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「世襲王国ニッポン」・・・ 世襲議員が日本を滅ぼす


世襲議員が多いことのデメリットは、政治を志すさまざまな人間が議員となる機会を奪い、参入障壁を高くする点や、議員にふさわしい能力と意欲を持たないにもかかわらず、世襲によって議員となってしまう点などが議論されている。

世襲を支える仕組みとして真っ先に頭に浮かんだのは、後援会の役割です。利権を壊さないという共通の目標があるので、後援会が世襲を求め、世襲が後援会を必要とする、という構図があります。既得権益を守ろうとするこうした動きは、新しい人材にとっては強い参入障壁になるだろう、と予想しています。
世襲における最大の問題点は、親子同士で、政治資金管理団体を事実上、無税で相続してきたということだ。この問題の根は深い。市井の人々が、資金繰りに悩む中小零細企業の経営者が、代々継がれてきた自営業の店主が、相続税に頭を悩ませ、苦しんできたのに、政治家だけが「特権」的にその苦しみから逃れてきたのだ。



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「議員の世襲」が行われるのは、「三バン」・地盤(後援会)、カバン(政治資金)、看板(知名度)により新人候補よりも圧倒的に有利になるからです。後援会には「跡取り」を育ててきたという意識があります。したがって当選すれば、親と同じように地元への便宜を図ることが期待され、議員もそれに拘束されてしまうのが現実です。
憲法は、国会議員を「全国民の代表」と定めています。国会議員の役割は、国防、外交、経済といった各政策について日本の意思を決めること。選挙区や後援団体など「地元の代表」ではなく、「全国民の代表」として行動することが求められるのです。

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日本が「世襲政治王国」と呼ばれたのは最近の話ではない。大名の子は大名、百姓の子は百姓だった世襲制度の江戸時代に戻ってしまったようだ。明治維新が成功したのは、挑戦精神に富んだ、優秀な下級武士が改革の先頭に立ったからです。彼らは世襲制度を崩し、野にあった優れた人材を積極的に登用しました。それでも最近再び話題になっている理由は世襲政治を制限しようとする自民党の改革の試みがまた失敗に終わったためだ。これまで政治世襲をめぐり、息子を秘書に採用して選挙区を譲る政治手法は決まった家から代々議員が出る江戸時代の藩と同じで、世襲が固定化すれば、優秀で多様な人材を政治に取り込む道が狭まる、という批判が続いてきた。


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小選挙区比例代表並立制という選挙制度に問題があるから、今の若手は偏差値が高く、知識は豊富でも、常識や人間力に欠ける政治家ばかりになってしまった。選挙制度が中選挙区から小選挙区に変わったことで、政治家が「庶民に選ばれるもの」から、「党幹部に選ばれるもの」になってしまったからです。
候補者が有権者である庶民に目を向けず、党幹部の顔ばかり見て、公認を貰おうとする。


努力が報われる社会を創るのか、既得権益に配慮するのか。世襲議員に対する態度は日本の方向性を示す重要な一歩です。だれもが平等に実力を発揮でき努力が報われる社会、その方向性を示す一歩を、政治に強く期待しています。

by kfujiken2 | 2019-07-28 15:31 | コラム | Comments(0)

「竹久夢二展~憧れの欧米への旅~」



美人画で一世を風靡した「大正ロマン」を代表する画家・「竹久夢二展~憧れの欧米への旅~」が周南市美術博物館で行われています。


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艶福家であった夢二は『波乱万丈の恋人生』を送ってきた。夢二の絵のモデルはすべて恋人(岸たまき、笠井彦乃、お葉)。その恋のフェロモンが絵から発散し、没後84年たつ今も見る人を魅了させ続けているのではないか。絵だけではなく、グラフィックデザイナーの先駆者でもあった夢二。


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彼の絵は、心の中の詩を描いたものであり、単なる美人画と違い、見る者の心に訴えてくるものがある。竹久夢二の「夢二式美人」とは、美しい容貌だけでなく、女性を感じさせる動き、曲線、しなやかさを持った人のことだ。
美人画とは元々、浮世絵から始まったジャンルである。
その後、明治に入り西洋の絵画の技法が日本にも伝わり独自の絵画を生みだした。
美人画は浮世絵で確立されたジャンルであるが、浮世絵が廃れたのちも日本美術にその絵画は引き継がれた。
夢二は独自の美人画を描き、大正の浮世絵とも言われた。

by kfujiken2 | 2019-07-23 15:13 | 未分類 | Comments(0)

玖珂の鞍懸城主・杉隆泰の系譜と武功 ⑥(last)


歴史と文化の町 玖珂

玖珂町は山に囲まれた小さい町だが、歴史は古く縄文時代には、既に原始人が住み始めており、町の中心部を東西に横切る旧山陽道は、古代から近世にかけて都と九州を結ぶ陸路の幹線として栄えた。
戦国時代には毛利元就の鞍掛城攻めや豊臣秀吉の九州征伐、江戸時代には参勤交代に伴う大名行列がこの山陽道を往来した。町内には往時を偲ぶ史跡が随所に残されている。



【玖珂町の旧山陽道沿いの寺社】

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※ 杉家の祥雲寺


戦国時代において谷津ケ浴にあって杉家(領主、杉治郎大輔隆康)菩提寺として敷地二千坪 末寺二十四坊を有する大きな寺院であった。弘治元年(1555年)鞍掛合戦により毛利一族に敗れ 杉隆父子は壮烈な討ち死にを果たした。祥雲寺もこの時消失したが、毛利氏一族の岩国吉川家に よって慶安年間に野口に城泉寺として再建され、元禄14年(1701年)現在地に移し、元文4年(1739年) 寺号祥雲寺が復活した。


【薬師堂までの参道】


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【祥雲寺の説明板】


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【鞍懸城主杉隆泰・父宗珊墓碑】

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※ 児玉家の大福寺


鞍掛城主・杉隆泰の家老児玉筑前守(戦死)の嫡男児玉佐渡守が出家して、亦了(えきりょう)と改名し、建立したとされる。
境内にある自然石碑境内は江戸時代中期本町下の狂歌人「柳門四世栗陰軒貞六翁之塚」がある。嘉永四年(1851)に九十四才で没したが門人たちによって建立されたものである。碑の右脇には彼の辞世の歌が刻まれている。「花にくらし 月にあかして  楽しみに  こころのこらずきゆる  雪の世」



【大福寺の参道】

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【大福寺の山門】

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【柳門四世栗陰軒貞六翁之塚】


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※ 岡家の浄光寺


養老五年(717)野口の里より玖の玉、珂の玉出現し、これを当山の霊泉で磨いたという故事にちなんで山号を清玖山、院号を宝珠院という。「玖珂町史」に「辞書に玖は黒岩の玉をいい、珂とは瑪瑠潔白にして雪の如しとあり、『清玖山上古記』に玖を以って南浦般若寺(平生町)に収め、珂を以って二井寺に納むとあり、さらに玖珂地名の起源となったと書いている。」とあり、玖西では二井寺(後述)に次ぐ歴史を有する。前述のとおり浄光寺と杉隆泰末裔岡氏とは菩提寺と檀家の関係にある。


【浄光寺の参道】


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【浄光寺の本堂】

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※ 宇野家の萬久寺

鞍懸合戦の後、杉氏の家老宇野筑後守正常の次子・西念の開基した寺で、境内に自然石の宇野築後墓があるが、名をはばかり「守」の字が無い。
境内には明治時代子弟の教育に尽くした前住職第十一世・宇野泰信上人の頌徳碑があります。


【萬久寺の山門】

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【宇野泰信上人の頌徳碑】

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【宇野築後の墓】


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※ 菅原神社 (玖珂天満宮)

杉氏の末裔でもある岡氏が、天災や疫病が続くのは弘治元年(1555年)の鞍掛合戦で非業の死を遂げた、杉隆泰父子一族郎党の祟りではないかと思い、岡家邸内に防府天満宮から分霊を勧請して天満宮を祀ったという。

【旧山陽道から見た菅原神社】

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【鳥居から拝殿までの参道】

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【菅原道真の家紋「梅鉢紋」】


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by kfujiken2 | 2019-07-19 09:14 | 歴史 | Comments(0)

玖珂の鞍懸城主・杉隆泰の系譜と武功 ⑤

厳島合戦後の鞍掛合戦

安芸国の戦国大名毛利元就の大内氏領土周防国・長門国侵攻作戦の防長経略(ぼうちょうけいりゃく)が弘治元年(1555年)10月12日から弘治3年(1557年)4月3日まで行われた。戦国時代末期、大内氏三家老の一人である杉治部大輔隆泰は鞍掛城主として周防国東部を固めていた。
厳島の戦いで陶晴賢に大勝利した毛利元就 は、その勢いで岩国に進出し、周防東部を治める大内家の武将杉氏の鞍掛城(現岩国市玖珂町)や土豪の椙杜(すぎもり)の蓮華山城・小方に降伏するように書状を送りつけた。
これに対し椙杜・小方両氏は、毛利方に味方したが、鞍掛城の杉隆泰は毛利元就の防長進出はどうしてもくい止める必要がある為、毛利には人質を送り一方では大内義長に忠誠を尽くす考えでいた。弘治元年(1555年)11月10日~14日(10月27日説もある)毛利が7千の軍勢をもって 周防国に攻め込んできた最初の合戦が鞍掛合戦であった。 杉方は2千6百の兵をもって鞍掛城と旧山陽道の南北に布陣し、毛利軍を迎え討つ。毛利の軍勢が、椙杜・小方の在郷武士の手引きにて午前2時頃出陣し4時頃鞍掛へ到着し、午前5時~7時頃にかけて一度におし寄せ杉隆泰陣の寝込みを襲撃した。不意をつかれた鞍掛方は、城主・杉隆泰をはじめ、家老 柳井若狭守、宇野築後、児玉筑前、有永備中、侍大将 三浦助衛門など、鞍掛側の戦死者370名が谷津ヶ原にて戦死。侍大将や足軽大将など多くの家臣が水無川に沿って南西の方面の二井寺に逃れ最後迄戦を行ったが敢え無く敗れた。



あざやかな奇襲!!「厳島の戦い」   クリックしてみて下さい。youtube 動画が観られます。


※ 防長経略 : 安芸国の戦国大名・毛利元就の大内氏領土周防国・長門国侵攻作戦です。毛利元就が陶晴賢の残党や杉氏を玖珂から長門まで侵略を行った。陶晴賢と不和であった大内氏三家老の杉氏と内藤氏は「厳島の戦い」に参戦しなかったのに、防長経略のターゲットになったのは、この混乱に乗じ周防に勢力を広げていく防長経略の煽りをくい、攻撃を受けることになる。元就はまず調略で、大内陣営内部に揺さぶりをかけた。毛利元就の勧告に従い降伏。しかし、蓮華山城の椙杜隆康が、大内氏と杉隆泰の内通を元就に訴えたため、毛利軍は鞍掛山城を攻めた。杉氏は「鞍掛合戦」で討たれたが、内藤氏はどうしたんだろうという疑問が出て来ます。内藤氏(内藤隆世)は戦わずして長門に逃亡した。毛利軍も長門に進軍したが内藤隆世の切腹で決着した。家臣まで制裁をしなかったのは、内藤隆世の叔母尾崎局が毛利隆元の正室であった外戚関係だったから徹底的に制裁しなかったのでしょう・・・


例年11月の第3日曜日に行われるお祭りです 昨年のポスターです「鞍掛城まつり」

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by kfujiken2 | 2019-07-12 09:01 | 歴史 | Comments(0)

映画 「ある町の高い煙突」を観て来ました


今だからこそ、知っていただきたい"実話"がある。
「八甲田山」や「劔岳 点の記」で知られる文豪・新田次郎の小説を映画化した「ある町の高い煙突」は、後世に語り継がれるべき渾身の「真実のドラマ」です。


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この物語の中心となる「日立鉱山の大煙突」は、1914年当時世界最高の155.7メートルを誇った、約3万7000人もの人々が、9カ月以上にわたって建造に従事し作り上げた、まさに努力の結晶。
大煙突ができるまで、村は鉱山の煙で甚大な被害を被っていた。作物は枯れ、人体にも影響を及ぼし、住民と企業は対立……。だが、入四間村青年同志会の男たちの決してあきらめない姿勢が、両者の関係を徐々に氷解させていく。環境問題が深刻化した今だからこそ、見るべき解決へのヒントが詰まっている。


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建設中の大煙突の足場


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久原房之助は藤田組を退社して、茨城県の赤沢銅山を買収、日立鉱山と改称しました。
秋田県小坂鉱山の経営の仕組みを流用して、日立鉱山の開発を進めます。
赤沢銅山は、重金属が含まれた鉱毒水による汚染、大量の樹木伐採による洪水など数多くの問題を抱えており、うまく操業できていませんでした。鉱山買収直後の1907年の段階で、近隣地区の8割で田植えができない状態でしたが、久原は土地の買収や鉱毒除去施設の拡充で対応しました。
日立鉱山は、あの大企業につながっていた! 現在のJXTGグループ、日立製作所、日産自動車等、日本の発展に不可欠な会社たちは、日立鉱山を源流として生まれた存在。それらの始まりの物語としても、重要な意味を持つ一作なのだ!



日立製作所の創業を語るには、久原房之助と小平浪平の2人の人物について触れる必要があります。


久原房之助は酒造業を営む萩市唐樋町の久原家に生まれ、叔父藤田伝三郎が興した藤田組に入社。その後、独立。久原鉱業(現 JX日鉱日石金属株式会社)を創業して茨城県の日立鉱山を世界屈指の銅山に育て上げたほか、国内外で事業を成功させます。
造船業に乗り出し日本汽船株式会社を立ち上げ、1917(大正6)年には下松に日本汽船笠戸造船所の操業を開始し、船渠及び製鉄工場の世界的大工業都市建設を計画します。しかし、アメリカの鉄鋼の輸出禁止策によって翌年計画を断念する。
その後、政治家となり政財界を縦横無尽に闊歩しました。


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久原房之助にヘッドハンティングされた小平浪平は、日立鉱山で発電所の建設を次々に成功させ、その後、工作課長として、機械の修繕を担当します。日立鉱山の発展は、先端技術の積極的な導入や機械化の影響が大きかったのですが、機械の電化という重要な部分を小平が担っていきます。
「日立精神」は、数々の失敗のなかからうまれた。一貫して模倣を嫌い、オリジナリティーにこだわった「創業精神」。丸太小屋を「世界の日立」にまで築き上げたのが日立製作所の創業者である小平浪平です。
じつは「世界の日立」は、この通称「日立製作所創業小屋」から始まったのである。「日立」にまつわる経済人といえば、【鉱山王】久原房之助や久原から事業を引き継いだ日産コンチェルン総帥・鮎川義介の名がおもい浮ぶが、日産コンツェルン傘下の日立製作所を、技術一筋でゼロから築き上げ、今日の「日立グループ」の中心的存在にした小平浪平という人物も忘れてはならない。


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by kfujiken2 | 2019-07-05 10:12 | 未分類 | Comments(0)


山口県の歴史・風景・花や世相のトピックをお届けします


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