人たちが多く残ったいるのではないでしょうか?


● 「津和野大橋」の袂(たもと)には船着き場と思われる石組があります。


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● 殿町通り

なまこ壁や白い土塀など、江戸時代の風情を感じさせる建物が残っている殿町通り。殿町通りはかつての上級武家屋敷町で、白壁と格子窓が残る藩校跡や武家屋敷門が立ち並ぶ通りです。この通り沿いにある堀割(用水路)を泳ぐ鯉は、津和野の代名詞的な光景です。
江戸時代の初め、津和野藩初代藩主・坂崎直盛によって建設された堀割で、水路に発生する蚊の幼虫を駆除するために、疫病対策として鯉が泳がされたのだそうです。


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● 藩校養老館跡

城下町・津和野のメーンストリート、津和野町後田の殿町通りに白壁、格子窓の古式ゆかしい長屋門が威風堂々と構える。哲学者・西周(あまね)、文豪・森鴎外など数々の偉人を輩出した。津和野藩が4万3千石の小藩ながら、乱世を乗り切るため人材養成に力を注いだ証が刻まれている。
津和野藩校「養老館」は、津和野8代藩主亀井矩賢によって天明6年(1786)に創設され、嘉永6年(1853)の大火後の安政年間に殿町に現在みることのできる建物が移設新築されました。
現在残されている武術棟(槍術教場、剣術教場)と御書物蔵の2棟、そしてそれらが建つ敷地が、昭和44年(1969)に「津和野藩校養老館」として、県指定史跡になっています。
武術棟は平成28年末より保存修理中で、見学が出来ませんでした!!!


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● 津和野藩家老多胡家表門

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● 津和野カトリック教会

レトロな津和野の町並みに佇む、ゴシック様式の「津和野カトリック教会」。
礼拝堂は国内でも珍しい畳敷きで、ステンドグラスから美しい光が降り注ぎます。厳粛な雰囲気の中、祈りを捧げていると気持ちが自然と落ち着きます。
明治維新直後、津和野には隠れキリシタン153人が配流され、過酷な拷問が繰り返されたという悲しい歴史が伝えられています。

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by kfujiken2 | 2019-04-07 09:22 | 未分類 | Comments(0)

山陰の小京都(史跡と鯉の町)津和野町  Part2


● 津和野町 郷土館

大正10年、当時としては島根県内唯一の郷土歴史博物館として設立され、創設当時は藩校養老館の御書物蔵を利用していましたが、昭和15年に現在の建物が建設され、独立した郷土館として整備されました。
その後、戦時下の一時休館や、終戦直後には役場庁舎に利用されるなどの変遷をたどりますが、昭和29年に再び今日の姿で開館され、現在に至っています。
津和野周辺の歴史資料、津和野藩の資料、美術工芸品などを展示しています。吉見、坂崎、 亀井の三氏にわたる津和野藩政の歴史を今に伝える豊富な史料に加え、人材育成の源泉となった「養老館」に関する資料、西周をはじめとする多くの先哲の遺品、乙女峠のキリシタン殉教関係資料などなど、島根県指定文化財を含む数千点を収蔵、展示しています。


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「郷土館」は2階建てとなっており、1階には土器や津和野の歴史に関する資料や文化遺産のフロアと津和野出身の先哲・文人たちを紹介するフロアの二つに分かれています。


◆ フロアの中央部分には大砲が、どどーん!と展示されています。ガラスケースに入っていないので、間近で詳細を確認しながら楽しめます。こちらは「仏狼機砲(ふらんきほう)」と呼ばれる16世紀末から17世紀初頭の青銅製の大砲。

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◆ “三本松城”とも呼ばれた津和野城の復元模型。1/200の縮尺で、1967年(昭和42年)に製作されたものです。

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◆ “哲学”や“心理学”という言葉を生んだ哲学者・西周や軍医・文豪の森鷗外、“日本地質学の父”と称される小藤文次郎、東洋紡績の初代社長・山辺丈夫、初代札幌市長・高岡熊雄などなど。小さな藩であったにも関わらず、津和野藩は藩政時代から明治期に掛けて、多くの偉人たちを輩出してきました。


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◆ 2階にあがる階段の踊場のに、津和野町出身「先哲画像」の展示があります。

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◆ 2階の壁一面に津和野城下絵図(大正3年 栗本格斎 作)があります。

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by kfujiken2 | 2019-04-04 11:18 | 未分類 | Comments(0)

山陰の小京都(史跡と鯉の町)津和野町  Part1


1295年に吉見氏の城下となり,以後坂崎氏,亀井氏の城下町として発展。中心市街地には武家屋敷の遺構やコイのすむ掘割など風情のある景色が多く残され,「山陰の小京都」と呼ばれる山紫水明の地。主産業は観光だが,ワサビやシイタケ,クリ栽培のほか,酪農も行なわれる。特産品として,コウゾやミツマタを原料とする石州半紙がある。津和野城(三本松城)跡,森鴎外旧宅,西周旧居はいずれも国指定史跡。
平成25年 7 月28日、島根県津和野町が集中豪雨により土砂災害が原因で、太皷谷稲成神社の参拝者は変わりないかもしれないが、観光客は減ったと話しておられました。


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● 杜塾美術館

日本家屋の木のぬくもりと、陰影に富む空間。 津和野藩の筆頭庄屋屋敷を往時のままに復元し、中尾彰、吉浦摩耶画伯の心和む絵画を展示しています。故 中尾彰氏は、1904年津和野生まれ独立美術協会員。1年の半分を蓼科高原に住み、創作活動を続けていました。また展示さている版画 「闘牛技」はスペインの国民的画家ゴヤの作品。特に「闘牛シリーズ」最終版は、原盤は現在ではマドリッドにある聖フェルナンド国立アカデミー美術館に収納されており、今後新たに増刷されることのない貴重なものとなっています。


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土間の天井には、黒光する太い梁や大黒柱があり、2人のなつかしさを感じる絵画とマッチして、心落ち着く空間となっています。

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スペインの宮廷画家「ゴヤ」の版画「闘牛士」シリーズや茶器の展示もあります。


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2階に津和野藩主・亀井家八代矩賢公書があります。


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by kfujiken2 | 2019-04-01 12:45 | 未分類 | Comments(0)


山口県の歴史・風景・花や世相のトピックをお届けします


by fujiken

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