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玖珂の鞍懸城主・杉隆泰の系譜と武功 ②


杉氏 改 柳井氏先祖由来


杉隆泰長男・鎮頼(専千代丸)の生涯に二説あるようです。杉隆泰の長男・鎮頼(専千代丸)と嶋寿丸伊房が同一人物か別人かという部分が分かりません。その上、鎮頼(専千代丸)の生涯に二説あるのに思いあぐねます。一説は帰農して岡氏と名乗り、二説は大友宗麟の家臣として仕えたと記述があります。もし二説が真実ならば、惣庄屋の岡氏は誰の後裔なのかと言う疑問が湧いてきます。


一説は、嶋寿丸伊房(これふさ)は鞍掛合戦時に、母と共に山口杉屋敷在6歳、後に杉助三郎と改姓する。嫡男嶋寿丸は山口で百ケ日法要をいとなんだ後、元就山口攻めの風聞に接し、近習三十余人とともに豊前松山城主(現・福岡県京都郡苅田町)杉重吉(母方の叔父)を頼ったが、ここも大友氏との関係が緊迫していたため、母と女中を預け置き、伊予に渡り三ケ年浪々と過ごしている。永禄元年秋安芸厳島に参詣したが、座主は杉家に由緒ある者で、近習十三人のうち二名を留めおき残り十一人は金銀を配分して浪人となし離散させた。嶋寿丸は座主の思召しを以って毛利七郎兵衛を頼み、元就へ相談した。元就は、その請をいれ玖珂の荘官末岡土佐に預けられた後、瀬田丸山の領主小方元康の言によって杉助三郎と改称し、後柳井清左衛門の養子となり、その家にて死んだと言われる。四代目故あって岡姓と称する。(岡氏 京都市在)
 二説は、鞍掛合戦後、豊後国の戦国大名・大友宗麟の許へ逃亡。一字を拝領して杉鎮頼(すぎ しげより)と名乗り、天正6年(1578年)の耳川の戦いで戦死するまで、大友氏家臣として仕えた。



【丈六寺跡と岡家墓地の場所】


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【丈六寺跡の石組みと思われる】

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【岡家の墓地】

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(注)杉鎮頼(専千代丸)は嶋寿丸伊房とは別人で、のちに大友義統から豊前国田川郡の内、仲元寺の地を知行、島津氏と耳川の戦いに於いて死し終末をとげている鎮頼(専千代丸)の方が正統と思われる。



次男・亀若丸は柳井家と改姓しているので、次回の説明とします。
by kfujiken2 | 2019-06-18 08:18 | 歴史 | Comments(0)

玖珂の鞍懸城主・杉隆泰の系譜と武功 ①

大内氏の重臣杉隆泰

杉治部大輔隆泰(すぎじぶたいゆうたかやす)は、戦国時代の武将で周防国鞍掛山城主。大内義隆に仕え天文19年(1550年)、従五位下に叙し、以後治部大夫と称する。父は杉貞泰(法名は土佐入道宋珊・とさにゅうどうそうさん)、子に杉鎮頼(すぎしげより)と称す。
鞍掛杉氏は応永6年(1399年)に足利将軍家と大内氏から、周防国玖珂郡を拝領した一族であった。杉隆泰は、平時は山口に出仕して大内氏の領国統治に従事し、所領の玖珂郡は影響下の国人衆に統治を委任していた。なお、諱の「隆」の字は主君の大内義隆から偏諱を賜ったものである。
晴賢の謀叛により大内氏31代義隆が自刃した後は、晴賢が大内氏の当主としてたてた大内義長(大友宗麟の異母弟)に仕えました。天文24年(1555年、弘治元年)の厳島の戦いの後、毛利元就が周防国東部へ進出し、玖珂郡への侵攻を開始すると、隆泰はその矢面に立たされた。最初は毛利氏に臣従したものの、近隣の蓮華山城主椙杜隆康(すぎもり たかやす)との関係もあり、毛利氏の攻撃を受けた。
 隆泰は居城の鞍掛山城に籠っていた際に奇襲に遭い、防戦に努めるも、ついに鞍掛山城は落城。隆泰は父の宗珊と共に討死した(鞍掛合戦)。
享年31。法名は鐵真院殿享安元樹大居士。墓所は鞍掛山城の麓にある祥雲寺。
嫡子の専千代丸は、豊後国の戦国大名・大友義鎮(宗麟、大内義長の実兄)の許へ逃亡。一字を拝領して杉鎮頼(すぎ しげより)と名乗り、
天正6年(1578年)の耳川の戦いで戦死するまで、大友氏家臣として仕えた。
※ 耳川(みみかわ)の戦い : 九州制覇を狙う豊後国の大友宗麟と薩摩国の島津義久が、日向高城川原(宮崎県木城町)を主戦場として激突した合戦。


※ 杉隆泰家の略系図

[重運]――[第一代 杉重明]――[第二代 杉重茂]――[第三代 杉頼明]――[第四代 杉弘依]――[第五代 杉興頼]――「第六代 杉隆泰]――[第七代 杉鎭頼]――[某 専千代]



鞍掛山城跡


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古戦場のまち 「玖 く が 珂」のマップ

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by kfujiken2 | 2019-06-14 10:39 | 歴史 | Comments(0)

周防大内氏第16代当主・大内義隆を支えた、3人の家老の一人・玖珂の鞍懸城主・杉隆泰


縁あってこの杉隆泰と鞍掛城のことを知り、調べてみる経緯となった次第です。
先週玖珂町の図書館・教育委員会に行き資料を調べて来ましたが、史跡の撮影をする時間がありませんでしたので、近日中に史跡の撮影に行って来ます。


山口の基礎を築いた大内氏は、南北朝〜戦国時代に中国地方に勢力をふるった豪族。百済聖明(くだらせいめい)王の第3子琳聖太子の子孫と称し,聖徳太子より多々良の姓を与えられたと伝える。弘世(ひろよ)の時,足利氏に従って戦功を立て,山口を本拠として勢力を拡大した。その子義弘は6ヵ国の守護を兼ねた。応永の乱で一時衰えたが再興し,日明貿易の独占で富強を誇る。最後の当主・義隆の時,家臣陶晴賢(すえはるかた)の謀反に遭って(大寧寺の変)で滅ぼされた。
大内政権は、主君を中心に周防守護代・陶氏、豊前守護代・杉氏、長門守護代・内藤氏の重臣(大内氏奉行三家老家)が、いわば内閣として中枢部を構成していたが、陶氏が筆頭の地位にあった。

陶氏は富田若山城、内藤氏は長府勝山城、杉氏は玖珂鞍掛城と居城を持ち活躍した。
陶氏は(大寧寺の変)後、毛利元就と戦った(厳島の戦い)で破れ、毛利元就は大内氏領土周防国・長門国侵攻作戦の防長経略(ぼうちょうけいりゃく)を行い、杉治部大輔隆泰が鞍掛城主の周防国に攻め込んできた最初の合戦が鞍掛合戦であった。



鞍掛城まつり実行委員会より、昨年のポスターをお借りしました。

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◆ 大内氏の重臣杉隆泰

杉治部大輔隆泰(すぎじぶたいゆうたかやす)は、戦国時代の武将で周防国鞍掛山城主。大内義隆に仕え天文19年(1550)、従五位下に叙し、以後治部大夫と称する。父は杉貞泰(法名は土佐入道宋珊・とさにゅうどうそうさん)、子に杉鎮頼(すぎしげより)。
鞍掛杉氏は応永6年(1399年)に足利将軍家と大内氏から、周防国玖珂郡3万石を拝領した一族であった。杉隆泰は、平時は山口に出仕して大内氏の領国統治に従事し、所領の玖珂郡は影響下の国人衆に統治を委任していた。
なお、諱の「隆」の字は主君の大内義隆から偏諱を賜ったものである。

晴賢の謀叛により大内氏31代義隆が自刃した後は、晴賢が大内氏の当主としてたてた大内義長(大友宗麟の異母弟)に仕えました。
天文24年(1555年、弘治元年)の厳島の戦いの後、毛利元就が周防国東部へ進出し、玖珂郡への侵攻を開始すると、隆泰はその矢面に立たされた。最初は毛利氏に臣従したものの、近隣の蓮華山城主椙杜隆康(すぎもり たかやす)との関係もあり、毛利氏の攻撃を受けた。
隆泰は居城の鞍掛山城に籠っていた際に奇襲に遭い、防戦に努めるも、ついに鞍掛山城は落城。隆泰は父の宗珊と共に討死した(鞍掛合戦)。
享年31。法名は鐵真院殿享安元樹大居士。墓所は鞍掛山城の麓にある祥雲寺。

嫡子の専千代丸は、豊後国の戦国大名・大友義鎮(宗麟、大内義長の実兄)の許へ逃亡。一字を拝領して杉鎮頼と名乗り、天正6年(1578年)の耳川の戦いで戦死するまで、大友氏家臣として仕えた。


※ 耳川(みみかわ)の戦い : 九州制覇を狙う豊後国の大友宗麟と薩摩国の島津義久が、日向高城川原(宮崎県木城町)を主戦場として激突した合戦。


「鞍掛城まつり(11月)」の マスコットキャラクター「鞍隆くん」

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by kfujiken2 | 2019-06-09 13:41 | 歴史 | Comments(0)


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